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2001年12月5日 英雄サダム・フセイン
2001年12月13日 キヨミン アカの歌
2001年12月26日 <参考資料>社説対決 不審船問題
2001年12月31日 2001年 世界、ネット、オレ
2001年11月28日付Dailyより。加筆修正。
米大統領、イラク攻撃を示唆 国務長官も「冷徹な警告」と強調(CNNより抜粋)
ブッシュ米大統領は26日、ホワイトハウスで記者団に対し、アフガニスタンの次の攻撃目標にイラクを検討していることを示唆した。
ブッシュ大統領は会見で「アフガニスタンは始まりに過ぎない」と、反テロ戦争は長期間にわたるとするこれまでの発言を繰り返し、「テロリストに資金援助する国はテロリストだ。テロリストをかくまう国はテロリストだ。大量破壊兵器で世界を脅かす国の責任を追及する」と述べた。
その上で大統領はイラクのフセイン大統領を名指しし、「大量破壊兵器を製造していないと証明するため、(国連の)査察を再び受け入れる必要がある」と強調した。イラクが査察を受け入れなかった場合はどうするのかと記者に質問されると大統領は、「彼は思い知るだろう」と答え、「テロ支援国家」イラクの攻撃を視野に入れていると示唆した。
や〜〜〜っと本音が飛び出してきたか、アメ公さん。
ブッシュパパ政権の残した外交的な禍根といえば、イラクのフセイン大統領を失脚させられなかったこと。クェートに侵攻し、大国を敵に回したフセイン大統領は、湾岸戦争で敗走した後10年経った今も、政権を握りつづけている。これは、アメリカにとって、顔から火が出るくらいに恥かしいことだ。
フセイン大統領は、中東地域、イスラム世界においては、今だ英雄である、ってことを忘れてはならない。西側世界と言う価値観、エゴイズムに抵抗した英雄だ。
イスラム世界は一枚岩なんかじゃない。イラクのように思考する国もあれば、クェートのようにならざるを得ない国もある。そして、どちらかというとイラクよりの考えのほうが多い。特に、国家指導者ではなく大衆の側にその傾向は強い。これは、西側メディアの報道しか見ていないとなかなか納得いかないかもしれないが。
そもそもなんでイラクのクェート侵攻があったか、と言えば、イギリスの石油政策の為だけに独立させられたクェートという土地を、イスラム世界の手に取り戻そう、というところからだ。
クェートは、西側諸国への石油輸出の玄関口として、イギリスの国益のために独立させられた。地図帳を開いてクェートの位置と、パイプラインを見てみると良い。地政学的にも、石油産業的にも、超重要な戦略拠点に鎮座ましましているのがクェートだ。というより、イギリスを主体とした西側諸国によって傀儡政権が作られ、超重要な戦略拠点に仕立て上げられたのである。
ここにこそ、文明の衝突という言葉に象徴される、イスラム教圏対キリスト教圏の構図があった。
フセイン大統領の理屈によれば、クェート侵攻は、クェートの西側世界からの解放、となる。もちろん、自国の石油輸出戦略を拡充させたい、という経済的な目的がその背後にはある。なにせ戦争は、古来必ず経済的な理由を背景として引き起こされている。
そして湾岸戦争の際に、アメリカに全面的な協力をしてもらったイギリスは、今度のアフガン戦争の際して、アメリカとまったく歩調を合わせているのである。アメリカに借りを返し、中東における影響力の維持を計り、あわよくば今だクェートを脅かすフセイン政権を瓦解させるために。
アメリカは、イギリスに貸しを作り、また石油利権を確保するために湾岸戦争に協力した。でも、アメリカは失敗した。フセイン大統領を失脚させられなかったからだ。これでは、世界の、特に中東諸国の良い笑い者だ。自らの影響力にも関わってくる。アメリカにとっては、フセイン政権を打倒することが、中東におけるイニシアティブを掴む為の戦略なのだ。少なくともアメリカは、そう信じている。
もちろんブッシュジュニア政権の今、湾岸戦争でその汚点を残したパウエル氏やチェイニー氏が政権の中枢にいる今、イラク攻撃の話しが出てきたことは偶然でも何でも無い。周知のとおり、ブッシュジュニアの決定には、ブッシュパパの助言が多い。自分たちの名誉を挽回すべく、アメリカは権力者の私欲によって戦争を引き起こし、拡大させていくわけだ。
同時多発テロは、そのための体の良い口実に過ぎない。未だに同時多発テロがアメリカの陰謀ではないかと言われる所以はここにあるのだ。
マスゴミの報道だけで世界を見てはいけない。地図を見て、その国の歴史を見れば、必ずその背景に存在するパワーゲームが見えてくる。
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ボク達キヨミン〜社会主義に〜ついてゆく〜♪
今日も〜
アジる〜
デモ出る〜
オルグ〜
そして〜ゲバ〜られ〜る〜♪
またアホなこと抜かしてるで、このワンピースピースボート。←このリンク先、他の質疑はまだ読む価値ありだけど、最後の質問(北朝鮮)に対する応答はいかがなものか。
ていうか誰か辻本清美(社民党)に主権国家の義務を教えてやれ。
『主権国家の義務』ってのは何さ? というと、『国民の生命と財産を守ること』だ。
すなわち、主権国家とはまず自国民の生命と財産を守らなければいけないのである。北朝鮮問題で、拉致問題を棚上げにして人道援助の話しばかりが持ち上がるが、それのおかしな点はここに集約される。確かに人数でいえば、拉致られたであろう数十人と餓死して死にそうな数百万人、なんていわれたら少数を犠牲にしてでも多数を・・・・・・と思うかもしれない。でも、それじゃいかんのである。
他国の数百万人よりも、自国の数十人を大切にしなければならない。冷徹なようだが、これが主権国家という組織の常識だ。(この問題を軸に自衛隊の派遣についても言及できるのだが、それは別の機会に。一つだけ言っておくと、軍隊とはこれとは多少違うロジックで運営されるモノだ、ってこと)
それに、北朝鮮って所に関していえば、『人道援助』で送られた物資が果たして飢餓に苦しむ人々に渡っているのか、怪しいというより渡っていないという現実がある。首都周辺だけにしか渡らなかったり、人道援助のはずの物資が高値で取引されていたり。。。それが現状だという。何より北朝鮮は、それを監視する為の国際組織の査察受け入れを拒否しているのである。厚顔無知とはこのことだ。
さて、辻本氏の話しに戻るが。
> まずは国交正常化して、正式な話し合いのチャンネルを作り、その中で解決していくほうが可能性は高いと思う。
まず国交正常化、それは正しい。だがそこで、拉致問題を棚上げにすることは出来ない。国家ぐるみで自国民を誘拐した犯人に対して、笑顔で手を差し伸べることなど出来るわけがない。国交を正常化するために、拉致問題は避けて通れない命題なのである。
> 拉致問題というのは、これまでにも世界のいろいろなところで起きてきているんです。
だったら許されるとでも?それが免罪符になるとでも?国際問題とは一つ一つがケースバイケースであり、過去の似た事例から対応例を導き出せることはあっても、それは例に過ぎない。辻本氏は中南米のテロ国家や昔のアメリカの軍事独裁政権を例に挙げているが、そんなこととは関係なく、北朝鮮はすぐそこにある危機なんだけどな。
> 国交正常化の中では、戦後補償が出てくるでしょう。日本は、かつて朝鮮半島を植民地にして言葉まで奪ったことに対して、北朝鮮には補償を何もしていないのだから、あたりまえの話です。そのこととセットにせずに、「9人、10人返せ!」ばかり言ってもフェアじゃないと思います。
でた!戦後補償!
二言目にはこの言葉だもんな。だから社民党と共産党は救い難い。ついでに公明党もな。戦後補償と拉致問題は、全く全然天地がひっくり帰っても別の問題である。『そのこととセットにせず〜〜フェアじゃないと思います』っていうか、セットにする問題じゃないよヴォケ! じゃあなにか?日本は北朝鮮に戦後補償をしていないんだから拉致られてもかまわないってか?
ほんと誰かお願いします。誰かこいつに主権国家の義務を教えてるか国会議員を辞めさせてください。。。
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不審船追跡 毅然とした姿勢は理解できる
海上保安庁の巡視船による不審船の追跡は、船体射撃が繰り返され、不審船の沈没という「結末」を迎えた。巡視船も発砲を受け、乗組員2人にけが人が出ている。沈没した不審船の乗組員約15人はが行方不明となり、23日、一部遺体が収容された。
不審船の国籍について、政府は「朝鮮民主主義共和国(北朝鮮)の可能性が高い」との見方を強めている。
我が国の安全保障にかかわることで、船体射撃、沈没とけが人、死者が出たのは初めてである。アメリカでの同時テロを受け、日本は安全保障で従来の姿勢を大きく軌道修正している。今回の対応は改めて、こうした印象を海外に与えることになるだろう。
不審船は21日夕方、海上自衛隊の哨戒機P3Cに鹿児島県・奄美大島の近海を航行しているところを発見された。巡視船の追尾は22日未明、海上自衛隊からの情報で始まっている。
巡視船は、排他的経済水域で停船命令を無視した不審船に対して、機関砲の船体射撃を続けた。
海上保安庁の説明によると、射撃は海上保安庁法の第20条「武器の使用」に基づくものだ。武器の使用は警察官職務執行法を準用して認められており、逃走を防ぐために発砲した。最後は「正当防衛だった」という。
日本近海には、しばしば不審船が出没している。
99年3月には、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)籍とみられる2隻の不審船が石川県・能登半島沖に現れている。この時、政府は初めて自衛隊法82条による「海上警備行動」の発動に踏み切った。
主権の侵害につながることだけに、わが国が、不審船に対して厳重な警戒体制を取るのは必要なことだ。さらに、出現した不審船を追跡するのも当然である。
今年11月、海上保安庁法が改正されている。この改正で、放置すれば侵犯行為が繰り返される可能性が高いなど、4項目の条件をつけたが、領海内で停船命令を無視した不審船には、船体を射撃することが認められた。
これも警戒体制強化の一環だが、今回は領海外だったため、適用されていない。
政府は11月、不審船について「政府は効果的かつ的確に対応し、これを確実に停船させ、立ち入りなどを行う」と、閣議決定している。
今回の追跡、射撃は不審船に対する、こうした強い対応と関連したものだろう。政府の方針が変わったと、受け止めている。
今回の追跡、射撃は領海内でなく、沿岸から200カイリ(360キロ)の漁業専管水域として設定された排他的経済水域だった。さらに、不審船の乗組員を検挙しようとした容疑が漁業法違反である。
政府の法適用に、すっきりしないものを感じるが、わが国は不審船に対して毅然(きぜん)とした対応で臨むことを内外に示した。議論は呼ぶだろうが、やむを得ない措置だった。
今後、外交問題が起きるかもしれない。政府は、沈着に対応してほしい。
<毎日新聞12月24日付社説より>
海の警固には強い対応も選択肢に
東シナ海で海上保安庁の巡視船が不審船を追跡、銃撃されて応戦し不審船が沈没するという異例の事件が起きた。巡視船が不審船へ直接射撃し、応戦したのは状況を考えるとやむを得ない措置である。しかし、不審船の捕捉という本来の目的を達せられなかったことは釈然としない。領域警固のあり方に問題はないのかどうか、再点検が必要である。
我が国の排他的経済水域で不審船を追跡した海保の巡視船は、初めて国籍不明の不審船に対して船体射撃を実施した。応戦が直接の原因かどうかは不明だが、沈没という結果になったのも初めてのことだ。
巡視船が海面などへの威嚇射撃を繰り返した後に、船体射撃に切り替えたのは許される行為である。再三の停船命令や威嚇射撃を無視する不審船を航行不能にさせるための措置であり、国境をまたぐテロや密輸などの国際犯罪に対応するには毅然(きぜん)とした手段を選択肢に入れるべきである。
1999年3月に能登半島と佐渡沖合で起きた朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の「不審船侵入事件」では、自衛隊初の「海上警備行動」が発令されたが不審船の逃走を許した。正当防衛などでない限り、船の乗員に危害を加えることができない規定が壁となった。
このため、海上保安庁法、自衛隊法を今年10月に改正し、領海内で一定の条件を満たせば従来の威嚇射撃だけでなく、船体射撃で相手方を傷つけても免責されるようにしたばかりだった。
今回の船体射撃は領海外のため、同条項を適用できなかったが、逃走防止時などの武器使用を認めた海上保安庁法20条を適用した。結果をみても、不審船は接舷しようとした巡視船に突然乱射し、海保の係官2人が負傷した。その行為は凶悪な犯罪であり、応戦したのも正当防衛に当たるとみてよい。
しかし、海保の要員が負傷、問題の船が沈没し全船員の行方を見失ったという結果には反省すべき点もあるのではないか。自衛隊と海保の連携は円滑だったのか、武器使用のルールが明確だったのか、停船させた後の安全対策は万全だったのか、船員の捜索に問題はなかったのかなど、もう一度確認して海の警固に生かしてもらいたい。
不審船は北朝鮮の工作船との見方があるが、徹底調査を進めて領海侵犯などを防ぐべきである。
<日本経済新聞12月24日付社説より>
■不審船沈没――今後にいかす検証を
鹿児島県奄美大島沖で発見された不審船が丸1日余の逃走のあげく、海上保安庁の巡視船の発砲を受けて沈没した。乗組員約15人は行方不明となり、何人かは遺体で見つかった。
不審船を捕そくして乗組員の身柄を確保し、国籍や日本近海に来た目的などを明らかにすることが望ましかったのは言うまでもない。しかし今回、不審船は再三の停船命令に応じずに逃走し、巡視船の乗組員に向けて発砲して2人を負傷させた。
こうした状況を踏まえれば、巡視船が最終局面で正当防衛を根拠に射撃したのはやむを得ない措置と考える。
それにしても、異様な事件である。武器を持ち、漁船を装って一体何をしていたのか。肝心のその点がわからないもどかしさがある。逃げられないとみた乗組員らが、自ら船を沈めたという見方も出ている。このような武装船が近海に日常的に出没しているとすれば、驚きだ。
99年3月、石川県能登半島沖に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)のものと見られる2隻の不審船が現れ、海上保安庁や海上自衛隊の艦船の追跡を振り切って逃げた。
これを機に、不審船に対する日本政府の対応は大きく変わった。今秋の自衛隊法と海上保安庁法の改正で、日本の領海内であれば、重大凶悪犯罪の疑いなどがある場合、船体射撃で相手の乗組員に危害を加えることも許されるようになった。
今回、領海外であったため改正法は適用されず、逃走防止などを目的とする警察官職務執行法が根拠とされた。過剰反応は慎まなくてはならないが、違法行為の疑いがあれば、法律の枠内で取り得る限りの措置を取るのは当然である。
こうした不審船は今後も続く可能性がある。場合によっては、武装した難民船がやってくることもあるかもしれない。そうした事態に冷静に対処し、やめさせていく能力を身につけることが大切だ。そのためにも、今回の対応の一つひとつに問題はなかったか、検証が求められる。
もう一つの問題は、これが単なる事件で終わりそうにない点だ。
船の形状や乗組員の遺体の救命胴衣にハングルが書かれていたことなどから、今回も北朝鮮の船である可能性が高い。むろん確たる証拠がない限り、日本政府が公式に抗議をするなどの外交問題にはならないであろう。だからこそ、事態は深刻である。
日朝国交正常化交渉は中断したままだ。南北朝鮮閣僚級会議も停滞している。米朝関係も明るい展望は見られない。南北首脳会談や、米国務長官の訪朝があった昨年とは大きな様変わりだ。
不審船の出現と、こうした状況は全く無縁とは言い切れない。北朝鮮を国際社会に引き込む努力は、東アジアの安全保障上なおざりにできない。北朝鮮が対話に向かうよう強く促していくことが必要だ。
<朝日新聞12月24日付社説より>
[拉致問題]「『北』の姿勢には筋も道理もない」
日本国民の神経を逆なでする不誠実極まりない態度だ。
北朝鮮の朝鮮赤十字会が表明した「日本人『行方不明者』の消息調査全面中止」である。
国際社会の健全な一員たろうとする姿勢が、まったく見えない。
鹿児島県・奄美大島近海の日本の排他的経済水域内で行動していた不審船は北朝鮮の武装船の疑いが強まっている。そうであれば、なお一層、重大な疑念と不信を抱かざるをえない。
日本政府の調査では、過去に北朝鮮によって、少なくとも七件十人の日本人が拉致(らち)された疑いが極めて濃厚だ。
日本の国家主権の重大な侵害である。拉致された人はもとより、家族の心痛を思えば、深刻な人道問題でもある。
北朝鮮が拉致を認めれば、他国の主権を侵害した無法者国家と、自ら認めることになる。日本側はやむなく、「行方不明者」として調査を求めてきた。
朝鮮赤十字会は、「拉致は虚構」と強弁し、行方不明者は「北朝鮮内にはいないことが判明した」と言う。
その上で、拉致問題解決の要求を「謀略的な拉致騒動」と決めつけ、これ以上、調査は出来ないと宣言している。
筋も道理もない主張である。
この時期に、こうした挙に出たのは、朝銀信用組合事件をめぐる在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)への強制捜査に対する反発がある、との見方もある。
犯罪を摘発し、法手続きに従って厳正に処理するのは、法治国家として当然のことだ。それを「拉致」問題と結びつけるとしたら、筋違いもはなはだしい。
北朝鮮の出方には、拉致問題を駆け引き材料にコメ支援の引き出しを狙った、揺さぶりの可能性もある。
相手の手の内にはまって、侮られるようなことがあってはならない。
米同時テロ後、北朝鮮の一時の積極外交は停滞し、米朝、南北の関係も手詰まり状況にある。「テロ支援国家」に指定し、厳しい態度で臨む米国に対する激しい非難にも、国際的な孤立を深めていることへのいらだちがうかがえる。
九四年の核開発をめぐる朝鮮半島の緊張は、冷戦終結後に孤立感を募らせた北朝鮮の“瀬戸際政策”の結果だった。同じ行動に出ないとは断言できない。
「よど号ハイジャック事件」の犯人を今もかくまっている北朝鮮は、日本から見ても、明らかにテロ支援国家だ。
核開発疑惑やミサイルの開発、配備などが、地域の平和と安定を脅かしている状況にも、まったく変化はない。
日本は、原則的立場を堅持し、毅然(きぜん)とした態度を貫かなければならない。
<読売新聞12月24日付社説より>
■産経抄
「長漁3705」と書かれた国籍不明の不審船の正体は、報じられるように北朝鮮工作船だろう。東シナ海に沈んだ原因も、専門家が指摘するように巡視船の射撃ではなく、“自沈”によるものではないか。
▼証拠品が水没してしまったのはまことに残念だが、海上保安庁巡視船の慎重にして毅然とした対応は大変良いことだった。領海でなく排他的経済水域にも主権的権利や権限はある。相手の攻撃でけが人を出しながら任務を遂行した。二年前の“苦い教訓”が生かされていた。
▼不審船の国籍が北朝鮮であってもなくても、この国に対しては警戒を怠ることはできない。米中枢同時テロが発生した時、北朝鮮もテロ非難声明を出すには出した。しかしそれはいかにもへっぴり腰で、明らかに口先だけのものでしかなかった。
▼そりゃそうだろう。テポドンやノドンによる威嚇、核開発、爆弾テロ、日本人拉致それに今度のような工作船の暗躍など、北朝鮮は革命路線と戦争志向を隠そうとはしていない。米国は北を「テロ支援国家」と認定した。つまりこの国に対する太陽政策は完全な失敗だったのである。
▼日本も五十万トンのコメ支援をしたが、拉致問題は結局何一つ進展はしなかった。おかしなことといえば、不審船報道でも、NHKはじめ多くのテレビやラジオは相も変わらず北朝鮮を「朝鮮民主主義人民共和国」などと言い換えている。このこっけいさ、あるいはばからしさ。
▼正式呼称をというのなら、中国は「中華人民共和国」、韓国は「大韓民国」と言い直さなければならない。活字なら読み飛ばすことができるが、音声ではいちいち耳に障って仕方がない。一体だれの顔色をうかがってこのばかげた言い直しをしているのだろう。
<産経新聞12月24日付産経抄より>
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【2001年世界】
もうこれは、9.11ショックをおいて語れない。アメリカ、ニューヨークで始まった21世紀最初の大戦争。
戦争の世紀として記録された20世紀が終わり、新しい世紀は人類のさらなる飛躍の100年になるのでは、そんなことが2001年の最初には言われていたはずだ。だがそれは、富める国の傲慢でしかなかったことが始まって9ヶ月に満たずに証明されてしまった。21世紀なんて節目は、西暦を使うものたちにとってしか意味がなかった。西暦を使わない欧米を恨む者にとって、世紀の節目なんてものはなんの意味も持たない。結局世界は、昨日のことを繰り返すしか出来なかったのだ。
戦争は終わらない。終わらせたくない人間がいるからだ。それは、宗教的、思想的背景に関わらない。人の業、支配者のエゴ、被支配者の熱狂、それらを利用するこの世界最大の黒幕は誰だ。
日本の2001年を振りかえるにもっとも象徴的な事件は、12月22日奄美大島沖の不信船騒ぎかも知れない。同時多発テロを経て、日本はその法の根本である憲法の致命的な欠点、その問題を先送りにしてきたツケを一気に支払わされた。最早、9条改正、自衛隊のあり方、国際協力の手段など、日本という枠組を語るに必要不可欠な議論を避けて通れなくなった。2002年の日本は、女帝議論→天皇制のあり方を含めて、憲法論議が盛んになるのではないだろうか。これは予測ではなく願望だが。
中国のWTO加盟、北朝鮮の態度硬化、台湾情勢、そしてイスラム教徒を多く抱えるアジアの国のアンチアメリカニズムへの情勢不安。来年のアジア情勢は近年に無いくらい大きく変わるはずだ。日本という国は、どんなに声高にグローバリズムを叫んだところで、日本という枠組の次にアジアという枠組で語られる。アジアでの役割、アジアでの強さ、それが世界の中での日本の役割を決める。それが良きものになるか、悪しきものになるか。日本を舵取る人々と、それを選ぶ国民の資質が問われる。・・・・・・どうにも明るい展開が見出せない現状が残念だが。
新大久保駅転落事故、えひめ丸沈没、李登輝訪日、新しい歴史教科書、小泉内閣誕生、池田小学校児童殺傷事件、そして同時多発テロにアフガン戦争。ここに書ききれない多くの出来事と、人間たちの喜怒哀楽は、その全てを記録することも記憶することも、ちっぽけな一個人には出来ないが、決して忘れるべきものではない。人間は、常に社会から、世界から教訓を得ているはずなのだ。その教訓が噴出したときに、始めて世界は2001年の最初に期待された、新しい世界へと踏み出せるのかも知れない。
平和な世界であって欲しい。そう語り、そう祈る人々の気持ちは、無駄なものではないのだ。
【2001年ネット】
もう今年はテキストサイトの年。これに尽きる。2ちゃんねる?確かに今年もいろんな話題を振りまいたけど、ワシの中では2000年が2ちゃんねるの年だったので、今年ははずす。ノミネート外。
もちろんテキストサイトの年となったキッカケは、侍魂の先行者。3月の中頃だったか、(2ちゃんを始めとした)アチコチの掲示板類にアドレスのコピペ。そして一気に膨れ上がった侍読者。まさに、爆発、という感じだった。このいわばマーチインパクトは、今までたいしてネットに繋いでいなかった人を呼び込んだ。
それまで、ReadMe!上位サイトといえば、ニュース系が定席だった。1位:裏ニュース(閉鎖)、2位:TECHSIDEっていう感じだったかな、ワシの記憶が確かなら。いわゆる『テキスト系』ってのは上位にありこそすれ、今のようにTOP100位の半数以上を占めるには至らず、そもそもHIT数自体がTOPの裏ニュースで50000、2位はその半数のHITで、それ以下は10000行く日もあるかな、くらいだった(ように記憶している)。それが、侍魂の出現が出現し、『テキストサイト』という存在が認知されるにいたって、それまでにも活躍していたテキストサイトも日の目を見るようになった。また同時に、侍魂を真似た模倣サイトが数多く出現し、その多くはスタイルだけを真似たネタの面白く無いものが多く、次々淘汰されていった。
侍魂によるマーチインパクトは、いわばネット人口自体の底上げをしたわけである。それは、サイトの閲覧者も、サイトの開設者も、である。ウチ?侍さんトコより2週間早く開設してますが何か?
そしてマーチインパクトのもう一つの効果、それはネット哲学の黎明である。テキストサイトの隆盛で、サイト論、アクセスカウンター論、アンチサイト論、見なければ良い論など、ネットというものに対する一大哲学が展開されることになる。もともと文章コンテンツがメインだからテキストサイトなのである。ネット、そしてWEBSITEというものに対する果てしない論理展開、果てしなく繰り返される反論。両論併記などを考えてたら果てしない数のサイトをリンクしなければいけないので、今はその舞台となったサイト群は割愛するが、意地の張り合いとも見える議論も、有意義な形で集束されていく議論も、ネットを長くやっている者にも初心者にも、この不完全なツールとしてのネット&サイトってもんについて考えるキッカケをもたらしたのではないだろうか。っていうか誰かこの辺の今年の議論の流れをまとめないかしらorまとめたサイト知らないかしら?いや、各論についてはそういうサイトあるのもあるんだけど。
もうひとつ特筆すべきは、ネットウォッチャーサイト&ニュースサイトの急増。老舗のTECHSIDE、sawadaspecial、BWAを脅かす(?)存在として一気にクローズアップされたのが、ヴァーチャルネットアイドル(VNA)ちゆ12歳。もはや説明は不要。ちゆの出現は、ニュースサイトのあり方に対し、一石を投じたのではないだろうか。それまでの、どちらかというと『情報の羅列』型とはまた違う切り口としての、+αさせた『解説』型ニュースサイト。もちろん老舗も解説文はつけてたけど、それはどちらかというと『一言コメント』とでもいうべきもので、それに比するとちゆは深く掘り下げている。この『ちゆスタイル』の確立は、やはり多くの模倣サイト、VNA群を生み出した。
侍魂によるマーチインパクト、ちゆ12歳によるちゆスタイル、これらは決して新しいサイトのあり方ではないのだが、新しいネットのあり方を自然発生させた点で、やはり2001年を総括するに相応しい出来事だと思う。これらのサイトとその派生によってネット人口(ネットにアクセスする人、ではなくネットを利用してアソブ人)が急増し、一般に認知されるに至ったのが、やはり今年のネット界のもっとも大きなトピックスではないだろうか。
余分な追記を記しておくと、別にワシは大手に迎合して書いているつもりは無い。大手サイトってのは、それだけで破壊的な影響力を持つものなのだから、無視してとおることは出来ないだけだ。2ちゃんねるへの好き嫌いと、2ちゃんねるの影響力を語るのは別問題、ってのとおんなじ。
・・・・・・と、ここまでまとめておいて、すっかりインパクを忘れていた自分に、いや、その程度のインパクトしか与えていなかったインパクに呆気。いや、、、一応面白い試みだとは思ったんだけど、、、どうみても失敗だしね、これ。ていうかさ、前も書いたけど、もはやパビリオン形式の博覧会なんて、リアルの世界でもバーチャルの世界でも流行らないよ。。。
ん?1ch.tv?ナニソレ???→★★
【2001年オレ】
もうここまで読んでいる人間もいまい。
2001年。この響きには不思議な魅力があった。ノストラダムスの予言を信じていた小学生の頃、ワシの人生は1999年で終わっていた。2001年という未来は自分の予定にはなく、その先の未来を題材にしたSFなんてのは、夢物語で終わるはずだった。
2001年が時系列として存在することを理解した=ノストラダムスの予言の嘘(というか五島勉の嘘)が分かった中高生の頃、湾岸戦争からバブル経済の終息、そして阪神大震災に松本、地下鉄サリン事件、暗いニュースは思春期の若者の心を曇らせるに充分だった。世の中に対する諦観。世の欺瞞に対する反感。21世紀という数年後の未来に、それらを解決するきっかけを求めた。2001年という25歳のはずの自分に、懐に収まりきれない夢を重ねていた。
今、実際に21世紀、2001年を迎え、そして終えようとしている。これは不思議な感覚だ。人型ロボット、宇宙旅行と行った夢物語が次々実現し、世界はやはり暗いニュースに溢れ、そしてワシはここに生きている。昔に比べて、さらに大きな夢を抱きながら。
個人的なことを言えば、当たり前だが多くのことがあった。出会いはもちろんだが、諍いをキッカケに大事な人との別れもあった。永遠に再会できなくなった人もいる。イベントやデザインの仕事をこなし、失敗をし、それでもなんとか会社を抱えたまま年を越えることが出来た。自分の夢へ向かう手段としてサイトを開始し、様々な意見、批評をいただき、文章を書きつづけ、ささやかながら一周年を迎えようとしている。
自分に何が出来ているのか、何が出来るのか、たかが四半世紀を生きただけの若造だが、アクティブに求めつづける姿勢を失わず、新しい年を迎えよう。これまでの25年を受容し、また新しい一年を受容しよう。
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