インデックスホームコトノハPublicPublicログindex>Publicログ2001年1月

▲BACK

コトノハPublicログ2001年1月

2001/1/9 マジギレ首長続出 へ
2001/1/11 マックOS・×(バツ) へ
2001/1/16 裏口入学オークション へ
2001/1/22 よっ!大統領! へ
2001/1/26 ぱわぁぁぁぁどすぅぅぅぅつ!! へ
2001/1/30 ≪緊急批判≫ 新大久保駅転落事故報道の欺瞞 へ
2001/1/31 ≪参考資料≫ 新大久保駅転落事故 各新聞社社説類比較 へ

2001年1月9日 マジギレ首長続出

荒れる成人式、キレる首長 大二郎知事は「出ていけ!」

 新世紀初めての「成人の日」の8日、各地で式典が開かれた。東京都・三宅島の新成人が島民とともに復興を誓う一方で、会場で酒盛りや騒ぐなどして来賓が怒りをぶつける式典も相次いだ。
 高知市の成人式では、来賓としてかけつけた橋本大二郎高知県知事があいさつに立つと、約3000人の参加者のうち数人が「帰れ、帰れ」と手拍子を打ちながら連呼した。知事が「静かにしろ」「出ていけ」としかっても、逆に「お前が出ていけ」と言い返した。知事はあいさつで「彼らもこの日を恥ずかしく思い出す時が必ず来る」と話した。

 高松市で開かれた成人式では、新成人の男性十数人が最前列で持ち込んだ酒やビールを飲み、一部は壇上の増田昌三市長に向けてクラッカーを数発鳴らしたり、投げつけたりした。取材中の記者がロビーで若者から暴行を受けて顔などに軽いけがをし、高松北署が傷害容疑で捜査を始めた。

 最後まで祝辞を読み上げた増田市長は「目立ちたがってやっていることなので、挑発に乗ればかえって面白がると思い、無視した」と話した。

 香川県観音寺市の市民会館であった成人式では、新成人代表の男女2人が「誓いの言葉」を述べている最中、白いプラスチック製の弾(直径5ミリ)数発が壇上に飛んだ。おもちゃのピストルをだれかが撃ったらしい。けが人はなかった。

 宮崎県延岡市では、式の出席者が同級生を焼酎(しょうちゅう)の一升瓶で殴り、延岡署に逮捕された。式が終わった後、無視されたことに腹を立て、トイレに連れ込んで殴ったという。

 埼玉県川口市の成人式「はたちの集い」には、市教委側が事前に要請して警察官25人が会場周辺で待機した。昨年の式典終了後、一部の若者が騒いだためだった。

 市側は「一部の若者の間で『成人式会場で騒ごう』という申し送りがあるようで困ったものだ。礼儀は守ってほしい」と話している。

http://www.asahi.com/0108/past/pnational08010.html より抜粋>

 自分の成人の日の時、市が主催する式に参加したけど、やはりとても煩かったように記憶している。それにしても、この記事も全国から問題の酷かったところを抜き出しているんだろうけど、ここまでいくとむしろ笑える。てか、自治体主催の成人式なんてもはややめた方が良いのでは?と思うよ。こんな場に税金をつぎ込むのは、なんかとても馬鹿らしく見えてくる。

 こういう場があることによって懐かしい友人と会えるというメリットがある。でも、煩くしても「自分の自由だろ」と、個人主義個人主義とのたまう人間なら、自分たちで勝手に集まっていればいいじゃん? わざわざ騒ぎを起こしに来るその神経がどうにも理解できん。結局こういうに甘えながら、その場に対する敬意を払おうとしていないんだな。ほとんどはまだ地方税も納めていないひよっこどもだろうに。

 何はともあれ、今年成人を迎えられた皆様、おめでとうございます。

このページのトップ
この文章への意見などを →掲示板で →メール

2001年1月11日 マックOS・×(バツ)

[サンフランシスコ 9日 ロイター] 米パソコン大手、アップル・コンピュータのスティーブ・ジョブズ最高経営責任者(CEO)は、新しい基本ソフト(OS)の「マックOS・X(テン)」を3月24日に発売し、7月にはこれを装備したパソコン新機種を発売する、と発表した。

 当地で行われた展示会「マックワールド」で発表したもの。

 同社はまた、従来機種より軽量で、15.2インチのディスプレイを装備したDVD内蔵型ラップトップPC「パワーブックG4」がすでに製造段階に入っており、月末までに発売される見通しであることも発表した。

YAHOO!NEWS 2001年1月10日(水) 7時30分 より>

■ チタニウム製、厚さわずか1インチのPowerBook G4を発表 □ PowerBook G4製品情報
アップルは本日、厚さ1インチ(約2.6cm)、重さ2.4kgのチタニウム製のボディをまとった新型の「PowerBook G4」を発表し、モバイルコンピューティングを再定義しました。PowerBook G4は、Velocity Engineを内蔵した最高500MHzで動作するPowerPC G4プロセッサを搭載し、15.2インチ(対角)メガワイドディスプレイ、スロットローディング方式DVDドライブ、5時間連続駆動のバッテリを備えた、フル装備のノートブック型コンピュータです。


■ 733 MHz PowerPC G4プロセッサを搭載したPower Mac G4を発表 □ Power Mac G4製品情報
アップルは本日、最高733 MHzのPowerPC G4プロセッサ、133 MHzのシステムバスおよびメモリバス、用途に合わせた拡張性を提供する5つの拡張スロットなど、新しいパフォーマンスアーキテクチャを搭載したPower Mac G4を発表しました。この新しいPower Mac G4ラインには、全てのモデルにCD-RWドライブが標準装備されています。さらにアップルは、一般用DVDプレーヤーで再生可能なDVDを読み書きできるDVD-R/CD-RW 両用ドライブ、「SuperDrive」も発表しました。アップのSuperDriveは、Power Mac G4の最上位モデルに標準装備されます。

<アップルユーザーニュースより>

 来たね。次のMacintoshが。私は仕事柄WindowsとMacintosh両方使っているけど、やはりMacintoshの新製品情報にはいつもワクワクしてしまう。今回は、OS×とパワーブックG4。OS×は「春に間に合ったんだ!」というのが本音で、パワーブックG4は「やっと出す気になったか!」という思いだ。まあ、前前から噂はあったけど。

 マックOS×は、本当にバツか、それともきちんとテンとして迎えられるか。微妙なところであろう。OS9が予想以上に安定していた実績はあるが、なにしろOSXは今までのマックOSとは概念が違う(らしい)。悪い言い方をするなら、よりWindowsに近づいている。まあ、パブリックベータ版からだけでは断言は出来ないけど。『Apple初期ロットマニア』以外のOSXが欲しい人は、早くとも夏の搭載機販売までは待った方が良いだろう。

 パワーブックG4は、やはり良い商品になっている。パワーブックG3から、満を持しての発売だけに、Appleの力の入れようが分かろうというものだ。この高スペックで、298,000円、398,000円ならお買い得かもしれない。いや、私には買えないけどね。でも、今はiBookの一部も値段以上に使えるマシンになってきているからあなどれない。まあ、iBookはデザインが気に入らないが(笑)。とはいえ、このパワーブックG4も、チタン製って・・・・・・。店頭に並ぶのが楽しみだ。

 しかし、今回のプレスリリースで気になったのは、G4QUBEについてこれといって触れられていないことかな。というか、もしかしたらAppleもQUBEに見切りをつけたんではないだろうか? 初期ロットほとんどが初期不良、マシンの傷は製品上の仕様とまで言われ、とかくデザイン以外では良い話しを聞かないまま、どうやら消えて行きそうな勢いだ。まあ、次のエキスポあたりで改良型をデ〜ンと出してきそうな気もするけど。

 いつか、Macintoshについてはいろいろ書きたいと思う。

このページのトップ
この文章への意見などを →掲示板で →メール

2001年1月16日 裏口入学オークション

ネット競売、何でもあり? 「医学部推薦枠、売ります」 裏口入学、堂々と推奨


 「医学部受験生に朗報! 都内有名私大医学部一般入試特別推薦枠、売ります」。年明け間もなく、インターネット上のオークションにそんな売り文句が躍った。最低入札価格は1500万円。落札すると出品者がこの現金を元手に私大の実力者に工作し、合格がぐっと近づくという。100件以上の問い合わせがあったともいう。怪しいものも売られるネットオークションだが、「裏口入学」も商品になってしまうとは。(藪塚謙一、行方史郎)


 「私大医学部一般入試特別推薦枠」と称する商品は、今月2日、ネット検索最大手「ヤフー」(東京都港区)の「Yahoo!オークション」に出品され、入札期限は9日夜と設定された。記者がまず、「有名私大とはどこか。確実に入学できるのか」と画面に表示されたアドレスにメールを出した。まもなく来た返信は、対象の大学名を特定したうえで、「実力者紹介」の手順を明らかにした。
 「当方は医学部、歯学部専門の指導者集団。2名限定で推薦枠を用意できる。落札金額を元に当方が話を通し、総長にお願いにいく。その上で入試を受け、一般では240点とっても厳しいところを、100点以上とれば合格」


<同会社社員への取材:引用者註>
 記者「個人にカネを渡して入学させてもらうというのは私学でも許されないでしょう」 出品者「半裏口だが、試験は受ける。国公立でもないから法的な問題もない。例えば親がその大学の出身者だと合格しやすい。コネのない受験生に同様の環境を与えるだけ。実態はつかめないだろうが、魚心あれば水心で、確かにこうしたルートは存在する」


<同会社会長への取材:引用者註>
 それでも「裏口」まがいの存在は認めた。
 「ルートはある。だがそれは塾の生徒に『なんとかして』と頼まれて口利きするだけ。謝礼の額も決まっていない。100万円の時もあるし、もっとかかる時もある」
 大学在学時代から予備校の講師を務め、数年前に独立した。「長年の間に関係者の信頼を得て、ルートを持てた」のだという。
 「まず、間に入っていただく先生にお金を渡し、試験の前に事務局長やトップに会う。『本番では頑張りますから』とあいさつし、この時、お菓子にしのばせたりして現金を渡す。大学トップだったら最低でも100万円」
 会長は、手法を淡々と説明した。「試験後、大学側から寄付金額が指定され、それを合格発表までに払い込む。成績が悪いと額が高くなる傾向だ。合格後、再度あいさつして、また謝礼を払う」。この手法でこれまでに約40人を送り込んだという。
 「昨年末も推薦入試で2人を合格させた。ある医師会役員の紹介で総長に会った。事前に100万円、合格後に100万円。役員にも100万円。寄付金は5500万円と指定された」
 塾生の多くは政治家の紹介でやって来る。親は開業医など資産家ばかり。九州のある代議士が熱心に紹介してくれるという。紹介があれば、当然、お礼をする。
 罪悪感は特にないようだった。「親は納得して金を出していますから」と会長は言った。

http://www.asahi.com/tech/jiken/20010115a.htmlより抜粋>

 引用長くてゴメン。これでも記事全文ではなく抜粋なのだけど。改竄はしていないから、抜粋でも大丈夫だよね。

 んで、こんな手段で医学部に入って、あまつさえ医師免状を取ってしまった人間に診察されたいとは思えないやね。というのが、普通の感覚だろう。でも、逆に入学した手段がどうであれ、卒業する時には一人前の医者であれば構わないのかもしれないとも思う。実際に人をカット&ペーストする時にきちんとした技能が身についているのなら、それによって人の命を救えるのなら、大学入試で裏口入学をしたことなんて些細なことだろう。

 医者というのは、人の命を預かる究極の職人といえなくは無い。そこに至る経緯がどうであれ、結果として人を救えていれば良いんじゃないのかな?これが、医師免状の国家試験ならともかく、大学なんていう、職能のための予備校へ入る手段など、裏口でもなんでも良いじゃないかという気はする。問題は、こういう事をやる人間には、おおかた能力かモラルかに問題がある可能性が高い、ってことかもな。そういう人間は、総じて結果を出すことが出来ない(セット思考的だけど)。今年国家試験を受ける東京女子医大に通う友人がいるが、彼女の頑張りは並大抵ではないし、それは他の学生もそうだという。『一般では240点とっても厳しいところを、100点以上とれば合格』で入る人は、このような努力が出来ないから(半)裏口入学という手段をとるのだろうし。

 大学を、職能養成機関と見るか、高等研究機関と見るか。これは両論とも成立するし、でも学部によって傾斜がおこるだろう。これについては長くなるので詳しくは次の機会に譲るけど、医学についてはまず職能養成機関であって欲しいなぁ。でも、新病難病の研究とかも必要だろうし。・・・・・・どっちも重要か。

 ところで『ゆとり教育』っていうんですか?あの文部省・・・・・・おっと、こないだから文部科学省になったんだよな、そこが推奨している、小中高で授業時間やら科目やらを減らしたり、大学入試の科目も減らしてしまうヤツ。アレのおかげで今の大学には、微分積分が必須の理系学科で、高校レベルの微積が出来ない学生が急増し、その授業をやってフォローしているところとかもあるらしい。さらには、大学の授業をまともに受けられない学生のための予備校まで登場したというからオドロキだ。この時代に必要なものであることは、そして無くては困るものだというのはよくわかる。それにしても情けない話ではないか。

 しかし、上の記事で笑ったのは「お菓子にしのばせたりして現金を渡す」ってとこかな。そんなこと本当にやってたんだ(笑)。「黄金色の御菓子でございます」とか言って、ってことは「越後屋、お主もワルよのぅ」は常套句で、さらにさらに・・・・・・(以下妄想続ク)

このページのトップ
この文章への意見などを →掲示板で →メール

2001年1月22日 よっ!大統領!
 ジョージ・W・ブッシュ氏が、第43代アメリカ大統領に就任した。

 泥沼の大統領選挙戦、八年ぶりの共和党大統領、失速するアメリカ経済、焦点を絞られた対日政策、中心の揺れ移る対アジア政策、そして強硬な世界戦略、それぞれで一つの論文が出来そうなくらいのトピックだ。でも、今日は大統領就任演説でちょっと興味を引かれたところがあったので、そこをば。

 私はこれからは述べる原則に従って生き、(国家を)導きたい。すなわち、礼儀正しく信念を貫き、勇気をもって公共の利益を追求し、偉大なる正義と情熱を語り、自己責任を求め、そしてそのように生きる。私は我々の歴史の価値観をもって、我々の時代を守りたい。

 あなたがたがこれから行うことは、政府が行うすべての事と同じくらい重要だ。心地良さよりも共通する善行を求め、安易な攻撃から必要な改革を守ることをお願いしたい。そして、まずあなたの隣人から始めることで、国家に奉仕して欲しい。私はあなたがたに「市民」となって欲しい。それは傍観者としての市民ではなく、家臣としての市民でもない。奉仕の心に満ちた社会、そして個性ある国家を建設する責任ある市民になって欲しい。

日経ネット アメリカ大統領特集 ブッシュ米新大統領の演説要旨より抜粋>

 要するに、「国家としてのアメリカはあんたら庶民の生活を守るから、あんたらも積極的に責任もって協力しいや」ってことだ。同じ言い回しを、具体的には「国家に奉仕して欲しい」なんてことを日本首相の所信表明演説で言おうものなら、即刻ヒダリ系の野党やらマスゴミから総叩きを食らうだろう。現代日本人は、「国家に奉仕する」ということを非常に嫌う。昨年に教育改革に関する教育審議会の中間報告に「国民には奉仕を義務付け云々」とかいてあるだけで、「国家権力による横暴」「徴兵制の復活」などの様々な罵倒がとんだ。確かにあの中間報告は問題だらけだし、上に取り上げた文言にも首をかしげる。しかし、「公共(あるいは国家)への奉仕」とは、それほど忌むべきものなのだろうか? 「権利ばかりを主張し義務を果たそうとしない」という「現代日本人気質」にこそ、問題があるのではないだろうか?

 ワシは、アメリカニズムといわれるものが嫌いだし、その手先に成り下がろうとしている(成り下がっている)一部のこの国を動かしている傀儡政治家や経済人が嫌いだ。しかし、アメリカの国民性や政策には学ぶべきところも多い。その一つが「公共心」である。この大統領就任演説は、アメリカ国民に内在するこの公共心を鼓舞している。別に国家で無くとも良い。まさに「あなたの隣人」に対してから、「奉仕」することを、もっと多くの日本人が学び実践してもいいのではないだろうか? もっとも、会社に勤め、経済活動に参画し、社会のインフラビジョンを整備する作業も、充分に「公共への奉仕」であるのだが。

 まあ、現代日本では、こんなことを言っただけで「右翼」「西尾幹二的」「小林よしのり的」などのレッテルを貼られるのだけど。ちなみに、どれのレッテルも、勉強し参考にしているがワシの立場とは違うことは明記しておく。

 なお、ブッシュ新大統領について報道資料などを調べたい人は、上の演説文も引用したNIKKEI NETのアメリカ大統領特集がわかりやすくまとまっているのでオススメ。

 さて、クリントン前大統領は、「何もせず内政、爆撃好き外交」としての、20世紀最後の大統領としてその名を歴史に残すだろう。クリントンのような人間が二期八年間大統領の椅子に座っていられたのは、ひとえにアメリカ経済が好調だったからだ。もちろん周知のとおり、現在のアメリカの好況を作り出した最貢献者は、グリーンスパン米FRB(連邦準備制度理事会)議長だが、その好況国家の舵取りをしていたのがクリントンであることは事実で、まさに優秀なブレーンに恵まれていたというべきだろう。

 あるサイトで「クリントン前大統領はこれで、ヒラリー・クリントン上院議員の旦那、という身の丈相応の地位に収まれた」と皮肉られていた。なんにせよ、任期が満了したことによって『クリントン政権』を総合的に評価することが可能になった。さて、歴史はこの史上まれに見る無能(というのはあまりにも酷評だが)大統領に、どのような判断を下すのだろうか?

このページのトップ
この文章への意見などを →掲示板で →メール

2001年1月26日 ぱわぁぁぁぁどすぅぅぅぅつ!!

ヒトの限界を超えろ!! 米軍製パワードスーツ(MYCOM PC WEB)

DARPA(米国防総省高等研究計画局)では、歩兵に装着して基礎能力を上げるパワードスーツ「Exoskeleton」を開発している。装着した人間は、100キロの荷物を運びつつ、マラソン選手以上の速さでの長時間行軍ができ、生身の人間では考えられない跳躍能力を得ることができるという。

発表されている研究提案・計画書によれば、同パワードスーツは主に陸軍歩兵が使用するとしており、装着することで主に脚部の力が向上する設計になっている。これにより、通常の人間の力では持ち運べないような重火器を装備しながら、時速25kmで走り続けることができる。ジャンプ能力にも優れ、高さ/幅ともに並はずれた距離を飛ぶことができる。また、想定される使用地域は主に市街地としているが、水などにも強く、泥地やがれき地でもスムーズに歩くことが可能となる。

また、実用性を考え、24時間連続行軍をおこなえる燃料システムと、敵に居場所を悟られないように極めて静かな可動システムを持ち、敵の弾をある程度防ぐ鎧としての効果も備える。こういった性能を保ちながら、総重量は10kg以下を目指す。

現在のところ、可動システムがどうなるのかは不明で、気体の圧力を利用したものや、磁力を利用したもの、メカニカルなものなどが考えられている。装着者の疲労をいたずらに増したり、その行動を制限しないよう、エルゴノミクスに基づいたデザインと、バイオメカニクスを用いたインタフェースが装着されることになるという。

また、これらの性能を統合するために、各種センサがかかとや肩にかかる圧力や現在の状態を逐一チェック、コンピュータで演算後、各パーツにフィードフォワード/フィードバックされる。センサは敵を確実に見つけたり、味方を誤って撃ったりしないためにも使われるようだ。

この研究は、同研究所が60カ月計画で研究を進めており、現在は基礎研究と試作機製作が進められている段階。予定されている研究期間の60カ月の内、48カ月で基礎研究や試作機製作を終了し、コスト・能力的に見込みがある場合は、実戦投入可能なものを作成する予定となっている。現状では商業利用や民生品への利用は考えられておらず、まったくの軍事目的ベースのようで、研究提案・計画書でも「国防のため」という目的が明記されている。

しかし、世の中の技術には、軍事目的で開発されたものが民生で利用されている例は数多い。ロケット、レーダー、コンピュータもその1つ。「市街地」での利用が想定されていることでもあるし、一般人が通常用いる足として利用できる形で商業化されると楽しいに違いない。皆がぴょんぴょん飛び跳ねながら、通勤・通学する姿というのもなんだか幸せではないだろうか。

DARPA
http://www.darpa.mil/

YAHOO! JAPAN NEWS 2001年1月25日(木) 5時0分より全文>

 きたきたきたきたぁぁぁぁ! また一つ、SFが実現する! しかも古来、サイバーパンクには欠かせなかったパワードスーツ!

 とまあ、この記事を読んだだけで興奮してしまったのは、決してワシだけではないと信じています(笑)。コトノハえきすぽの『アトムの子供たち』の項でも書いた、本田技研工業の開発したASIMOといい、このパワードスーツといい、本当にここ最近、SFの素材であったものが現実のものとなりつつありますな。SF、ってのは「サイエンスフィクション」だとか「サイエンスファンタジー」だとかいろんな解釈をされていますが、人間の想像力の生み出した創造の世界のことです。そして、科学はフィクションから産み出されていると思います。

 もともと科学というのは、(もちろん分野によって違いはあるのでしょうが)ある現象に関して、あるいはある技術に対して、まず仮説をたてて、それを実証する学問です。仮説の段階で求められるのは「創造力」です。また、物語に影響を受けた科学者あるいは技術者が、それを実現させようと夢見ることもあります。作家があらたな科学や技術を見て、フィクションを組み立てることもあります。すなわち、科学とフィクション(物語、表現物)とは、まったく同じところから始まっていて、かつ相互に影響しあっているのです。

 作家は夢の世界を言葉で世に送りだし、科学者は夢の世界を技術で世に送りだす。ということなのかな、なんて思ってみたりみなかったり・・・・・・。

 話をパワードスーツに戻そか。本田のASIMOとの大きな違いは、米軍はこの技術を「軍事用」に限定して考えていて「民生用」には考えていない、という点かな。戦争の是非はこの際は関係無いのでおいとくけど、まあ、国防という考えは(平和ボケしている種の日本人には理解され難いようだけど)国家が国家たり得るためには重要な要素なので、その為の技術としてこういうものが開発されるのはよくわかるやね。20世紀の歴史をひも解くまでも無く、人類の技術発展は常に戦争と隣り合わせにあった。それが良いという気は無いけど、その厳然たる事実は認めざるを得ないところだし。軍事技術の民生利用、で一番最近の大きなトピックは、今みんなのアクセスしているこのインターネットだし(笑)。まあ、記事中にもあるけど、もしこの技術が実現したら、間違い無く民生用に流出するだろうね。

 民生用に利用されたらどうなるのかな? まあ、間違いなく鉱工業などの「力仕事」の分野でスレイブ型のモジュール(こういうものはモジュールとはいわんのか?)として利用されるだろうし、あるいはスポーツの分野でもパワードスーツを着て行う競技なんてものが出来るかも知れない。さらに進めば、子供用の遊戯としても使われるんだろうなぁ。「ぱわぁぁぁぁどすぅぅぅぅつ!!」なんて叫ぶと自動的に飛んで来たり。・・・・・・って、どっかで見たことあるものばっかだし。ワシの創造力は、あちこちのSFの寄せ集め程度のものか???(泣)

このページのトップ
この文章への意見などを →掲示板で →メール

2001年1月30日 ≪緊急批判≫ 新大久保駅転落事故報道の欺瞞

 東京都新宿区のJR新大久保駅で三人が電車にはねられ死亡した事故で、ホームから転落した男性を助けようとして亡くなった日本語学校生、李秀賢さん(二六)とカメラマン、関根史郎さん(四七)の葬儀・告別式が二十九日正午からそれぞれしめやかに営まれた。森喜朗首相や伊吹文明国家公安委員長らも参列。日本中から二人の勇気ある行動に多くの賛辞や香典・見舞金の申し出も寄せられ、反響は大きく広がっている。

 午後零時十五分ごろ、森首相が葬儀会場に姿を見せ、焼香し、李秀賢さんの両親に「日本の若い人たちの手本となるような息子さんの行為に敬意と弔意を表します」と伝えた。両親は目に涙を浮かべながら「ありがとうございます」と語った。

 父親の李盛大さん(六一)にはこの日、金大中韓国大統領からも「ご子息の不意の事故の知らせに接し、悲しみを禁じえません」という弔意が届いた。

 葬儀には森首相のほか、河野洋平外相や加藤紘一自民党元幹事長らも訪れた。

 関根さんの葬儀も二十九日正午から横浜市港北区の葬祭場「エヴァホール新横浜」で営まれた。新宿署の宇佐見範夫地域官が弔問に訪れ、関根さんの母親の千鶴子さん(七六)に警視総監感謝状を贈った。

Sankei-Newsより抜粋>

 この事故について、というよりも、この事故により派生したポイントは以下の点だ。
(1)新大久保駅で酔っ払い氏の線路への転落があり、それを救助しようとして線路に降り立った二人の合計三人が進入してきた山手線に轢かれて死亡した。
(2)救助しようと降り立った二人、カメラマン氏韓国人留学生氏の死が、美談としてマスゴミに報道されている。
(3)特に留学生氏の葬儀に、漏り総理大臣始め政治家が列席した。

(1)新大久保駅で酔っ払いの線路への転落があり、それを救助しようとして線路に降り立った二人の合計三人が進入してきた山手線に轢かれて死亡した。

 実はこれでもう報道されるべきことは終わっている。あるいは一歩踏み込んで、「新大久保駅の転落した地点には避難スペースが無く、また人が落ちたことを感知するセンサーも無く、安全面で構造上の問題点があった」。更にもう一歩踏み込むなら、「駅には列車非常停止ボタンというものがあるので、もし目の前で人が転落したらすぐにそれを押して電車を止めるように」。もちろん押せば必ず助かる訳でもないが(列車は急に止まれない)、少なくとも被害を押さえる手段になる。これで、本当に報道されるべき内容は尽きた。

(2)救助しようと降り立った二人、カメラマン氏と韓国人留学生氏の死が、美談としてマスゴミに報道されている。

 この事件は、よく夏場に起こる「海で溺れている人を助けようと飛び込んで、一緒に溺れてしまった」事故と、本質は変わらない。感情的には、彼らの行動には勇気ある行動と思う。心の底から、ご冥福をお祈りしたい。しかしはっきり言ってしまうが、救助しようとして線路に降り立った二人の行動は、実は勇気ではなく無謀である。遺族のコメントとして流れた「相手も救えず、これでは無駄死にだよ」という、カメラマン氏の母親の一言(1月28日朝日新聞天声人語より)、この一言がこの事故の全てだ。人を救助するには、まず自分の身の安全を確保しなくてはいけない。人命救助の基本である。亡くなった二人には、もっと別の手段があったのではないかと問いたいし、あなたたちが降りなければ悲劇は最小限ですんだんだと思わざるにはいられない。

 しかしマスゴミは、彼らの行動を「美談」として報道し、それにつられた人たちが見も知らぬ故人の葬儀に参列し、報道各社には、お見舞金を送りたいという問合せが殺到しているらしい【Sankei-Netより】。普通の感覚で考えるならば、遺族にとってこれは迷惑以外の何者でもない。それでなくとも葬式を一つやるのは大変だ【フューネラル参照・・・・・・?】。予想外の人がくることによっててんやわんやになり、まさに故人を偲ぶところではなくなるだろうし、お見舞金を送られても、お返しを考えなくてはならないし(送ったほうが望まなくともそのような余計なところにまで気を遣わなくてはいけなくなる)、本当に遺族にしてみれば「ほおっておいてくれ!」と叫びたいところだろう。普通の感覚ならば。

 さらに、報道に非常な偏りがある。クローズアップされるのは留学生氏の身辺だ。最初に転落した酔っ払い氏やもう一人のカメラマン氏は、たいして報道されていない。遺族としてはそのほうがありがたいだろうが。てか、とあるニュースキャスターが酔っ払い氏のことを非難するコメントをしていたのには驚かされたが。とにかく、留学生氏に注目が集まっている。これは陰謀論といわれるかもしれないが、特に韓国と日本との関係がサッカーのワールドカップだの歴史認識などで芳しくないこの時期、この事故について韓国を持ち上げようという報道協定があったとしてもワシは驚かない。日本マスゴミの自虐的な姿勢ならば、このような形で媚びを売ることは充分に考えられる。それでなくとも、マスコミ各社には、自分の命をなげうって人名を救助した人の報道に関してガイドラインがあるといわれている。ヒューマニズム信仰の強い日本国民に心地よく、韓国に媚びることも出来る、この両者を両立する報道として、今回の事故は都合が良かったに違いない。・・・・・・と、ここまで言うと、陰謀論と言われるんだろうけどね。

(3)特に留学生氏の葬儀に、漏り総理大臣始め政治家が列席した。

 通夜に福田官房長官が出席したという報道を見たときに嫌な予感はしていた。しかし、本当にやってくれたね、この馬鹿総理は。この人はいったい、総理大臣という仕事をなんだと思っているのだろう? 線路に転落死した見も知らぬ人の葬儀に一国の国家元首(法学的にみて厳密には、日本の国家元首は天皇なのだが、便宜上、実権上ということでこういわせてもらう)が出席する。この馬鹿漏りは、国家元首という肩書きの持つ権威を失墜させつづけてきたが、今回は極めつけだ。

 まあ、韓国の金大中大統領が弔辞を出すというのは、多少大業な気がしないでもないが、まだわかる。日本の国家元首も、例えば海外で邦人が航空機事故で亡くなったら「弔辞を出す」ことはまったく構わないだろう。

 しっかし、馬鹿漏り総理である。こいつは日本国を代表し背負っている国家元首ではなかったのだろうか?通常国会も始まり、処理すべき重要な職務が山積みのはずじゃなかったのだろうか?そりゃあ遺族も「ありがとうございます」としか言えないよ。迷惑だよ、この人。「普通の国」であれば、こんな馬鹿なことはそうそうないよ。はっきり言うが、この出席はただの政治ショーに過ぎない。それに利用された韓国人留学生のご遺族の方に、こんな政治家を選んでいる日本国民として心からお詫び申し上げたい。まあ、馬鹿漏りはワシの選挙区ではないが、我々日本国民の選出した国会議員であることは違いない。

 しかも、コメントがまた愚鈍だ。「日本の若い人たちの手本となるような息子さんの行為に敬意と弔意を表します」。馬鹿漏りは、ワシら日本の若者に、無謀な救助で命を落とせ、と言いたいのだろうか?留学生氏の人命救助の気概は手本にするべきかも知れない。しかし酷な言い方だが、彼の行為は手本になるものではない。その辺、馬鹿漏りはわかって発言しているのだろうか?このままだと、下手したら、馬鹿漏りは留学生氏に勲章でも与えるんじゃないか、なんて馬鹿な想像までしてしまう。それ以上に現実的な想像としては、教育改革審議会の答申で「国民皆奉仕活動制」が盛り込まれているが、この発言がその実現の為の布石ではないか、というもの。まあ、そこまでいくと深読みのし過ぎかもしんないけどね。

 そして、韓国人留学生の葬儀にのみ出席し、もう一人の救助に入ったカメラマンのところにはいかない。ここには明らかな、韓国との外交に配慮したつもりの、作為的な意思が見える。もちろんこんなことで、日韓関係が良好になるわけが無い。しかし、外交センスの無い馬鹿漏り総理と側近と外務省職員なら考えそうなことだ。もちろんそうだとした場合、やはり馬鹿漏り総理の出席は政治ショーということになるが。

 無いと思いたいし、憶測でこのような仮定を出すのは遺族に失礼かも知れないが、今後遺族がJR側に賠償請求とかしようものなら、それこそマスゴミは自分たちの「煽った罪」を自覚すべきだろう。鉄道法では、線路内に進入し列車の運行に支障を与えた場合、鉄道会社はその人に対して(あるいは当人が無くなっていればその遺族に対して)賠償請求が出来ることになっている。実際、列車への飛び込み自殺をした人の家族は「列車の運行を妨げた」賠償として、数百万円の請求をされている。つまり、賠償すべきは酔っ払い氏、カメラマン氏、留学生氏の遺族なのである。しかしこのままの世論では、間違いなく「JRが遺族に賠償すべき」となるだろう。万一そうなった時に、マスゴミはどう報道するのだろうか?世論は今回の事件だけを特別視するのだろうか?だとしたら、その時法治国家が崩壊し、日本は放置国家になる。法の適正な適用は法治国家の大原則だからだ。さて、この事故、というより事件の顛末は、どうなるのだろうか。。。

このページのトップ
この文章への意見などを →掲示板で →メール

2001年1月31日 ≪参考資料≫ 新大久保駅転落事故 各新聞社社説類比較

 ワシは批評を加えません。皆さんが読んで、皆さんなりに考えてください。よろしければ、その意見を掲示板メールでお聞かせください。


山手線事故 巨大な「称賛」の渦に戸惑う

 「勇気とは何なのだろうか」
 26日夜、東京・JR山手線新大久保駅で起きた事故で考え続けていることだ。

 酒に酔ってホームから転落した利用客を助けようとしてカメラマンの関根史郎さんと、韓国から留学中の日本語学校生、李秀賢(イスヒョン)さんの2人が線路に飛び降りた。3人とも電車にはねられ死亡した。
 身をていして、転落者を救おうとした。自己犠牲を感じさ人もいるだろう。同時に、2人のとっさの行動でもあったろう。
 関根さんと李さんの死を悼み、勇気ある行動と称賛する声が広がっている。李さんのホームページに韓国や日本の若者らから寄せられた哀悼のメールは、10万件を超えた。
 森喜朗首相が遺族へ贈った書状にも「真に勇気ある行為を心から称(たた)える」と書かれてある。

 まず、自分自身に問う。その時、現場にいたら、2人のように線路に飛び降りただろうか。
 思わず惨事から目をそらしただけだったかもしれない。胸の奥底をじっとのぞいて見ると、2人の勇気への共鳴とともに、戸惑いも潜んでいることに気がつく。
 ちょうど同時刻ごろ、埼玉県朝霞市の東武東上線の朝霞台駅でも同じような事故が起きていた。大工さんが線路に転落し、自分ではい上がろうとしたが、電車とホームにはさまれ死亡した。
 ホームには利用客は約50人いたが、彼らの行動には戸惑いは、感じなかった。

 事故に巻き込まれ、亡くなった2人の親にとって、かけがいのない息子たちだった。「正義感と責任感がが強く、優しかった」という。
 2人の人柄を伝える記事を読み、中国の孟子が説いた人間が本来持っているという四つの感情を思い出した。惻隠(そくいん)(哀れみ、痛ましく思う)、羞悪(しゅうお)(不善を恥じ、憎む)、辞譲(目上にへりくだり、譲る)、是非(正邪を判断する)である。経験で、よりはぐくまれたのであろう。
 亡くなった2人のような人物がたくさんいれば、電車にわざわざシルバーシートを設ける必要もないのだろう。そんな人物を死なせてしまったことの無念さ。2人の行動に対する称賛の渦からは、そんな思いも伝わってくる。
 駅ホームからの転落は、珍しい事故ではない。国土交通省の調べによると、全国で年間130件前後が発生し、30〜40人が死亡している。駅のホームに線路と隔てるさくのホームドアが設けられていれば、せめて転落で電車が自動的に止まる検知マットや線路に避難できる場所があればと、悔やまれる。

 戸惑いを感じることは、もう一つある。それにしても、渦があまりにも大きいことだ。

 私たちは、勇気や善意、正義感に飢えた社会に生きているためだろうかとも、考えたりする。
 自分の身を顧みない自己犠牲への称賛も、大きな渦に含まれているようだ。これには戸惑いより違和感を覚える。
 自己犠牲を求め、それが勇気だという。この不幸な事故を何かに利用しようとする思惑さえ伝わってきて、羞悪のなさを感じている。やめてもらいたい

(毎日新聞 01-29-23:33)

毎日新聞 1月30日 社説


1月28日 ◇天声人語◇

 〈心の優しいものが先に死ぬのはなぜか〉と詩人、中桐雅夫は歌った。ニュースの詳細を知って、この一節が鮮烈に浮かんでくる。東京のJR新大久保駅で、ホームから転落した人を助けようとした2人の男性が、電車にはねられて亡くなった。

 「彼ならやるかな」。その1人、カメラマン、関根史郎さん(47)の知人が語っていた。「生きるのが下手だった。何でも一生懸命だった」とも言った。もう1人、韓国からの留学生、李秀賢(イスヒョン)さん(26)の友人は「弱い人を見ると放っておけない、彼らしい行動だった」と、しのんだ。

 とっさの場合どう振る舞うかに、人の本質がしばしば表れる。2人はちゅうちょなく、見ず知らずの男性を救うために動いた。なかなかできることではない。が、ここに、それをした人たちがいた。心ふさぐことがらが充満しているなか、ポッと明かりがともった。

 人間は素晴らしい一面を持っている。よくないことをする人もいるが、善い人も少なくない。いや、善い人の方が多いに違いない。そんな気持ちになってくる。けれども、無念きわまりないことに命が消えてしまった。限りなく高い代償である。

 きのう、現場のホームに立ってみた。折からの雪で、ホームの端はひときわ滑りやすい。線路に落ちかねない。ホームの幅も広くはない。右、左と、つぎつぎ電車が入ってきて、出て行く。あらためて怖かった。

 この駅だけが特殊なのではない。全国の駅の、これが日常の風景である。利用者はつねに危険と隣り合わせている。実際、転落事故は後を絶たない。ホームの下に待避できる余地を設けるのも大切。さらに、ホームに転落を防ぐさくを作るといった方法も真剣に考えるべきだ。

 「相手も救えず、これでは無駄死にだよ」。のこされた関根さんの母、千鶴子さん(76)のことばが頭を離れない。

朝日新聞 1月28日 天声人語>


春秋

 先日、芥川賞に決まった堀江敏幸さんがパリ近郊で暮らす中国からの移民や留学生の街を『おぱらばん』という作品に描いている。「以前」を意味する今あまり使われないこのフランス語が異郷の中国人たちの間で生き続ける機微に、作家は澄んだまなざしを投げかけている。

▼東京のJR新大久保駅で線路に落ちた男性を助けようとして電車にはねられ犠牲となった2人のうち李秀賢さん(26)は、韓国からの留学生として日本語を学びながら、アジアなど各地からきた外国人があふれるこの街で働いていた。目の前で起きた事故から見知らぬ客を救おうとして巻き添えとなった若い命に、哀悼の渦が広がっている。

▼留学や仕事で異邦に暮らす時、人は異文化のもとでの孤独や言葉の不自由から他人や地域との共生の感覚を阻む心の壁を作るが、李さんはもう1人の犠牲者のカメラマン、関根史郎さん(47)とともにためらうことなく危険に身を預けた。いまや日本人同士にも希薄な自己犠牲の心を隣国の若者が命をもって教えてくれたことに言葉もない。

▼炭鉱への強制労働で連行された祖父をはじめ、代々が日本と深くかかわってきた李さんは「韓国と日本のかけはしに」と大学院進学を目指していたという。そのホームページにはきのうで20万件を超す哀悼のアクセスがあった。社会に正義と勇気を呼び起こしたこの事故が、国籍のるつぼのような街で起きたことも深く記憶する必要がある。

日本経済新聞 1月30日 春秋


主張 教えてくれた「自己犠牲」

【山手線事故】
 東京のJR新大久保駅で、ホームから転落した人を助けようと線路に飛び降りて亡くなった二人の男性の勇気をたたえる声が広がっている。産経新聞社には読者から「二人にこそ勲章を」といった意見や、遺族あての多くの見舞金が寄せられつつある。

 結果的には転落した人を救えないまま二人とも犠牲になったわけで、家族や友人たちの悲しみはそうした言葉だけでいやされるものではない。「わが身のことを第一に考えてほしかった」というのも、偽らざる気持ちかもしれない。
 しかし、それが決して「無駄な死」ではなかったことも強調しなければならない。「勇気」だとか「自己犠牲」の尊さを身をもって国民に教えてくれたからである。

 とりわけ、韓国から留学していて事故に遭遇した李秀賢さん(二六)の場合、異国の地でまったく見も知らぬ日本人を助けようと、ちゅうちょなく線路に飛び降りている。韓国で育った李さんのこのとっさの行動こそ、戦後多くの日本人が失ったものだった。

 友人たちによれば李さんは「人が困っているとき助ける勇気をもった人だった」という。しかし、そうした「勇気」は一朝一夕に身につくものではない。子供のときから家庭や学校、社会ではぐくまれていくものなのである。
 戦前までの日本の教育も、家庭であろうと学校であろうと、わが身を犠牲にして弱い人や困った人を助けるという勇敢さを育てることをひとつの眼目としてきた。
 犠牲といっても、必ずしも命を捨てるということではない。家族や社会のため、時としては国のために奉仕する気持ちを養うということだった。また社会もそうした行動をたたえてきた。そうであってこそ、とっさの場合の勇気も生まれてくるのである。

 しかし、戦後の教育においては、こうした勇気だとか自己犠牲を「国家主義につながる」として廃棄してきた。その結果、自分のことしか考えられず、社会のことをかえりみない若者や大人を育ててきたのである。
 先ごろ森喜朗首相の私的諮問機関である「教育改革国民会議」が学校教育への奉仕活動の導入を打ち出したのも、遅ればせながら、こうした教育の原点に返ろうとしているのである。

 森首相は二十九日の李さんの葬儀に列席し哀悼の意を表した。このうえは二人の崇高な死に十分に報いる措置をとってほしい。また国会での施政方針演説でもその勇気に敬意を表明し、国民にこうした精神の復活のための教育改革を呼びかけるべきである。

産経新聞 1月30日 主張>


1月30日付・編集手帳

 JR山手線新大久保駅での痛ましい出来事は人々の心を揺さぶった。亡くなった関根史郎、李秀賢両氏に、警視総監感謝状、警察協力章が贈られ、政府も森首相名で「勇気をたたえる」書状を届けた

◆それもいいが、お二人の犠牲に国として報いる叙勲制度は働かないのか。そう考えて、内閣府賞勲局に聞くと、勲章ではなく賜杯を贈る準備を進めているそうだ

◆昨年六月の、新潟県入広瀬村での事例がある。山で遭難した男性の遺体収容作業に協力中、雪崩で命を落とした地元の山岳救助隊員で旅館経営の浅井乙一氏(当時七十三歳)に賜杯(木杯)が贈られている

◆複雑な叙勲制度の中に、賜杯(銀杯と木杯)があり、「勲章に替えて授与する」と規定されているというのだが、これもわかりにくい。近年では、他にも消火活動に協力中、犠牲となった民間人に木杯授与の記録が残る

◆もう一つ、褒章制度がある。各褒章のうち、紅綬は「自己の危難を顧みず人命を救助したる者」が対象だ。忠実にこの規定を読む限り、まことに悲しいことに、該当しないという

◆叙勲基準は「国家または公共に対する功労」を基本理念に掲げている。どんな行為が最大級に報いられるべき「功労」なのか。「官尊民卑」ともいわれる叙勲制度改正では、この論議をもっと深めるべきではないか。

読売新聞 1月30日 編集手帳


このページのトップ
この文章への意見などを →掲示板で →メール

▲BACK

2001 Tomosaku All Rights Reserved
Mail to tomosaku@yscompany.com