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2001年4月5日 <参考資料>社説対決 教科書採択
2001年4月10日 『歴史』はいつでもつくられる
2001年4月13日 人道国家中国???
2001年4月20日 うぇるかむ李登輝!
2001年4月24日 小泉新総裁誕生
先日、平成14年度(2002年度)から使われる小中学校の教科書の検定が終了、結果が公表されました。まぁ、全体的に『ゆとり教育』の名の元、子供の学力の低下を狙っているのか?と穿った見方が出来ますね。これについては、後日資料を集めてからゆっくり書くとして。。。今回の一番のトピックは新しい歴史教科書を作る会執筆、扶桑社刊の中学歴史教科書の検定合格でしょう。
というわけで、イデオロギー問題のときは恒例の、各大手新聞社社説比較!今日のは長いぞ〜〜〜(笑) でも、各新聞社とも笑い所満載ですのでぜひ全部読んでください。
教科書 歴史の直視こそ未来を開く
2002年度から使用される小、中学校の教科書の検定結果が3日、文部科学省から公表された。現行教科書を「自虐的」などと批判してきた「新しい教科書をつくる会」主導の中学校歴史教科書(扶桑社)を含め、すべて合格した。
扶桑社の歴史教科書に対しては、中国、韓国政府が、歴史をわい曲しているなどと懸念を表明したほか、国内からも批判が相次ぎ、検定結果が注目されていた。文部科学省の教科用図書検定調査審議会は、この教科書に137件の検定意見を付けた。執筆者側は、すべて修正に応じ、書き換えた。その結果「ストライクゾーンギリギリに入った」(検定関係者)と判断したわけである。
妥当か否かは見解の分かれるところだろうが、現行の検定制度、基準によれば、そういう判断になることは分からなくはない。不合格にすべきだと主張するつもりはない。
ただ、2点言っておきたい。
一つは、扶桑社の歴史教科書は、教科書として優れているとは評価し難いということだ。検定合格後は、教科書を使う側の採択の問題になるが、中学生が学ぶのにふさわしいものとは思えないのである。
もう一つは検定の廃止を視野に入れた改革に踏み出す時期にきているということだ。自由発行、自由採択にし、使う側の良識にゆだねる方が望ましい。
問題が多い扶桑社版
扶桑社版歴史教科書の原本(白表紙)は、あまりに問題が多かった。まず、検定意見数が他社に比べて突出している。「豊臣秀吉と(スペインの)フェリペ2世は、たがいの強大さを認めていた」のくだりに「そんな事実はない」と意見がついたのをはじめ、誤り、不正確との指摘だけで24件ある。基本的なところでずさんであり、信頼性を欠く。
内容面で問題なのは、日本を美化し、特に近現代史における日本の行動をやむを得なかったなどと正当化していることだ。植民地支配での加害行為や負の側面には、ほとんど触れていない。
日本を悪者にしたくない心情は分からなくはないが、反省し、教訓としなければならないことまで自虐的と排斥したのでは、自らをおとしめる。狭隘(きょうあい)なナショナリズム、排外主義に容易に結びつく。歴史を直視しなければ、他国の信頼を得られないだけでなく、日本の進路を危うくする。
司馬遼太郎氏は、ナショナリズムを「お国自慢、村自慢、家自慢、親戚(しんせき)自慢、自分自慢」と定義し、上等な感情ではないと記している(「『昭和』という国家」)。「この(可燃性の高い)土俗的感情は、軽度な場合はユーモアになるが、重度の場合は血なまぐさくて、みぐるしい」とも述べる(「この国のかたち」)。
白表紙にある「日本列島では、四大文明に先がけて『森林と岩清水の文明』があった」「(鎌倉美術は)イタリアよりはるかに早い、日本のバロック美術といってよい」などは軽度なお国自慢だろう。
しかし、日露戦争後の情勢について「日本には、大国としての義務と協約の中で進む以外の、いかなる道も残されていなかった。こうした国際政治での日本の苦しみを、当時の中国人や朝鮮人は理解することができなかった」というあたりになると見苦しいものになってくる。
検定は、これらを「理解し難い表現」などとし、修正させた。一般の書物なら問題にならないが、教科書だから、独自の史観の非常識さがあぶり出されたことになる。検定の皮肉な成果といえよう。
見過ごせないのは、「つくる会」が、自らの史観を広める運動の舞台を学校としていることだ。いかなる歴史認識を持とうと自由である。議論を戦わすことも自由だ。ただ思想信条にもかかわる微妙な問題を教育の場にストレートに持ち込むのは好ましくない。まして検定でクギを刺されるような独善的議論を生徒に押し付けるならば無用の混乱を生じる。相当書き換えられたとはいえ、とても薦められる教科書ではない。
ナショナリズムは、政治や経済がうまくいかない閉塞(へいそく)状況の時に火がつきやすい。教育改革国民会議の席で、浅利慶太委員は「うっ積した日本の状況は、右の人が火をつけると一気に爆発して右傾化すると見ている」と発言。教育基本法改正論議について、「国家至上主義的考え方や全体主義なものになってはならない」との表現を報告書に残すことの重要性を強調した。
司馬氏は「ナショナリズムは、本来、しずかに眠らせておくべきものなのである。わざわざこれに火をつけて回るというのは、高度な政治的意図から出る操作というべきで、歴史は、何度もこの手で揺さぶられると一国一民族は潰滅(かいめつ)してしまうという多くの例を残している」と書き、昭和初年から太平洋戦争の敗北までを考えればいいと注記している。
心して、足元を見つめていかなければならないと思う。
第三者機関で認定しては
今回の検定は、検定制度そのものについて改めて考えさせられるものになった。歴史教科書のように、認識に大きな開きのある分野の検定は難しい。検定意見は正しいのか、意見を付けなかった個所はそれでいいのか、一つ一つ議論すれば、果てしのないものになる。
問題なのは、間接的ではあれ検定に国が関与していることだ。検定意見が国のお墨付きと受け取られても仕方のない面があり、現に政府の姿勢と密接なつながりを持つ。時に恣意(しい)的に陥ることは、過去の教科書裁判でも指摘された。ストライクゾーンは社会情勢に翻弄(ほんろう)されることもあり、必ずしも一定ではなかった。
検定は、最高裁判決でも示されたように、本来抑制的であるべきなのである。理想的には、自由発行、自由採択に近づける方が望ましい。扶桑社版のようなものも含めて自由発行にし、採択の段階で、教育関係者や国民の側の吟味、選択にゆだねる方が、成熟社会にはふさわしい。
一挙にそこまで行くのが無理であれば、専門家の知恵を借りる手もある。国と切り離した第三者機関を設立し、適当と認定した教科書のみ、採択リストに載せる。間違いが多かったり、本質的なところで問題のある教科書は、不認定とするのである。検討してほしい。
<毎日新聞 4月4日付 社説>
主張 幅広い歴史教育の時代【新しい教科書】自由で豊かに語り継ごう
来春から全国の小中学校で使われる教科書の検定結果が発表され、中学社会科(歴史)では新規参入の扶桑社を含む八社の教科書が検定に合格した。横並びの傾向が強かったこれまでの教科書に比べると、各社が特色を出しあうようになった。多様な歴史教育の時代を迎えたといえる。
扶桑社の教科書は、「新しい歴史教科書をつくる会」(西尾幹二会長)のメンバーが執筆陣に加わっている。同会は、現在使われている七社の教科書に事実関係で疑問の多い「従軍慰安婦」の記述が一斉に掲載されたことをきっかけに、自虐的な記述を改め、子供たちが日本に誇りをもてるような教科書をつくろうと結成された。
それが既存の七社に与えた影響は大きい。今回、多くの教科書会社は慰安婦の記述そのものをはずして検定申請した。慰安婦記述を残した社も「従軍」という不正確な表記を削除した。南京事件についても、「二十万」「三十万」といった誇大な犠牲者数は申請段階からほとんど書かれなくなった。検定で書き換えられたのではない。
もちろん七社の中には従来の編集方針を変えなかった社もある。また扶桑社の教科書には慰安婦の記述はない。慰安婦や南京事件に限ってもこれだけ幅広い記述が登場し、いずれも検定に合格したのである。
これからは、全国約五百カ所に分かれた教科書採択区での採択の段階に入る。採択は、各採択区を構成する市町村の教育委員らによって決定される。従来は、現場教師らの人気投票に当たる「学校票」や特定教科書の「絞りこみ」の結果を、ただ追認するケースが多かった。しかし、社会科などの教科には依然、特定のイデオロギーに偏った反体制的な教師が多く、現場だけには教科書の採択を任せられない状況がある。教育委員の主体的な判断と見識が問われるときでもある。
検定中の扶桑社の教科書に対しては、内外からさまざまな圧力が加えられた。だが、文部科学省は冷静に対処したといえる。昨秋、元外交官の検定調査審議会委員がこの教科書を不合格にするよう電話や手紙で他の委員に働きかけていた問題では、この委員をただちに配置転換した。今年二月下旬、朝日新聞がこの教科書の白表紙本の内容を批判的に報じ、中韓両国が不合格などを求めてきた際も、同省は動じることなく、粛々と検定を進めた。
≪外圧にはなお警戒を≫
首相官邸も、日本の検定制度を守る姿勢を貫いた。当然とはいえ、国益に沿った対応である。ただ、外務省だけは中韓両国の不合格要求を「内政干渉ではない」として傍観するなど、外圧に弱い体質をさらけ出した。
これからも合格した教科書をめぐり、何が起きるか分からない。昭和六十一年、高校歴史教科書「新編日本史」が中韓両国から批判を受けた際、官邸と外務省は両国の要求を一方的に受け入れ、文部省(当時)に押しつけた。その結果、新編日本史は異例の合格後四回の書き換えをさせられた。こうした悪しき前例を繰り返さないためにも、官邸と文部科学省には引き続き、外圧に屈しない毅然とした姿勢が求められる。
今回の教科書検定でも、中国や韓国などに配慮した記述を求める検定基準「近隣諸国条項」が広範囲にわたって適用された。昭和五十七年の「侵略」を「進出」に書き換えたとする誤報事件をきっかけに設けられた基準である。これにより、日本が中国や朝鮮半島で行ったことについて、「侵略」「強制」などの記述には検定意見をつけられなくなった。
≪近隣条項を見直すとき≫
記述のバランスを取り戻すという検定本来の機能が失われたマイナス面は否定できない。近隣諸国条項の当否や運用のあり方について、もう一度、成立当初の原点にさかのぼって論議する必要があるのではないか。
歴史は、自然科学のような法則に支配されているわけではない。祖先の活躍と挫折の歩みをありのまま学び、それを国の物語や思い出として後世に語り継いでいくものである。国際化が進む時代であるからこそ、子供たちが日本の歴史と伝統文化を愛し、同時に外国の歴史と文化にも理解を示す豊かな心を育てる教育が必要なのである。
<産経新聞 4月4日付 主張>
[歴史教科書]「『公正な検定』に理解を求めよ」
内外の注目を集めていた「新しい歴史教科書をつくる会」メンバーの執筆した中学歴史教科書が検定を合格した。
文部科学省の検定調査審議会は、この教科書に異例の百三十七か所の検定意見を付けた。申請段階でいかに問題が多かったかが分かる。
単純な間違いもあったが、一面的でバランスを欠いた記述も多かったという。しかし、そのすべてを執筆者側が修正したため、審議会で合格とされた。
原文と修正文とを比較してみると、全体的に、特定の考えを自明のこととして押し付けているような記述が、客観的な表現に改められている。検定は厳正にその役割を果たしたと言っていい。
結果的に、慰安婦などこの教科書にはない記述、逆に神話のようにこの教科書だけ突出して詳細な記述もある。しかし、検定がよるべき学習指導要領と検定基準上は、いずれも問題はない。
この教科書は確かにユニークだが、それを欠点というわけにはいかない。むしろ、日本における言論の自由、多様性の表れと見るべきだろう。
今回の検定結果に対し、中国と韓国は反発を強めている。文部科学省は今回初めて中韓両国の在京報道関係者に発表資料を提供し、直接説明もした。日本の制度と国情について理解を求めるこうした努力はさらに続ける必要がある。
両国と日本の国民感情に行き違いが生じるのは、互いに不幸と言うほかない。日本側の努力と同時に、中韓両国にも日本への正しい理解をはぐくむ教育を求める姿勢が、今後は重要だ。
今回、検定に合格した中学歴史の教科書は八冊ある。そのうちのどの教科書を学校で実際に使うか決める「採択」を巡って、早くも「つくる会」とその反対派が、さや当てを演じている。
採択の権限は市町村の教育委員会にあるが、現実には教師が選んでいる例が多いという。しかも、それは特定の教師に偏り、必ずしも大多数の教師の意見は反映されていない。
教育委員会は機能を強化し、採択のゆがんだ実態を改める必要がある。例えば父母の代表を委員に加えるなど教委の陣容を見直し、採択が幅広い視野で行われるようにしなければならない。
文部科学省は教科書に関する宣伝活動を禁止しているが、これも改めた方がいい。オープンに論じ合う形で競争が展開されれば、採択にも助けになる。
検定、採択を通して、教科書制度はもっと開かれたものになっていい。高い透明性はとりもなおさず、国際的な説得力を増すことにもつながろう。
<読売新聞 4月4日付 社説>
アメリカでのこと。韓国の留学生が日本の植民地支配、非人道的行為を口をきわめて非難した。聞いていた日本人の女子学生は「全然知らなかった。ごめんなさい」と泣いて謝ったという◆歴史の基礎的事実を学ぶことがいかに大切か。自らの知識に基づいて、謝らなければならないこともあろう。もし、相手が誤解、誇張していると考えたら、反論することも必要だろう◆日韓の留学生の話は、文春新書「日本外交官、韓国奮闘記」から引いた。著者の道上尚史(みちがみひさし)氏はソウルの日本大使館勤務のころ、両国の相互理解を求めて韓国の人々と議論を交わし、新聞にも投稿した体験などをつづっている◆無知、偏見は双方にあり、日本側にはそれをただす説得力が不足していると、道上氏は記す。事実上の国定教科書で「国史」を学ぶ韓国の人々には、日本の教科書の検定制度を理解してほしい◆扶桑社の「中学歴史」でも、原文と修正結果を比べると、検定の果たした役割がよくわかる。多様な歴史観が共存する日本で、むしろ教科書の在り方に一石を投じた意義を認めたい◆歴史認識と言うと、その一致はかくも難しいが、とりわけ近現代史についての知識は若い人たちも積み重ねてほしい。日本がアジアの近隣諸国でどう振る舞ったか、どう償ってきたか。相互理解はそこから始まる。
<読売新聞 4月5日付 編集手帳>
※引用者註:これは読売の社説ではなく編集手帳というコーナーですが、テーマが同じでしたので、社説と併せて記載しました。
「つくる会」教科書――やはり、ふさわしくない
来年度から小中学生が使う教科書の検定が終わった。「新しい歴史教科書をつくる会」主導の中学歴史・公民教科書も、修正のうえ合格した。
国の検定はできるだけ控えめであるべきだ。多様な教科書があってよい。
しかし、国際化がさらに進む次代を担う子どもたちには、事実を多角的に認識し、自分の頭で判断する力をつけてほしい。
その点で「つくる会」教科書は、なおバランスを欠いている。教室で使うには、やはりふさわしくないと思う。
●歴史の見方が一面的だ
たとえば、戦争を日本に都合よく見ようとする偏狭さである。第2次世界大戦下、日本が占領した地域の代表者らを集めた「大東亜会議」に1ページを割くなど、アジアの解放を導いた、とする姿勢は検定を経ても変わっていない。
天皇中心の視点も際だっている。神話を物語として紹介する域を超え、「神武天皇の東征伝承」などをルート地図まで入れて、7ページにわたって載せた。戦前の国定教科書と見まがうほどだ。
他方で、庶民の史料は軽視し、各時代の女性や子どもの生活ぶり、アイヌや琉球文化などの記述が少ない。
繰り返し光を当てているのは、特攻隊員の遺書など、国家への献身だ。まず国家秩序ありきの考え方が色濃い。
滅私奉公を美徳とするかのような社会観は、公民教科書にも貫かれている。
各国の憲法を引用して「国民の崇高な義務として国防の義務が定められている」と強調する。口絵には、日本と中国の間で領有権問題が起きている尖閣諸島に代議士が上陸した写真が使われた。
「ナショナルな感覚が、高度情報社会に対する抵抗の砦(とりで)」と書き、「『国民の歴史』を振り返る」ことが大切だと結ぶ。
グローバリゼーション(世界化)の過程にさまざまな問題があるのは事実だ。しかし、その大波に対して、過去を肯定するナショナリズムで対抗しようというのは、あまりに後ろ向きではないか。
国際社会の未来について、他社の教科書の中には、生徒の作文を素材に「世界が一つになるのは無理」「やる気になれば可能」などの意見を紹介し、考えてみよう、と呼びかける工夫をしたものもある。
文部科学省が授業の基準とする学習指導要領も書いているように、「広い視野に立って、多面的・多角的に考察し、国際社会に生きる民主的、平和的な国家・社会の形成者」を育てることこそ、大人に課せられた責任である。
「自虐史観の克服」の名の下に、戦争の加害などの負の部分を覆い隠そうとする。子どもをそんな温室に閉じこめたら、指導要領のめざす「国土と歴史に対する理解と愛情」もひよわな形でしか育つまい。
そもそも、教材としての水準にも疑問なしとしない。「気韻生動」という美術を批評する言葉や、「『市民』が『公民』から分離する」などの言い回しは、大人にさえわかりにくい。中学生に理解しやすく伝える、との配慮に欠けている。
●検定をもっとオープンに
検定の途中で、「つくる会」教科書の原本、いわゆる白表紙本が「流出」したと、国会で問題になった。しかし、教科書会社が白表紙本を手に学校を回るのは珍しいことではない。検定終了まで秘密が守られているかのように振る舞う、本音とたて前の乖離(かいり)は、不毛な混乱を生むだけである。
むしろ、「密室」といわれてきた検定過程を、白表紙本の当初からの公開も含め、もっとオープンにすべきではないか。
これから、各地の教育委員会で教科書を選ぶ採択の段階に入る。
21世紀を切り開いていく子どもたちを育てる教科書だ。教育委員会まかせにせず、現場の先生はもちろん、親も、住民も関心をもち、声をあげていく必要がある。
<朝日新聞 4月4日付 社説>
この中では、ワシは比較的バランスの取れている、言い方を代えれば玉虫色とも言える(笑)読売新聞の社説に激しく同意。逆にいただけないのは朝日新聞。相変わらずだねぇ〜。もっとも、実際にこの歴史教科書を読んで見ないと、公平な判断はしかねるがね。
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歴史は「真実」か「物語」か。教科書は「言論の自由」に保証されるのか「教育のツール」として管理されるべきなのか。最近の歴史論議の争点だ。
歴史、とは実に多用な「解釈の学問」である。そのことは、市中に溢れる歴史関係の本を丁寧に読み解いていけばすぐわかる。現実の世界でおこったことはたった一つしかない。なのにその『事実』は様々に解釈、説明付けされる。あるいはその事実であるはずのことですら、本当に起こったことなのか捏造されたことなのか、曖昧なことがある。
『事実』は当然一つしかない。しかしその『事実』を知る人間はその場にいたものだけであり、残る大多数の人々は例えテレビでの同時中継にしろ、伝聞の形でしかそれを知ることは出来ない。いわんや過去の歴史をや、である。伝聞である以上、そこにはどのような形であるにしろ、伝える人間(メディア)の恣意的な要素が交じってしまう。かくしてたった一つの『事実』は様々な『解釈』のもとにその身をさらすことになるわけだ。
まぁ、その『歴史の特殊性』については、以前書いている(2001年2月26日 自由主義史観 その1)ので詳述はしない。ただここで確認しておきたいのは、歴史とはいかにあやふやなものか、ということだ。それが歴史の魅力的なところでもある。だから、歴史は「真実」か「物語」か、という二者択一は「どちらでもない」と言えるだろう。(特に既存の)歴史学は真実を求めた物語になっているというのが、ワシの観点だ。
では、今問題になっている歴史教科書はどうなんだろう? いうまでもなく、歴史教科書とは子供たちに歴史を教えるためのツールであり、テストや入試で「正しい」答えを導く為の指標である。いいかえれば、歴史教科書で学んだことは、それが本当のことであるかどうかは別にして、テストでの正しい解答になるわけだ。
余談になるが、ワシはそもそも歴史のような『解釈の学問』を、選択式のテストで解答を求めるというやり方が問題だと思う。歴史をテストに出すのならば、いずれの問題も記述式にして、その歴史的事象にまつわる背景の説明や、至った経緯、あるいは解釈の違いによる争点などを書かせる。つまりは、問題になっているその歴史的事象に関して、きちんとその周辺事情を理解しているか、をきちんと書かせるやり方でないと、とてもではないがテストとして成立しないように思える。
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ワシは、(新しい歴史教科書を作る会のものに限らず)様々な資料を見るに、やはり今までの教科書はいわゆる左傾化をしていたと思う。
その点で、上記朝日新聞の社説の主張は間違っている。既定の教科書の偏りを指摘しないで、新しい教科書についてのみ「バランスを欠いている」と指摘するのは、結局のところ自分たちのイデオロギーに与しない勢力への非難に過ぎない。
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しかし、扶桑社刊の教科書(新しい歴史教科書を作る会作成)は、その左傾化した教科書に、右傾化したものをぶつけただけ、というNewsWeekJapan編集主幹藤田氏の指摘が、まさにこの問題の本質だろう。今の時代に右翼だの左翼だのという単語を使うのも馬鹿らしいが、どこでも指摘されているとおり、この問題は教育を受ける子供たちを置き去りにしたオトナのイデオロギー論議になっているのが最大の問題点である。
先述の通り、歴史教科書とは、子供たちにテストで正しい答えを書かせる為のものである。ワシはそれが正しいとは思わないが、今の日本の教育システムでの現実がそうなのだから、認めざるを得ないところだろう。今の日本の教育システムの中で言うのなら、ワシは歴史教科書に『言論の自由』なんて与えるべきではないと思う。また、その点から今回の文部科学省による検定作業は、既定のものであろうと新規のものであろうと、特定のイデオロギーに偏らなかったという意味で、比較的公平に行われたと評価している。
扶桑社刊の新しい歴史教科書にしても、(実際に内容を見ていないので流れている情報からの憶測だが)修正に全て応じ、検定を通過したことによって、さほど問題は生じないのではないだろうか。朝日、毎日の左傾マスゴミの攻撃や、中国、韓国などによるあからさまな内政干渉は、この教科書の中身ではなく、新しい歴史教科書をつくる会の運動そのものに対するものだと考えたほうが妥当だろう。
多用な歴史教育、という名のもとに行われるイデオロギーのぶつけ合いが、いかに子供たちにとって迷惑か。もし多用な歴史教育をするのなら、日本の試験、少なくとも入試科目からは『歴史』をはずすべきである。
まとめると、
一.現状の教育システムのもとでは、言論の自由などに拠った教科書作りはすべきでない。=検定制度は存続させるべき。
一.しかし理想としては、教育システムそのものを変えてしまい、入試から『歴史』をなくして、より多用な歴史教育をするべき。
でも、テストに歴史が出ないとなると、やっぱり歴史を学ぶ子供はいなくなるのかなぁ・・・・・・なんて心配になってみたり(笑)。
この話題、朝日新聞社の欺瞞やら、中国、韓国による内政干渉の問題やらでまだまだ書けそうだなぁ。。。
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米乗員が中国を出国、拘束問題解決 米中軍機接触事故
米中の軍用機接触事故で、中国政府に拘束されていた米偵察機の乗員24人は12日解放され、米政府の民間チャーター機で午前7時半(日本時間同8時半)、中国・海南島の美蘭国際空港を出発、グアムに到着した。米軍機に乗り換え、米太平洋軍司令部のあるハワイに向かう。米機が緊急着陸して以来12日目で、米中間の最大の問題となっていた米乗員の拘束問題が解決した。
米中両国は18日からサンフランシスコで、事故原因や機体の返還、中国近海での偵察飛行中止など残された問題を協議する。だが、米国は機体の早期返還を求める一方、偵察飛行は続ける方針で、難航するのは必至だ。
中国政府は米国側が事故に対する「おわび」を示したなどとし、人道主義などを理由に乗員たちの出国を許可する決定を11日夜に発表。これを受けて、同省に派遣されている米大使館員らは、中国側との出国手続きの協議に入った。12日未明に中国側との最終的な出国手続きを済ませた模様だ。
<asahi.comより抜粋>
何人かから「取り上げないの?」と言われつづけた今回の事件。まぁその理由は、基本的にワシは、日本が直接関係しない事件はあまり取り上げない、ってなスタンスだからかな。情報化の進んだ今の時代、世界のどこで起こった事件(正確に言うと、世界のどこかで起こったもので、かつマスゴミに取り上げられた事件)であっても、日本という国にまったく影響を与えないわけはないんですが、このコトノハPublicでは、より、日本に近い話題を取り上げたいのでね。
も一つの、より大きな理由は、乗組員帰還のタイミングを待っていたということなんじゃけどね(笑)。
さて、ここまでは余談で・・・・・・(爆)
今回は、アメリカ及び中国の軍事行動の是非については書きません。そんなことしたら、裏取りだけで何週間もかかっちゃうよ! ので、政治学の側面から簡単にコメント。
中国に対して強硬姿勢をとることを明確にしているブッシュJr.政権ですが、今回の件により、今後中国に「人道的な問題」をつきつけにくくなりました。中国側が今回の件を立てにとり、「中国はアメリカのためにこれだけ人道的なことをしているじゃないか」と言ってくるのは、猿にでもわかるであろう国際政治の論法です。
実際、チベットだのウイグル自治区だのを見るに、中国が人権国家などとはワシはツユ思っていませんがね。ある雑誌の記事によれば、人民解放軍による1953年のチベット侵攻を「チベット解放」と書いているマスゴミは、世界でも人民日報と日本の新聞社だけだとか(苦笑)。
今回の事件、偵察機にとっては無理をしてでも公海上に不時着したほうが、乗組員にとってもアメリカ政府にとってもまだマシだったのかもしれませんね(もちろんその場合中国の軍艦に拿捕されていた可能性もあるけど)。
さて、中国国内で鬼の首を取ったかのように「アメリカは責任を認め謝罪した」と報道されていたようですが、アメリカの認識は違うようです。
「謝るべきことは何もない」 軍用機事故で米国務長官
パウエル米国務長官は11日夜、訪問先のパリで記者会見し、米中軍用機の接触事故が米中関係に与える影響について「深刻な問題となる前に食い止めたと思う」と述べた。中国側に渡した書簡で「非常にすまない」と表現したことについては、謝罪ではないとの認識を示した。
パウエル長官は「謝罪は何か悪いことをして、その責任を認めたことを意味する。私たちは何も悪いことをしていないので、謝るわけにはいかない」と語った。米軍機が中国領内に無許可で着陸したことについては「操縦士は危険に直面し、機体はひどく損傷していた。操縦士は乗組員の生命を救った。(中国には)非常にすまないが、その行動はよかったと思う」と正当化した。
長官は「まだことは終わったわけではないし、これから始まる交渉もあるだろう」と述べ、機体の返還を中心に、事故原因の調査、偵察活動の是非などをめぐる交渉が本格化するとの見通しを示した。そのうえで「何日か、何週間かの間に道筋も見えてくるだろう。取り返しのつかない状態にはなってはいない」と強調した。
<asahi.comより全文>
あぁ、こいつらも汚い(笑)。
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<李台湾前総統>政府、ビザ発給へ 医療目的に限定
政府は19日、心臓病治療のため訪日を希望している台湾の李登輝前総統に対し、医療行為に行動を限ることを条件に査証(ビザ)の発給を認める方針を固めた。李氏側から条件受け入れの確約が得られた段階で正式決定する。18日夜、福田康夫官房長官が森喜朗首相の意向を河野洋平外相に伝え、外相も大筋で了承した。李氏訪日には中国が強く反対しているが、政府は人道上の配慮からの措置であることを伝え、中国の理解を求める考えだ。
李氏は24日に岡山県倉敷市で心臓治療のため医師の診察を受けることを希望。首相は当初から査証発給に前向きだったが、政府・与党内の反対論でいったんは先送りに傾いていた。
しかし10日、李氏は民間の窓口である交流協会台北事務所にビザを申請。日本政府は申請の事実そのものを否定したため、李氏は15日台湾で記者会見し、日本政府を批判するなど問題がこじれていた。
このため首相は人道上の観点から医療行為に限定した発給の検討を改めて河野外相に指示。外相は慎重姿勢を示し続けたものの、一切の政治活動を控える確約が李氏側から得られることを条件に判断に従う意向だ。李氏側も診察への日程限定に同調するとみられ、22日の入国、24日の診察が有力視されている。
李氏は昨年秋にも長野県松本市で開かれたシンポジウム出席を検討したが、その際には中国側の反発などで見送った。中国は李氏を私人としては認めず入国は「台湾は中国領土の不可分の一部」とする中国の立場を尊重した1972年の日中共同声明に反する、としている。政府は同共同声明の堅持を改めて中国に伝えるが反発は必至だ。また、同問題では自民党橋本派と公明党が慎重論を展開、与野党の超党派議員が首相に発給を求めていた。
これに関連し、福田官房長官は19日の記者会見で「(18日の)首相の会見を受けて外務省で早急に方針を決定し首相官邸に報告に来ると思う」と述べた。また、陳健駐日中国大使は同日、首相官邸に福田長官を訪ね、「(本国の指示として)李登輝の訪日を認めない」と伝えた。
<Yahoo!Newsより全文>
まぁ、今更ワシが語ることは余り無いやね。中国の行動は明らかな内政干渉で、いかに卑怯な外交をしてくるかがわかったし、政府の対応はニ論に分かれ、これで政治家内での売国奴と国士がよくわかった。それだけで李登輝前総統の行った「問題提起」は、日本国民にとっても意味のあることだったと思う。
ワシは今回の件が、人道上だの政治問題だのとは思っていない。マスゴミや日本政府、外務省が複雑な問題にしただけだ。
>陳健駐日中国大使「(本国の指示として)李登輝の訪日を認めない」
えぇ、あんたの国に認めてもらう必要はありません。日本の問題ですから。やっぱりワシには、一応民主主義国家の国民として、大国とはいえ市場も政治も閉鎖的な国の顔色をうかがって、一つの国を民主主義国家に持っていった英雄の入国を拒否しようとする日本政府の対応は理解に苦しむ。
あ、でもワシはね、今回のビザ発給騒ぎで、李登輝側は明らかに政治的意図、ていうか、政治的影響を考慮した上での騒動だと思うよ。口に出しては「人道的」云々言っているけどね。台湾の独立への布石として日本を足がかりとするため、またアジアの耳目を台湾に向けさせるように、そして、日本企業の投資を誘うため、それら様々な効果を計算した上での行動だと思う。それくらいのしたたかさは持ってると思うな。あの老獪な英雄は。彼の略歴を読むとそんな気がしてくる。
で、いいんですよ、政治的意図を持っていても。だって、日本は言論の自由のある国じゃないですか。李登輝氏に「政治活動は絶対させない」旨の誓約書を、外務省は迫っているらしいけど、これも民主主義の否定だよね。言論封殺。李登輝氏の発言が日本の国益を損なうか、と言ったら、中国との政治的関係は確かに悪化するだろうけど、果たして長期的に見た場合、どちらがより有利か。中国の恫喝外交に屈しない姿勢を示すことこそが、10年20年後のアジアでの日本を見据えた時に、もっとも国益にかなうことじゃないのかしらん?
@マスゴミ
一番正論を吐いてたのは、実は毎日新聞。これは議論系のサイトではかなり話題になった。今まで毎日といえば、こういうイデオロギー的報道においては朝日のケツを追うだけの偏向左翼だと思われていたんだけど、今回の件ではしっかりとした社説で、中国の内政干渉を許すな、という内容だった。逆に、いつもなら声高なのに今回おとなしかったのは産経新聞。これまた意外だったね。朝日はいつも通り。中国とのことばかり気にかけている。もう逝ってください。結局朝日新聞は、中国人民日報日本語版のことなんでしょうかね?
@政治家
今自民党総裁選に出馬している四氏の反応は、橋龍=発給反対、小泉=発給反対から容認へ、亀井=発給絶対賛成、麻生=発給賛成、でした。特に亀井氏の発言は痛快。漏り総理に対して、「反対しても森喜朗首相が決断すればそれまでだ。首相を去るにあたって、きっちりと国際社会の中の日本の姿勢を示して退くと確信している」「ビザを発給しないで首相の座を去るとすれば、末代まで消すことができない汚名を残す」と迫ったとか。
今回の件では、漏り首相と亀井政調会長を評価。ワシも散々ヴァカにした漏り総理だけど、教科書問題、李登輝問題では毅然とした態度をとってくれて良かった。まぁ、もともと彼への批判は、政治手法ではなくマスゴミ対策の下手さ加減にあったわけだけど。
逆に、橋龍経済担当相、野中前自民党幹事長、河野外相、福田官房長官、「そんなものは出さない」とのたもうた外務省の槙田邦彦アジア大洋州局長、そして社民党、公明、共産党は、まとめて中国国籍を取得してあっちの国へ逝ってしまえ。この売国奴どもが。
今回ばっかりは、先日の偵察機事件での、アメリカの毅然とした外交が羨ましくなったよ。。。
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/三三三ミミミミヽ
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李登輝氏に命のビザを! |
★☆★余談★☆★
今回の件、現時点(4/20 13時)ではまだ入国が決まったわけじゃありません。日本政府は誓約書にサインをするという条件付だし、李登輝側代理人は「そんな屈辱的なサインには応じられない」ということで。まったくケツの穴がちいせぇなぁ、日本政府よ。
★☆★余談2★☆★
今回の件については、李登輝氏 訪日問題 賛否議員リストのサイトに、良くまとまっています。2ちゃんねるがキッカケのサイトだけどね(笑)。題名通り、賛否議員のリストも載っているので、次の選挙の際の参考にしてはいかが?
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小一時間ほど前、今日の13時57分に、小泉新総裁が誕生した。いろいろゴタクは並べているけど、結局国民の98%以上とは無関係の選挙によって(今回投票した自民党員はおよそ160万人)、明後日からの日本の総理大臣が実質決まった。それでなくても、派閥の論理の解消だのなんだの言っていたが、結局派閥構成員数がそのまま選挙結果に反映されていて、今のところ派閥ってもんは、自民党を動かす論理であることが証明された。
これで7月参院選、自民党は大勝ちしないまでも、そこそこの得票はするだろう。就任して三ヶ月では、よほどのことがない限り失政をすること、マスゴミに反感を買うことはない。あの漏り総理ですら、揚げ足を取られ始めたのは「神の国」発言以降で、支持率が下がり始めたのも就任2ヶ月半後くらいからだった。組閣でよほど国民、というかマスゴミに吊るし上げられない限り、小泉人気は維持のまま、参院選を迎えるだろう。
ただ、やはりマスゴミは恐ろしい。漏り総理の時が如実だったが、ちょっとの揚げ足をすぐ取り上げる。今の日本の国難を打開する為には、多少の政治とは無関係のことなど目をつぶって良いところだし、国民は痛みを伴わないわけにはいかない(この部分に関しては、明言している小泉新総裁を支持している)。それを、また揚げ足取りなどで政治的空白を作る風潮だけはやめて欲しい。
政策が大風呂敷、口だけだろう、などと、テレビのコメンテーターなどはしたり顔で既に様々に批判してこき下ろしているが、ワシは結果を見るまではそんな風に諦めた目で見たくはない。言っていること全てが実現できるか、と言えば、正直小泉新総裁の公約は難しいとは思うが、だったら、やるまえから「ムリムリ〜」なんて言って良いのか? そのように言って国民心理の政治的空白を作るマスゴミの風潮こそ警戒すべきもので、ワシは、結果を見るまでは期待する。
田中真紀子氏が良いことを言っていた。「責任を全て小泉先生に押し付けるのではなく、党員一人一人が協力して自民党を、日本を変えていかなくてはならない」 ワシは、ここは一つその扇動に乗ってみたいと思う。
もう一度だけ言う。始める前から諦めの論調に乗ってはいけない。流れが出来ているなら、その流れに乗ってもいいだろう。そしてかつ、その流れを監視することが、民主主義国家における国民の義務なんだから。
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