インデックスホームコトノハPublicPublicログindex>Publicログ2001年10月

▲Publicログindex

コトノハPublicログ2001年10月

2001年10月3日 世界からテロを根絶する方法
2001年10月6日 テロか事故か・イスラエルはどう動く?
2001年10月17日 戦争とテロの何がいけないのか
2001年10月22日 アレフの自己批判

2001年10月3日 世界からテロを根絶する方法

Address to a Joint Session of Congress and the American People(両院議会及びアメリカ人への演説):ホワイトハウス(英語)えぇあたしゃロクに読めませんよ(笑)米大統領が議会演説、タリバンに最後通告:読売新聞ブッシュ大統領が議会演説 総力戦を宣言:CNN(日本語)

 この世界からテロリズムを根絶する、と息巻くブッシュ君に一つ良いことを教えてあげましょう。この世界からテロリズムを根絶する妙案です。それは、世界中の人々が毎日三食満足に食えるような富の再分配です。(注:富の再分配、といっても、共産主義、社会主義を意味するものではありません) これで、世界の争いの90%以上は無くなると、ワシは確信しています

 当然、世界で一番富める国、アメリカの強力な指導力と実行力が必要です。ワシの私見ですが、世界で二番目に富める国日本は、喜んで協力すると思います。

 ホワイトハウスにメールを出してみようかと思います。ホワイトハウスのパソコンは、日本語に対応してるかな?文字化けしたら間抜けだろうな。つぅか英語で出せよオレ(笑)

 えぇ、この演説には、はらわた煮え繰り返るほど怒ってるよ。だってアメリカからのメッセージは、ひいきめに聞いてもバカ殿の御乱心だぜ。

 今の世界で、名実ともに最高の権力と実力と暴力を持った国、といえば、アメリカ。いわば、世界の独裁者と言っても良い。今までは、独裁者は独裁者なりに、まぁちょくちょくオイタもしてたけど、それなりに『自由』の名の元に異論を認めてきた。

 ところが、「世界の国々は、正義のアメリカか、悪魔のテロリストか、どちらかにつくしかない」ときたもんだ。

 そこでまたぶち切れですよ。お前らなぁ、封建主義の時代ならそんな論理も通用しただろうが、今は21世紀、(ワシの大嫌いな)近代民主主義がはびこる世の中だよ。言論と、思想と、結社の自由(などなど)の認められた社会ですわよ。

 そもそも軽々しく自らを「正義」と呼称することすら胡散臭いのに、複雑に入り組んだこの世の中を善悪二元論化しようと。お前らヴァカか。テロリスト撲滅のために世界が手を組むことと、アメリカが正義であることとは、まったく別次元の問題だ。

 あっ。そうだ。テロリストの撲滅方法を書くんだった。話しを戻そう。いやぁ、あまりにアメリカの『強者の論理』の稚拙さが際立ってたもんで。。。

 冒頭にもいったけど、テロリズムを含めて、世界のマイナス側の問題のほとんどが起因するのは、経済格差、貧困。。。乱暴にひっくるめれば、飯が食えるか食えないか、つぅこと。

 飯が食えない人が、そういう人達を纏め上げる才に長けた、カリスマ的指導者とか扇動者とか煽りすとに捕まり、飯を食える人に対抗する手段が、テロ、ってもんの本質の一端だ。

 つぅかね、飯さえ満足に食えていれば、人間多少の意見の食い違いがあっても、許容できるもんなんですよ。生活に対する余裕、っていうのかな。そういうもんがきちんとあれば、他党支持者だろうが異教徒だろうがそれほど目くじらを立てる人はいない。自分に余裕がないと、そういった「思考」部分をつけ込まれ、殉教のヒーローにさせられる。

 もちろん例外は多々ありますわよ。細かい事例であげていけばキリがない。例えば白人優位主義なんて、富めるもののさらなる傲慢だからね。

 でも、マスゴミではなかなか報道されない、世界の多くの場所で起こっている衝突は、その根源は『飯が食える人への飯が食えない人のレジスタンス』か『飯が食えない人同士の覇権争い』だ。特に後者なんかは悲惨だ。

 だ・か・ら。

 富める国(人)、飯を食える国(人)は、自分達の持っているものを分け与えなさい。恵んでやる、ではない。分け与える、のだ。そこにイデオロギーを介在させてはいけない。あくまで自分達と相手との思想的距離を保ちながらの、厳然たる『』だけの再分配。そして、全世界的な機会均等の社会を作る。

 最後にもう一度言うよ。これだけで、世界の争いの90%は無くなると、ワシは確信をしています

このページのトップ
この文章への意見などを →掲示板で →メール

2001年10月6日 テロか事故か・イスラエルはどう動く?

ロシア機墜落、テロ説も再浮上 原因、依然不明 (CNNより抜粋)
 イスラエルのテルアビブからロシアのノボシビルスクに向かっていたシベリア航空ツポレフ(TU)154型旅客機が黒海で墜落した事件は、発生から1日以上過ぎたが、はっきりした原因は分かっていない。墜落現場から見つかった操縦室のドアからは、銃弾のようで開いた穴が3カ所開あったといい、ロシアの捜査当局はテロの可能性も含めて捜査している。

 この事件、かなり衝撃的な事件のはずなんだけど、いかんせんアメリカの軍事行動に報道の大部分を裂かれてるうえ、日本のマスゴミはその重大さが分かってないのか知らんけど、いまいち取り上げ方が小さい。

 この事件で注目すべきは、イスラエルがどう動くか、ってこと。

 仮にテロだとしたら、もちろん最大の容疑者はイスラム原理主義者(過激派)となるのだろうけど、そうなった時に、果たしてイスラエルはイスラム諸国&パレスチナと和平交渉を進められるのか。それとも中東戦争をおっぱじめるのか。(←センテンスが入り組んでるけど、仮定が二つ重なってます。『仮にテロ』で『仮にイスラム過激派』だとしたら、と言うこと)

 もし中東戦争が始まったら、アメリカのアフガン包囲網もあいまって、事は本当に『第三次世界大戦』へと傾斜していく可能性が格段に高くなる。てのも、イスラム対ユダヤ(イスラエル)、の構図が出来あがってしまったら、アメリカ対テロリズム、の戦いも、アメリカ対イスラム、の戦いに強制シフトさせられてしまう可能性が大きいからだ。

 イスラム教圏からしてみれば、イスラエルとアメリカは同じ穴の狢だ。しかし、実はアメリカはそう見られることを嫌がってる。湾岸戦争の時もそうだったけど、アメリカはイスラエルに『少しはおとなしくしていてくれ』と声を大にして言いたいのが本音だ。まぁそれは、ユダヤ重視クリントン外交のツケになるわけだが。

 今、イスラム諸国がアメリカとテロへの共闘姿勢を保っているのは、アメリカがイスラエルと距離を置いているからだ。細い針の上にバランスを保っている紙のように、ホンの僅かな波風でそのバランスは崩されてしまうほど脆いものだ。

 第三次世界大戦は、いくらアメリカも、兵器産業も望まない。それに、イスラエルの共犯になることも望まない。だから、アメリカはイスラエルを牽制することになる。湾岸戦争に続き、またイスラエルが、アメリカ外交の足かせになるわけだ。

 余談だけど、世界で最もセキュリティチェックの厳しいといわれるテルアビブ空港をいかに切り抜けて実行したのか、ってのも注目されるし。

 仮に事故だとしたら、中央アジアの元ソ連国家は、人口バランスが非常に微妙。人口比で、イスラム系住人も多い。その時に、イスラエルはウクライナとどのような外交決着をつけるのか。イスラエル、つぅかユダヤは、恐ろしいほどに『イスラム』にこだわる。まさかとはおもうが、ウクライナ政府による陰謀論だって、下手したらシャロン政権内で意見として出ているかも知れない。

 どちらにせよ、マスゴミにはモスクワからの事故原因のリポートに合わせて、イスラエル『外交』の外信記事も多く報道して欲しいし、併せて分析しないと、事を見誤ることになる。

このページのトップ
この文章への意見などを →掲示板で →メール

2001年10月17日 戦争とテロの何がいけないのか

 やっぱりワシは今回の戦争を支持しない。特に戦闘行為を支持しない。

(戦争と戦闘行為の別を一応定義しとくと、『戦争』は外交の手段の一つであり戦闘行為を中心にした他国との衝突で戦略的事項、『戦闘行為』は戦争の手段の一つである武力行使そのもので主に戦術的。まぁ、辞書的な意味じゃないがね。ここでは、ってことでよろしく。多分広義としては一般論足り得る思うけど)

 別に闇雲にユートピア論として「戦争反対」を言いたいんじゃない。ヒューマニズムでも、センチメンタリズムでもない。今回の事件を解決する手段として『戦争』『戦闘行為』ってのは賢明じゃない、ってのを言いたいのですよ。

 テロリズムの根絶。ここまでは一緒。目的や良し。問題は方法論だ。

 ワシの考えるアメリカの取るべき方法論は9/14『アメリカの『報復』に反対します』10/3『世界からテロリズムを根絶する方法』でそれぞれ書いたとおり。

 すなわち、アメリカの持つべき勇気は報復のための勇気ではなく、原因の根本を解決するために報復しない勇気であって、根本の解決に必要なのは、世界中への、イデオロギーによらない富の再分配だ。それを先導すべきは、世界で最も富める国アメリカだ。

 確かに、理想論というよりも夢想論、あるいは妄想に近いもんだけど、そんなに悪くない手段だと思う。

 9月11日、死んでいく人をライブで見ながら、人の命が失われていくことへの哀しみを感じた。空爆の報を聞いた時も、あの時と同じ哀しみを味わった。

 そう感じるのは、ワシがアメリカ人で無いからかも知れないし、直接の被害者でいからかも知れないが、死ぬべきでも罰せられるべきでも無い人たちの命は、どこの世界にあっても等価値だと感じる。

 ある程度の民間人の犠牲はやむをえない?そんなはずはない。こちらも民間人を殺されたのだからいいじゃんか?そんなはずはない。

 テロリズムは悪だ。それは制裁されなければならない。しかしその手段として、戦争という悪では話しにならない。戦争が必要悪であることは認めるが、必要悪でも悪は悪。正義の戦争なんて存在しない(この時点で再三に渡る大統領演説は既に破綻している)。

 悪を裁くに悪を以ってするなら、その連鎖反応を断ち切る事は出来ない。アメリカがさらなるテロに見まわれる危険性は、こんな他愛も無い部分からも充分に結論付けられる。

 死にたくない人を強制的に死なせてしまう可能性があるなら、戦争もテロリズムも否定されなくちゃならない。

 だからワシは、ビンラディン始め、世界中の無差別テロを行う組織を非難する。アメリカ始め、戦争を正当化する国家を批判する。そして、それに追随し戦争を支持する小泉内閣を支持しない。

このページのトップ
この文章への意見などを →掲示板で →メール

2001年10月22日 アレフの自己批判

 ここは宗教サイトではありません(;´Д`)。

 宗教法人アレフ代表上祐史浩氏の10月20日日記、『テロ問題について アレフの総合的な見解と今後の行動の提案』は、とても興味深いものだった。興味深い、というよりも、衝撃的、に感じた。少なくともワシには。
 もちろん日記の題名にあるとおり、文章の主題はアレフのテロ問題に対する姿勢なんだけど、その中で、旧教団ことオウム真理教と自分たちアレフが『繋がった団体』であること、それに対する自己批判を巡らせていた。

 何箇所か引用してみるが、なによりは最初の一文だ。(以下≪≫中は引用)

今回の米国テロ事件は、アフガニスタン、パレスチナなど、各地での紛争・衝突に発展しました。この事態を見て、旧教団のテロリズムの十字架を背負うアレフとしてはどうすべきだろうかと考えてきました。

 代表自ら、オウム真理教の犯した罪を以って『テロリズムの十字架を背負うアレフ』を、自分たちの社会的認識を明らかにしている。この一文で、ワシのアレフに対する見方はかなり変わった。一言でいうなら『信用する余地』が出来た。

 自己批判、ってのは、実はかなり難しい。自分の心の内ではやってても、なかなか他人に向けて言うことは無いし、宗教法人であるところの団体が公式の見解としているところに重みがある。ことは居酒屋で酔っぱらって「どうせオレなんかよぉ」というのとはワケが違うのだ。

 もっともその自己批判の中にあっても、≪前代表自身にも、武力革命とかテロリズムが、目的のための一時の手段としては存在していても、絶対的な思想としては存在していなかったと考えています。その証拠に、95年の事件発覚後、弁護士を通して、前代表は、犯罪行為を繰り返さないように指示をしてきました。さらに、破防法弁明手続きでも、同じ主旨のことを明言しています。≫の部分などは、例え事実であったとしても「ふざけるな」と思ってしまうが。「犯罪を犯した後で何を言っているんだ!」と思うが。

 オウム真理教と麻原彰光容疑者が起こしたサリンテロ(と幾つかの殺人)は、どんな前後の事情、理由があろうとも許されるものではない。それは今回のアメリカでの同時多発テロが、例えその背景にアメリカの傲慢があったとしても、それに対するイスラム原理主義過激派の報復行動であったとしても、決して許される行為で無いのと同じだ。

 オウム=アレフ=危険団体、といういわゆる『セット思考』をワシは好まないが、その概念を消すことは困難だし、社会的認知、社会的地位(社会的位置と言い換えても良いけど)というのはどうしてもついてまわる。それを回避する唯一の手段は隠遁くらいだ。しかし、社会の中でやっていこうとしているアレフなんだから、彼らは『社会的〜〜』を回避することはかなわない。

 そんな中で、自らの『社会的〜〜』をきちんと認識し、批判しているというのは、道として正しい方向性だと思う。長く困難な道のりだとは思うが、それだけのことを彼らの『旧教団』は犯したのだから、きちんと果たして欲しい。アレフという団体からどうしても拭い去れない不信感とは別に、ワシはそう思うしその観点からなら応援したい。

 『自己批判』以外の日記の内容にも少し触れておくと。。。

最後に、わたしは、日米などの富める先進国がイスラム諸国・途上国に対して経済支配を深め、搾取をするのではなく、その富を分かち合うことは、途上国のみならず、先進国に本当の幸福をもたらすことだと考えています。
 これは、ワシも幾度も言ってきたことで(世界からテロリズムを根絶する方法戦争とテロの何がいけないのか参照)、禿しく同意。

 誤解を恐れずに言ったという
オウム真理教からアレフに変わった現教団は、社会に深刻な問題があるという旧教団の見解を捨て、現在の社会を称賛すべきだという見解をとるようになったというのではなく、社会に深刻な問題があるというのは事実であるが、それを解決するためにテロリズムではない、非暴力手段をもって対処しなければならないという見解をとっています。
てのも、簡単に支持はしないが方向性としてはわかる。でも、絶対曲解つぅかわざと誤解して批判してくる人もいるんだろうな(笑)。それだけ自分たちの信用性が無いことを、今一度アレフは反省して改善に向けて努力するべきだろう。

 全体として、これはワシも信仰を持っている(神道)せいかもしんないけど、共感とまではいわないが理解できるしそこそこ納得できる。同じくアレフの福井氏が言う≪テロという暴力に対しては、軍事という暴力ではなく、非暴力主義こそが最大の対抗勢力となるであろう、ということが今日の結論である。(10月19日付ムッタ・デーヴァ日記より)≫というのも、ワシの主張と合致している。

 つまり、再三このサイトでも言っているけど、もっとも効果的なテロの根絶方法は『全世界的な富の再分配』。戦争ではない。別に平和主義だのイデオロギーとかで言ってるワケじゃないよ。一番効率的だな、ってだけ。

このページのトップ
この文章への意見などを →掲示板で →メール

▲Publicログindex

2001 Tomosaku All Rights Reserved
Mail to tomosaku@yscompany.com