インデックス>ホーム>コトノハDaily>Dailyログ2003年2月上旬
▲コトノハDaily
2003-2-2 (Sun)Version
そういえば昨日で就社1周年。よくもってるネェ。。。
【アートなサイト(どれも一度くらい紹介した気がしないでもない)】
きぐるみ〜ずドットコム
昔テレビ朝日の深夜(早朝?)番組で初めて見た時は、その脱力系のキャラクターとショートムービーに打ちのめされました。最近では山手線のテレビモニタで、マナー広告を彩ってたりします。今は1984にて活躍中のようです。
パンダマン
これも、きぐるみ〜ずと一緒に放送されてましたが、濃いキャラクターに濃いストーリーで、意味不明のまま終わるショートストーリーに打ちのめされました。こちらも今は、1984にて活躍中?のようです。
Cafe Creators
カフェ・クリエイターズというクリエイター集団の企画や作品です。どれも作りこまれているのですが、特にSKI JUMP PAIRS(スキージャンプペア)が最強っぷりに打ちのめされました。一時2chでも話題になったけど、必見のムービーです。
2003-2-3 (Mon)Version
昔、今は亡き入院中の祖母へのお見舞に、アジの干物を買って行ったことを思い出しました。あたしゃ一体何考えてたのかねぇ。そりゃ祖母も「持って帰って食べなさい」と苦笑するよなぁ。。。
【追悼しつつ】
まぁ、スペースシャトルコロンビア墜落の件なんですけど。
計らずも、先月28日に書いた「犠牲」が、また起こってしまいましたね(同種の「犠牲」は実は四六時中起こっているのだけど、今回は報道が多い分認識し易い)。宇宙開発が、国威発揚の要素を持っているのはその黎明期から変わらず、また冷戦終結後は、その国の技術資本に対する投資指標として見られていたことは周知のことです。ただ、そういったこととは別の次元で、資源の消費を続ける人類は、この先宇宙に飛び出すか文明レベルを後退させるかの二択を迫られるでしょうし(それ以外の道もありますけどね)、そんな中今回のことで、宇宙への熱意(それは世論としての熱意)が萎えてしまうことは好ましくないのではないかな、と。
極端なことを言ってしまえば、ワシらはどんなに「追悼」と書いたり「哀しんだフリ」をしても、それは当事者遺族にははるか及ばないワケで、即日いつものようにいつもの生活をすることができます。当たり前ですよね。そんな無責任な傍観者の生活は、しかし今回のような犠牲の上に成り立っていることも事実で、またぞろ物議をかもしそうな表現で恐縮ですが、ワシらは犠牲となった彼らに「感謝」すべきなのかもしれません。
2003-2-4 (Tue)Version
今週は修行weekです。会社に行きつつ、だけどね。あー、慌しい。
2003-2-5 (Wed)Version
超兄貴公式サイト 何故に今更、っていうか隠れファン(←隠してません)としては超楽しいんですけど。
2003-2-6 (Thu)Version
後輩のサイト(2/5付)でこんなネタが取り上げられてたんだけど・・・・・・ごめん、その番組ウチの提供。現場にもいた。(←なんかイヤですな)
【諍いのタネ】
昨日ね、帰りの常磐線の満員電車で、プチケンカがあったんです。
座ってた人がいきなり立ちあがって、目の前の人の胸倉を掴んで怒鳴るわけです。「オマエ、なに人のカバン蹴ってるんだよ」と。で、言われたほうも言い返すわけですよ。「こんなに混んでるのにカバン突き出してるほうが悪いんだろうが!」と。
二人とも、30代は越えてたでしょうか、良いオトナですよ。それが「蹴飛ばした」「置き方が悪い」と、満員の車内で掴みかかりながら罵り合うわけですよ。ワシの居た位置からは、数人の人の壁があったのでなにも手出しが出来ずにいたら、その二人のそばにいる人が仲裁に入ってなんとか事無きを得たわけですが。
恥かしく無いのかな?と本気で思いました。まぁ、往々にしてケンカの原因なんてのは、傍観者から見たら些細なもので、また傍観者はそれを些細と思える余裕があるから、傍観者足り得るワケで。それにしても、自分たちの姿が如何に滑稽に映っているのか、「蹴飛ばした」「置き方が悪い」の繰り返しをする様が、どれほど自分たちの品性を落としているのか、そんなことすら気付かないんですよね。
思うに、国家間の戦争のほとんども、これと同じことが言えると思います。まぁ、今一番ホットな話題と言うことであれば、それはアメリカvsイラクの第二次湾岸戦争になるわけですが。結構、滑稽だしくだらないと思いますよ、戦争の原因なんて。そして、そう思えるだけの「余裕」を無くした時、それはアジテーションもあれば経済封鎖による物資不足とかも含むんですけど、結局そのタネは大きく膨らんでいくのでしょうね。そしてまぁ、困ったことに国家間の戦争となると、傍観者足り得ないほど、状況が逼迫していたりするのが常ですよね。
ワシは、戦争そのものを否定する論者ではありませんが、二元論に帰趨するなら、戦争は悪であるし、それは必要悪ではなくただの悪であると思います。まったくもって、無いに越したことは無い、というわけで。
2003-2-7 (Fri)Version
さすがに2時寝6時起きが4日続くとなるとキツイ<忙しさ自慢っぽくてカコワルイ。というわけで明日に備えて睡眠。
2003-2-8 (Sat)Version
「パッキャマラド」にはきちんと意味があったんですね。。。(しかもプチブラック)
2003-2-9 (Sun)Version
逆だから!
【イライラの作用】
一昨日も満員電車に乗っちゃったんですけど(普段は余り、満員、の状態には乗らない)。
あの中では、なんというか、こぼれそうな水がコップの縁に表面張力で留まっているような、凄く危険な「イライラの飽和」を感じます。駅での乗降で、人が入り乱れる中、これ見よがしに聞こえる舌打ちが聞こえたりすると、すごくそれが耳障りだったりします。みんなの我慢しているものが、その舌打ちから崩れ落ちそうな、そんな錯覚すら感じます。
満員電車に揺られている時に、だいたいの人が感じているのは、イライラか、あきらめか、どちらかではないでしょうか。それらは発散のベクトルが違うだけで、不満という根幹は一緒なんですけど、その、負の飽和状態っていうのは、ちょっとしたキッカケで壊れてしまうような気がします。キッカケってのは、舌打ちであったりプチケンカであったりするわけですが、そこから皆が罵り合い始めるような、不満をぶつけ合い始めるような、そんな危うさを感じます。まぁ、現実にはそうそう起こりはしませんが。
何かの漫画で、「今の日本人に銃を渡したら、勝手に人殺しを始める。自分たち(暴力団のようなものでした)はそのキッカケをつくってやっているだけなんだ」みたいな描写がありました。その漫画では、それによって社会の弱体化を狙って自分たちの支配力を高めよう、という設定でしたが、あながち的外れじゃないんだろうな、と思います。満員電車にただ揺られているような閉塞感、無力感、諦観、イライラ。その蔓延は、案外簡単なことでお互いを攻撃しあう原因になっているような気がします。
で、何がいいたいかといえば、そうはなら無いように心を広く持ちたいね、って程度のことだったりするのですが。個人のレベルでも、国と国とのレベルでも、ね。
2003-2-10 (Mon)Version
<流行新語を言い戻し> ウザイ→煩わしい/ビミョー→判別し難い/ヤバイ→意外性のある (洒落ですよ)
▲コトノハDaily
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