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コトノハDailyログ2002年4月中旬
2002-4-11 (Thu) Version
「たぁくんの将来の夢はなぁに?」「んーとね。先生と成田離婚!」

【マメヅラ】
 会社からちょっと歩いたところ、人形町の一角、雑居ビルの二階に、素適な喫茶店を発見。名前はカルディ(←個人サイトの紹介ページ)。

 雰囲気も良い、珈琲もかなりきちんと淹れている、ワシの好きなダッチ珈琲もあるし、ケーキは美味しい、烏龍茶カレーなどの試してみたいメニューもある。だけど、なにより気に入ったのは、店員さん(ママさん?でも30代くらい)がお客さん(常連さん?20代後半くらいの品の良い女性)にしていたお話し。

 曰く「珈琲豆には、豆面っていうのがあるんです。細い顔もあれば、ふっくらした顔もある。そんな中で一番良い顔はブルーマウンテンなんです」

 この豆面という言葉、調べてみたら結構普通に使われているようですが、珈琲道楽を自称しながら知らなかった自分の無知を嘆きましたね。そして、それを教えてくれたママさんのいる店が好きになりましたとさ。←相変わらず他人の会話盗み聞き

2002-4-12 (Fri) Version
今日の更新は馬鹿には読めません。だから当然、オレには読めません。ジョークよ、ジョーク。

2002-4-14 (Sun) Version
昨日は翻り昼帰り

【安住の言葉】
 人間は、未知の概念に対し、それを定義する言葉を与えられることで安心する。

 ほんのちょっとだけ昔のこと。まだ「引き篭もり」という単語が一般的でなかった頃、「引き篭もり」の症状だった人たちは、自分たちを定義する言葉が無かった故、家から出ない自分の『状態』に危機感を感じ、社会に乗り出すべく努力を始していたはずだ。

 今、同じ状態の人たちは、自分たちへの呼称として広く知られることとなった「引き篭もり」という言葉を得た。

 言葉が無かった(知られていなかった)頃は、自分たちの状態はどうにも定義されないあやふやなものであり、それ故にその状態から脱しようとしていたが、言葉が広く世間に知られた為に、自分たちの「地位」を表現することが出来るようになり、その言葉に安住し始めた。

 『言葉』を得たことで、その状態の社会性、文化に対する意味合いは一旦脇に置かれて、まさに魚が水を得たかのように、その定義に落ちついてしまう。

 多分世の中に、そんな言葉はいっぱいある。

 そしてその言葉に「安住」し、変化を嫌う人間もいっぱいいる。

2002-4-15 (Mon) Version
昨日30人近くを引率?して葛西臨海公園へ行った疲れゆえ更新は勘弁。

2002-4-16 (Tue) Version
新橋駅で「足元にご注意ください」のアナウンスが「橋本にご注意ください」と聞こえ橋本真也を探したオレ。

【飛んで飛んで飛んで〜♪】
Current U.S. Air Traffic(ネタ元:きになるWeb
 現在の、アメリカ上空の飛行機航行状況が一目で分かります。っていうか超凄いんですけど。超混んでるんですけど。随時更新されているので、たまにリフレッシュを押すと微妙に光点が移動していて、旅夢想家にはタマラン一品となっております。


【ネット&著作権】
BBSの匿名書き込みに著作権認める 東京地裁(ZDnetより抜粋)
 インターネットの掲示板に書き込んだ発言を無断で書籍にまとめたのは著作権の侵害だとして,書き込んだユーザーが,著者と出版社に書籍の出版・販売差し止めと賠償などを求めていた訴訟で,東京地裁は4月15日,掲示板への仮名投稿も著作物に当たると認定,差し止め請求を認めた。
 訴訟では,ネット掲示板での匿名発言に著作権を認めるべきかどうかが争点になった。村瀬氏側は「投稿は創作性が乏しく,著作権を主張できるものではない」「原告らが該当発言の投稿者なのか立証できない」と主張した。
 これに対し東京地裁は「投稿の多くは思想や感情を創作的に表現しており,匿名のネット投稿でも著作物性を否定しない」と認定。


 おそらく、被告の村瀬氏も、原告の「名無しさん」も、『著作権』ってものを前世紀から引きずる概念でしか見ていない。判決を下した裁判所が既成概念でしか語れないのは、法整備の遅れている「デジタルコンテンツ」の「著作権」という問題では、やむを得ない所かもしれんけど。

 眠いので簡潔にまとめるけど、ネット上での情報は、その使用、利用の媒体、形式に関わらず、引用元を明記することでの『Peer to Peer』であるべきではないかと。

 『Peer to Peer』は元々通信環境の用語だけど、広義として『情報の対等なシェア』という意味を含んでいると思ってください。デジタルコンテンツの著作権を語る上で、最近そういう意味付けをされている言葉です。

 話しを戻すと。まず従来の著作権概念は、少なくともネット上の文字媒体については無意味。容易にコピーペーストが出来て、パクリなのかオリジナルなのかを特定することは困難なのがデジタルコンテンツだ。ネットの存在が、旧来の土俵を変えてしまったのである。現代の著作権論議は、ボクシングのリングで相撲をとるようなもんだ。

 これは、現状ではほとんど倫理規定になってしまうのだが、『ネット上の情報を引用する』ことが社会通念として何ら問題無いことだと認知され、その上で引用者は必ず引用元を明記する。ネット上に存在する全ての(とりあえずは文字媒体)情報は、ネットにアクセスできる全ての人(これは将来的に全人類であることが望ましい)の共有財産であるべきだ、というのがワシの考えだ。

 ちなみに、この考え方自体にも引用元があって(笑)、今は亡きハカイダー河上イチロー氏の論説(現福井利器氏)を元にしている。つまり、こうやって情報や論理の出所を、出来るだけ明記するわけだ。(個人的な点で補足しておくと、ワシは情報出所の所属や立場に関わらず、有用な『情報』そのものに着目する→Policy参照)

 そもそも『著作権』というモノ自体がまだ曖昧なものであり、各国の法整備や国際条約でも、改定や補則事項の多い法律なのである。まだまだ未成熟なこの権利は『著作権概念』といったレベルでしか無い。

 文字媒体も、それ以外の情報媒体(音楽、イラストなど)についても、もちろんまだまだ多くの検討課題を抱えている問題だとは思う。でも少なくとも、従来の『著作権概念』は捨て去ったほうがいい。変化する時代にもっとも敏感なのが『著作権概念』であり、またそこに気付けば、多くのビジネスチャンス(いわゆる『著作権ビジネス』)をモノに出来る。これは水物なのだ。


【今日のZAKZAK】
リンドバーグの孫、祖父の快挙に挑戦
 もうすぐ解散しますがなにか?

飯星景子、衝撃の公約「阪神優勝したら丸刈りになる」
 ZAKZAKの合成、やり過ぎです。一時期流行った、じっと見てると急に怖いものが出てくるGIFアニを彷彿とさせます。

2002-4-17 (Wed) Version
一つの迷いが全体への疑問に摩り替わる瞬間。

【最近の更新は朝方の場合もあります】
 昨日の著作権の話し、フォローというか言葉足らずな点があったことに気付いたけどまた書けないまま時間が経ってしまうそうで・・・・・・。時間つくらにゃのぅ。

2002-4-18 (Thu) Version
慇懃プレイ。

【ネット&著作権2】
 一昨日の話し、言葉足らずだったこと、ってのは、『「PeerToPeer」されるのはあくまで「情報」の話しであり、創作物は含まない』ということ。そしてこれも、現状では倫理規定にしか出来ないのが現実。まぁそれはリアルワールド(ネット外の世界)でも変わらないんだが。

 簡潔に言えば、「情報はシェアされるべき、創作物は保護されるべき」というのがワシの考えです。

 では、情報と創作物の境はどこに敷くべきか、そしてそれぞれ、どうシェアされどう保護されるのか、今度はこれが問題になってきます。

2002-4-19 (Fri) Version
頭が頭痛で痛い。

【マカーはチェキ!】
iToilet(ネタ元:pya!
出るもんも出なくなりそうです。でも超欲しいです。無駄に家に五台揃えたいです。

2002-4-20 (Sat) Version
祝!初会社から更新!←一応伏字にしてみるらしい

【レーザー】
Reflections
 また大好きなパズルゲーム。Hint無しで解いていくのはカナーリ難しいです。


【ネット&著作権3】
 さらに一昨日の続き。

 の前に閑話休題として、「Peer to Peer」の今回の話題での定義を詳しく説明。もちろんもともとは通信用語で、「サーバー専用機を必要としない、全てのクライアントが対等にサーバーになることが出来る」という意味だ。Macintoshを使っている人なら分かると思うが、AppleTalkはこれにあたる。『情報』をこれに当てはめると、差し詰め「情報管理者を必要とせず、全ての人は対等に情報を発信でき、且つ全ての情報は対等に全ての人からアクセスでき、その取捨選択が出来る」といった状況だと思う。もちろん情報管理者がいないということは、情報のフィルタリングも行われないというわけであり、情報の真偽の段階から各クライアント(情報提供者及びアクセス者)に判断が委ねられるということだ。

 考えるまでも無く、これは一人一人のクライアントにとって非常に厳しい状態だ。ワシらは自然に、情報の発信者によってその信憑性を決め付けている。酷いのになると「テレビで言っていたから本当だ」、軽い程度の決めつけでも「○○という雑誌に書いてあったから本当だ」「○○新聞に書いてあるようじゃ嘘だな」、日常生活でも、その情報の提供者と自分との関係が、情報の信憑性を決める重要なファクターになっている。

 確かにそれらの「信憑性の決め付け」は経験則からある程度導き出せるものだ。だけど同時に、それはステレオタイプであると断じることが出来る。報道(今の日本に報道というものがまだ存在するなら)ですら、誤報が後を絶たないわけだから、結局のところ、自分自身の情報判断能力を高めるしか、情報の渦の中で自分を守る術は無い。

 そして、情報の「Peer To Peer」の中で、その感覚(センス)は研磨されていく。

 これは現在の社会を「情報のぬるま湯」とすれば、「情報のチョモランマ登頂」に置き換わるくらい、激しいイノベーションの変化になる。でもワシは、全ての情報が平らに置かれた状態になることで、結局人々はその状況に慣れ、取捨選択をする能力を身に付けられると思う。人間はそういう点で非常にたくましい。この、情報の「Peer to Peer」こそが、人間にとって本当の意味での「情報革命」になるのではないだろうか。

 で、ここでやっと著作権の問題が出てくるわけだがそれはまた次回。(え〜、こんなツマラナイ話まだ続けるの〜<総突っ込み)

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