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コトノハPublicログ2001年3月

2001年3月3日 街中で聞いた一言シリーズ(?)その1 「なんであいつらあんなに偉そうなの?」
2001年3月6日 辞めるな森総理!
2001年3月8日 日米謝罪対決
2001年3月9日 ワドルあやまる
2001年3月17日 ヨーダ暴走?
2001年3月20日 アフガニスタン 破壊される石像に無常感を見た
2001年3月28日 『有罪』という責任
2001年3月31日 <参考資料>安部医師の起訴はストライクゾーンぎりぎりだった

2001年3月3日 街中で聞いた一言シリーズ(?)その1 「なんであいつらあんなに偉そうなの?」

 徹夜明けのぼうっとした頭を抱えて、モスバーガーで朝食をとっていたある日。ワシのそばの席に若い(ワシから見てね。20歳前後かな?)男女6人がドカドカと座った。ワシは暇だったうえ、彼らの声も大きいので、イヤが上でも彼らの会話が耳に入ってくることになった。どうも、朝までバイトしたあとの会合らしい。。。

 で、そんな彼らの会話から、唐突に「天皇」という単語が飛び出した。うにょ???と思って耳をそば立てていると(我ながら趣味が悪いなぁ・・・・・・)、別に天皇制のどうこうなどと言う話しでもなく、出てきた言葉は「なんであいつらあんなに偉そうなの?」というものだった。

 ワシは立ちあがって彼らに向かった。不振そうな顔をする若者たちに、我を忘れて叫んでいた。「お前ら良くそんなこと言えるなぁ。いったい天皇一家が何をしているのか、分かって言ってるのか? どれだけの重責を担っていると思っているんだ? そもそも天皇一家のどこが偉そうなんだ? 謙虚な日本文化の象徴として一所懸命頑張ってるじゃないか! そんなことも知らずに偉そうなんていえるお前のほうがよっぽど偉そうじゃねぇか! オマエのかぁちゃんデェベソッ!」

 という妄想に身を委ねながら、当然現実ではなにもせず、ただ憤慨していた(核爆)。

 しかしまぁ、ここまで正当に評価されないのも残念な話しだよね。ワシは天皇制の是非については「あったほうがいいんでないかい」という立場だ。現代の天皇とは、日本国憲法に規定されている通り「国民の統合の象徴」であり、「内閣の助言によって国事行為を行う」存在だ。つまり、天皇には大きく分けて二つの職務があることになる。

 象徴天皇 ワシは天皇家とは「日本の理想の家族像及び道徳律の規範」の存在だと思っている。ワシは、人間の最小単位は「個人」であると同時に「家族」だと信じてやまない人なので、もちろん親兄弟の自分の家族も大切にしたいし、日本的「家族」という概念の美徳は守られるべきだと思う。その概念を具体的に説明してみぃ、って言われるとなかなか難しいのだが、例えば親孝行をするとか、自分を育ててくれた人への恩をきちんと返すとか、そんな当たり前のことだろう。そして、その美徳が失われつつある社会が現代にあるのも事実だと思う。そんなとき、ワシがどうこう言うよりも、「天皇一家」という理想の家族像があれば、ふとした時に日本人はその美徳に立ち返ることができる。
 また、それは同時に日本の持つコモンセンス、道徳律の体現でもある。道徳を失った自称「個人主義者」達は「人に迷惑をかけなければ良い」を合言葉に人に迷惑をかけつづけている。本来あるべきは「人の為になる」生き方であろうに・・・・・・。
 そんな日本の、崩壊するだけで新しく生まれかわりそうにない道徳律、天皇家にはその「日本的美徳」を守る最後の良心であって欲しい。だから天皇家にはスキャンダルなんて起こして欲しくない。シビアな要求かもしれないけどね。それこそ馬鹿みたいな言い方だが、その為に天皇家に税金を納めているようなもんだ。ワシはね。

 国事行為 外国の駐日大使は、日本へ赴任するとまず天皇のもとに赴き、その国の国家元首の親書を渡し、赴任の挨拶をする。すなわち、海外から見れば、皇室とは「ロイヤルファミリー」であり、日本国を代表する存在なのである。確かに日本のように、実務上の国家元首である総理大臣がころころ変わる国では、どう見ても皇室が日本の代表にうつるだろう。実際に、これは解釈の問題にもなるが、日本国憲法を厳密に読み解くならば、日本という国は「立憲君主制」である。イギリスやベルギーとか同じだ。
 また、世界には実はかなりの王室がある。それは、文化の発展の差ではなく、文化の原点の差だ。そんな世界を相手にするとき、「ロイヤルファミリー」という存在は非常に意味がある。変な話しだが、王室に釣り合うのは王室なのである。もちろん、王室なくしても王室ある国家と付き合うことは全然可能だが(アメリカには王室なんてねぇもんな)、やはり、あれば便利なんである。
 つまり天皇家とは、特に外交面で非常に有意義な親善外交を行っている存在なのだ。

 このような天皇家の職務がきちんと伝えられることなく、なんとなくの曖昧な天皇像しか知らないから、最初の若者のような残念で(あえて言い切るが)無知な発言になるのだろう。知ろうとしない人たちにも、知らせようとしないマスゴミにも、等分に問題があるのだろう。

 天皇制を巡る問題は確かに多い。天皇家には哀しい歴史も付き纏う。でも、世界最古の王室としての伝統や誇りというものは、文化や言語を大切にしなければいけないように、守る価値のあるものだろう。現代に存在する天皇一家の意義と価値は、大事にするべきではないだろうか。

★☆★参照SITE&余談★☆★
宮内庁ホームページ
 しっかし、こんな話しをするとまた簡単に「右翼」なんてレッテルを貼られるのかねぇ。あははっ、可笑しい。

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2001年3月6日 辞めるな森総理!

内閣不信任案に反対したからといって内閣を信任した事にはならない。

 ワシの日本語読解能力がオカシイのでしょうか?さっぱり意味が分からないんですけど・・・・・・

 昨日、仕事しながら国会中継を見てたんだけど、内閣不信任案に対する自民党の反対討論のお粗末さ、野党各党の賛成討論の正論っぷり、それでも粛々と否決されていく様、まさに茶番に相応しい本会議でした。まぁ、あちこちのマスゴミでもあちこちの掲示板でも、昨日の内閣不信任案提出⇒否決のことはいろいろ物申しているので、今更ワシのいうことは何も無いかな。てか、何も言いたくねぇや。

 ・・・・・・やっぱり言っておこう。まず皆さんは、自分の選挙区の議員が、今回の内閣不信任案にどのような対応を取ったのか、きちんと調べておいてください。そしてその結果と自分の意見を照らし合わせて、次回以降の国政選挙でその意見を投票の形で表明しましょう。また、自分の思考に近い政党を、無理矢理にでも見つけて、地方議員選挙や首長選挙の際に役立てましょう。残念なことに今の日本は政党政治ですので、選ぶのについては簡単だと思います。

 今回の一件で、与党も野党もクズでしかないことが証明されてしまいました。非常に残念なことです。しかしその、クズの集まりと成り果ててしまった国会に対して、諦めることなく監視を続けましょう。今の政権与党の最大の武器は、選挙民の無関心です。こんなクズしかいない国会ですが、これ以上悪くしないことは可能です。その為には、国民一人一人の積極的政治介入が必要です。

 そして森総理。何があろうとも辞めないでください。あなたは国民多数の意思、国権の最高機関である国会において信任されたのです。あなたの党の幹事長が退陣の時期を計り、連立を組む公明党、保守党が引きずり下ろそうと必死ですが、少なくとも参議院選挙までは政権の座にありつづけてください。あなたは不信任案否決の後、政権の続投に意欲を示しました。良いことです。あなたは信任されたのですから。そして、回復しようのないところまで、自民党と経済と総理大臣の権威とを辱め続けてください。そうであることを、国民の代表である国会議員の過半数が望んでいるのです。

 森総理、絶対に辞めないでください。

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2001年3月8日 日米謝罪対決

 ほぼ日刊イトイ新聞に面白いコラムが載っていた。潜水艦グリーンビルとえひめ丸の衝突事故について、アメリカに住む日本人鈴木すずきちさんの「えひめ丸事件/誠意の正体」というコラムだ。

 今回の潜水艦事故について、先月末、確かワシントンポスト誌だったと思うが、「アメリカはこんなに謝っている。なのに何故日本人はまだ謝罪を求めるのか」という記事が掲載されていた。アメリカ人にとって大統領とは『アメリカそのもの』である(偏見)。その大統領が謝っているのにまだ言うか、というのがアメリカ人の心境なのだろう。

 しかし日本人は、なによりも「当事者の謝罪」を求める。

 この辺の意識の違いは、運輸事故の事故調査の面でも如実に現われる。先先月に起こった日航機ニアミス事故の時に盛んに報道されたが、アメリカでは大規模な航空事故や鉄道事故などが起こった時に、その操縦士を免責にする(刑事・民事責任を問わない)代わりに、全ての真実を話すように求めるという。事故原因の究明と再発防止を主眼においたシステムだ。

 ワシも、民間の事故であれば、このシステムは良いものだと思う。例えば日航機ニアミスの時に、ワシは機長の責は問うべきではないと思った。機長は、事故を起こそうとして起こしたわけでは無い。過失責任があるものの、それは個人が責任をとるという形では無く、原因の究明と再発防止という方向が、その責を取るということに繋がるだろう。(だから警察の「怪我人が出ているのだから誰かの刑事責任を問わねばならない」という発言には呆れた。確かに法の厳正適用は法治国家の基本だが、これではあまりにも杓子定規に過ぎる)
 しかし、今回のように軍の起こした事故では、しかも完全なる『被害者』と完全なる『加害者』の図式となった今回のようなケースでは、一概に言うことが出来なくなってしまう。

 査問委員会の報道でグリーンビルのワドル前艦長を見たが、外見を見たなんとなくだけど、なるほど、優秀な軍人だったというのもうなずける。とても良い顔をしている。

 必要以上に日本のマスゴミに叩かれる彼へ同情はするが、一日本国民として、いや、この場合は一民間人として、やはりワシも彼を許すことは出来ない。東京湾横断フェリーに乗っているときに緊急浮上してきた潜水艦(ワシのイメージは原潜大和@沈黙の艦隊)に沈められたら、やはり艦長(海江田:笑)に堪らない憤りを感じるだろう。

 そしてその艦長が、原因究明の代わりに刑事責任を問うな、という司法取引をしようとしていると知ったら・・・・・・。原因の究明と被害者の心象。さて、優先されるべきはどちらなのだろうか?

 ・・・・・・あれ?謝罪の話しから逸れてるなぁ・・・・・・(苦笑)

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2001年3月9日 ワドルあやまる

 最近、ここか掲示板で書いた人が翌日大きなニュースになるケースが多くて驚いてます。まあ、世間の話題になってることを取り上げてるから当たり前だけどな。

 さて、今日の昼頃(ハワイ現地時間で8日夜)、原子力潜水艦グリーンビルのワドル前艦長が、被害者(行方不明者の)の家族の前で直接謝罪をしました。

前艦長、家族に直接謝罪「真実述べる」
 ハワイ沖の原潜事故で、「グリーンビル」のスコット・ワドル前艦長(41)は八日(日本時間九日)、ホノルルの米海軍真珠湾基地内の施設で開かれた審問委員会終了後、沈没した「えひめ丸」の行方不明者の家族五人に謝罪した。
 謝罪は、審問会場の隣の控室で、望月義夫外務政務官らも同席し、約二十分間にわたって行われた。望月政務官によると、前艦長は泣きながら、「apologize(おわびします)」と述べ、上半身を九十度近くに折り曲げて、家族らに深々と頭を下げた。
 謝罪が遅れたことについて、前艦長は「もっと早く謝罪したかったが、弁護士に止められていた」と釈明。「私は謝罪することも、真実を述べることも約束していた」と語り、「今後も真実を述べることを約束する」と話したという。

YomiuriOn-Lineより抜粋>

 ワシはこの言葉を額面通り受け取ります。

 先月事故が起きた時に「ハワイ沖潜水艦衝突事故(事件)その2 日米関係の凋落。か?」でも書きましたが、彼の姿勢は事故直後を除いて立派なものだったと思っています。さらには、謝りたくても謝れなかった苦悩も察して余りあるものです。

 今回の件を、「実習船の大西尚生船長が来週にも会議で証言に立つことから、情状面で会議を有利に進めたい考えが働いたとも見られる」という見解もあるようですが(『日経ニュースメール』より)、なんか、あまりうがった見方をしたくはありませんな。とはいえ、夕方のフジテレビのニュースで、安藤優子アナのインタビューに応えるワドル艦長の弁護士は、さすがアメリカのやり手弁護士といった感じで、言質を取られないよう発言に留意していたようですが・・・・・・。おそらくこの弁護士が、今回の件のキーパーソンになるでしょう。

えひめ丸不明者家族、ワドル前艦長に「家族大切に」
 「グリーンビル」のスコット・ワドル前艦長(41)から直接謝罪を受けた行方不明者の家族は八日(同九日)、ホノルル市内で会見し、前艦長の見せた人間らしさに「謝罪に関しては今後、前艦長に強く言うことはない」と、気持ちに一区切りつけるかのように話した。
 謝罪を受けた後、指導教官の中田淳さん(33)の父親の和男さん(55)は「(これまで)前艦長に対する憎しみの世界で生きてきた。だが、心の中の怒りが空白になった」と語り、家族らもその場で涙ぐんだ。和男さんは「私たちの心の傷は一生消えないが、あなたも、愛する家族を大切にして下さい」と伝えたという。
 しかし、救助された実習生九人の思いは複雑で、坂本優太さん(17)は「時期も遅いし、謝罪もうれしくない。それより、どうして事故が起きたのか早く知りたい。審問委員会で真実を話してくれることを望みたい」と、今もいやされぬ心の傷跡をうかがわせた。
 やはり救助された鎌土敦さん(16)の父俊夫さん(50)は「やっと家族の思いが伝わった。ただ、前艦長が証言を拒否したり、真実を話さなければ、謝罪もうわべだけのものになる」と注文をつけた。

YomiuriOn-Lineより抜粋>

 哀しい事故はまだ解決までは程遠いですが、今日のことをキッカケにより良い方向に事態が進展することを望みます。

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2001年3月17日 ヨーダ暴走?
  

 やっぱり似てるよな。スターウォーズのヨーダと宮沢喜一財相。でも、耳が大きいということなら江川も似ているのか???

 そんなヨーダこと宮沢喜一財相が、一週間ほど前にこんなコメント

宮沢財務相:「財政は破局に近い状態」 参院予算委答弁
 宮沢喜一財務相は8日午前の参院予算委員会で「わが国の財政は破局に近い状態。根本的な財政再建をしないといけない」と述べた。松村龍二委員(自民)への答弁。
 同相は「21世紀の10年、20年を展望して、財政だけでなく、中央、地方、社会保障などを含めて、全体的な視点での再建が必要だ」と指摘。経済のマクロモデルによるシミュレーションを踏まえて「(社会保障関連の)給付と負担について、厳しい選択を迫られるだろう」と述べた。

毎日interactiveより全文>

 よくいまさら他人事の様に言えるな! そしてやはりまずかったのでしょう。翌日にはこの発言。

宮沢財相発言:「財政は破局に近い状態」は用語不適切と撤回
 宮沢喜一財務相は9日の記者会見で、前日の参院予算委員会で「財政は破局に近い状態」と発言したことについて、「いつものことを言っているつもりだった。用語が不適切だったようだから、おわびします」と述べ、発言を取り消した。同相はこの日の参院本会議でも、「言葉が不十分だった。破局という言葉は使うべきではなかった」と訂正した。これまで「危機的な状況」などの表現で財政状況を説明してきたが、「破局」との表現を用いたことで、円安が進行していた。

毎日interactiveより全文>

 とうとう先日ニューヨーク株価も10000ドルを割ったし、日本の平均株価にも明るい要素は無いし、確かにぱっと見の不況感はどん底。まぁ、実際は株安といっても「日経平均株価」を算出している銘柄が安い、というだけで、確かにそれは全体としての景況感をネガティブにするので非常にマイナスの要因ではあるんだけど、業績のよい会社は確かにあってそこが頑張って株価の底上げをしようとしている。株って全体の景況感の影響が強いから、その辺が難しい。

 そして、現在の株式市場でプラス要因と思えるのは、毎日の取引株数はそんなに下がっていないことかねぇ。株式市場にとって本当に怖い状態とは、株価が安くなることではなく、取引が無くなること。どんなに汚い血であっても、流れなければ生きていけないでしょ。今の日本は、株価は乱高下しているけど、それってそれだけ多くの取引をされている証しでもあって、プロの相場師はこのスキに結構儲けているそうです。

 まぁワシは経済、特に株に関してはズブの素人のうえ、今日本当に言いたいことはこんなことじゃなくて・・・・・・

 件の宮沢財相の発言、我思うに問題点は三つあるんですよ。

1.市場に影響の大きい安直な発言
 いわずもがなですな。こんな経済状況の時に「破局」なんて言葉を一国の財務をつかさどる人間が言うなんてあまりにも常識なさ過ぎ。自分の立場をわきまえない失言と言う点で漏り総理と一緒。ああ、グリーンスパンFRB(米連邦準備銀行)議長を誰か連れてきてくれないかなぁ。まぁ、神の手を持つグリーンスパン議長でも、日本の経済システムを知らないからどうしようもないだろうけどね。

2.自分達の政策のミスを棚上げ
 この不況を招いたのは誰のせいだと思っているんでしょか? 一部筋ではこの「失われた十年」の不況を、「平成大不況」ではなく「自民党不況」と呼ぼうかという笑えない笑い話まで出ているくらいなのにね。厚顔無知、と言う言葉は、この人の為にあるのではないかしらん。

3.増税への布石
 これが、ワシら庶民の生活には一番切実ですわね。「根本的な財政再建」その為に消費税率アップ。政府与党の好きそうなシナリオですこと。今までも、根本的な財政再建とやらのために税金の負担増や、年金のカットなどで国民に負担を強いておいて、結果は666兆円の借金だからね。こいつらまとめて断頭台送り。

 ワシは、きちんと財政の再建がされるのなら、消費税率のアップやらも仕方ないと思いますよ。でもね、取るだけとってやることやらずに借金だけを増やしている馬鹿どもを、このまま放っておいて良いんですか?

 今の日本の、国家としての経済状況は絶望的です。世界の中ではマシなほうだけど、もはや経済状況は先進国とは言えないレベル。経済界だけを見れば当然世界トップクラスだが、政治がその足を引っ張っている。その責はひとえに、無能な国会議員を選出してきたワシら国民一人一人に帰すわけです。だから、ワシらに今の日本を再建させる為の痛みが伴うのは、もうしょうがないでしょう。

 もう皆さん、ここは思いきった国会議員の刷新を図りませんか?

ネタを変えて続く・・・・・・か?

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2001年3月20日 アフガニスタン 破壊される石像に無常感を見た

 先日「続く・・・・・・か?」と書いておいて全然違う話題(爆)。

アフガン:仏像破壊への国際社会の声を批判 タリバン外相
 アフガニスタンのイスラム原理主義勢力、タリバン政権のムタワキル外相は18日、カブールの外務省で記者会見し、世界的仏教遺跡、バーミヤンの大石仏の破壊について「国際社会がアフガン国民の苦悩には気もかけず、仏像救済のために悲痛な叫び声を上げてきたことは実に驚きだ」と述べ、1979年のソ連侵攻に始まる20年以上の戦乱の中、国連の制裁も受けて苦しむアフガン国民のことを考慮すべきと訴えた。
 国際社会がタリバンを正式に政権として承認していないことへの反発が仏像破壊につながったのでは、との質問に対しては「それはない」と述べ、たとえ政権が承認されていても、破壊は断行したと明言。破壊行為は、あくまで「偶像崇拝」を禁じるイスラムの教えに従ったまでと改めて強調した。

毎日interactiveより抜粋>

 あらかじめ言っておきますよ。ワシは、今回の件が良いとは決して思ってません。先人が残した偉大な作品を汚すことは、いかなる理由であれ愚かなことで、しかも日本人的感覚で言うなら、イデオロギーに寄って重要な世界的文化財を破壊するのは愚の骨頂ですな。

 でもね。

 それと同時に思うのは、人間によって作られたもの、っていうのは、かならず滅するわけじゃ無いですか、ってこと。絵画や小説は燃えれば終わり。造形美術は人為的にしろ風化するにしろ壊れてしまえば終わり。それこそが、芸術の持つ危うさ、無常感、そして魅力だと思うんだよね。どんなに重要なものでも、それが人為的な理由であろうとなかろうとも。その無常感、儚さを感じることも、芸術を理解するひとつの手段ではないかと思うわけですよ。繰り返すけど、今回の破壊が、だから許される、なんてことは言う気は無いよ。ただ、そういう感じ方もあるんじゃないの、ってことを言っているだけでね。

 保守党の「ちょんまげ」こと松浪議員を代表にした日本の議員団が現地に乗り込んで宗教指導者を諌め様としてた。その行動したことは評価するけど、しょせん宗教的イデオロギーを持たない日本人には、彼の国の心情は理解できなかったと見えて、見事失敗に終わりましたな。そして、破壊されることに対して大声を上げる前に、現在のアフガニスタンと世界との、本質的な問題があるのじゃないかな、って気もする。

 なお、今回破壊された石仏は宗教的シンボルではありますが、でも宗教的想像物って大方の場合イコール芸術作品と言えると思うので、あえて芸術として論じました。

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2001年3月28日 『有罪』という責任

安部英・元副学長に無罪

 血友病治療などに使われる非加熱血液製剤にエイズウイルス(HIV)が混入し、患者が感染して死亡した薬害エイズ事件で、業務上過失致死罪に問われた元帝京大副学長・安部英(たけし)被告(84)の判決公判が二十八日午前、東京地裁で開かれた。禁固三年の求刑に対し、永井敏雄裁判長は「安部被告には血友病患者がエイズを発症して死亡するという予見可能性はあったが、その程度は低く、過失があったとは言えない」と述べ、無罪を言い渡した。

 薬害史上、医師の刑事責任が初めて問われた。この事件では、大阪地裁が昨年二月、製薬会社の旧ミドリ十字元社長ら三被告に実刑(禁固)を言い渡しており、正反対の結論となった。検察側は控訴する方針。

 公判では、〈1〉非加熱製剤に混入したHIVの危険性の認識時期〈2〉非加熱製剤以外の治療法の有無〈3〉帝京大病院の内科長として安部被告に治療方針を決定する権限があったか――が主な争点となった。

 ◆判決の骨子◆

 一、被告には、エイズによる血友病患者の死亡という結果発生の予見可能性はあったが、その程度は低かった。
 二、大多数の専門医が非加熱製剤を投与していた実情に照らせば、被告に、非加熱製剤の投与を中止しなかった結果回避義務違反があったとは評価できない。
 三、結果が悲惨で重大であるからといって、犯罪の成立範囲を広げることはできない。

Yomiuri On-Lineより抜粋>

 この判決文の中で、間違い無いと思われる点。「結果が悲惨で重大であるからといって、犯罪の成立範囲を広げることはできない」確かに、いかに安部氏の発言がむかつき、マスゴミの取り上げ方が一斉に「有罪」を唱えていても、それだけで一人の人間を有罪にしてはいけないのである。感情に拠る裁判結果ほど恐ろしいものはない。その意味で、陪審員制度は空恐ろしいものがある。

 ワシは、現行の日本の法体制で考えるならば、安部被告は民事上での責任は絶対に取るべきだが、刑事責任は慎重に審議されるべきで、その一つの形が今回の判決だと思う。まぁ、感情的に『無罪』はあまり支持できないが、ただ感情で一人の人間を『有罪』と判断するわけにはいかんのである。それだけ、刑事事件における『有罪』とは、重要なことだ。無論、刑事裁判にまったく感情を持ち込むな、とは言わない。例えば『情状酌量』とは感情の賜物だしね。ただ、今回の事件について「外野の声」があまりにも恐ろしい波を生み出していることがとても危惧された。できるだけ「外野の声」を排しようとした判決文の中の一文を、ワシは支持している。

 でも、とてもではないが安部氏を許すことは出来ない。というのは、彼自身謝罪するつもりが無く、自らの責任をまったく理解していないからだ。刑事裁判の結果に関係なく、彼には人間として、きちんと自分の責任を自覚しそれを果たしてほしいと思う。そして刑事裁判における有罪よりも、そちらのほうが人としてのきちんとした責任の取り方なんではないかと、ワシは思っている

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2001年3月31日 <参考資料>安部医師の起訴はストライクゾーンぎりぎりだった

「安部医師の起訴はストライクゾーンぎりぎりだった」と前田雅英・東京都立大教授(刑法)。薬害エイズ事件の無罪判決の話◆審判(裁判長)の判定はボールで、スタンド(傍聴席の遺族、被害者ら)から「エーッ」と声が上がった。「事件の結果が悲惨、重大だったことに異論はないが、処罰の要請を考慮するあまり、犯罪の成立範囲を動かしてはならない」と判決はいう◆どんな試合でも、どんなに観衆の声が大きくても、ストライクゾーンは動かせない。その姿勢には賛同するがなお「エーッ」の思いは変わらない。起訴は今の視点で当時の過失を問う「あと知恵」だと判決は見た◆果たしてそう言い切れるか。一般の医師の水準なら、その通りだろう。が、多くの医師と同じことをやったのに、安部被告だけを有罪にはできないという判決に疑問が残った◆背の低い打者(一般)と背の高い打者(学界の第一人者)とではストライクゾーンも違うのではないだろうか。安部医師は一般の水準以上に危険を予見できたのではないか◆再試合(控訴審)が待たれる。

3月29日付読売新聞『よみうり寸評』より全文>

 比喩は多少分かりづらいけど、言い得て妙だと思ったので掲載。

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