インデックス>ホーム>コトノハPersonal>Personalログindex>Personalログ2001年6月
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2001年6月7日 トラフィック
2001年6月15日 マレーナ
2001年6月17日 上を向いて、歩いてる?
もう、最近映画の日といえば銀座に出没してますな、ワシ。いや、やっぱり競争が激しい(?)だけあって、映画館の設備が良い。音響効果もさることながら、座席が良いので、疲れないで映画が見られる。。。
・・・・・・ていうか、最近、Personalのページが、単なる映画評ページになっている気がチラリズム。。。
トラフィック
<スティーブン・ソダーバーグ監督/マイケル・ダグラス、ベニチオ・デル・トロ>
ストーリ<オフィシャルサイトより>
アメリカの裏社会に根深く浸透し、巨大な陰の経済を掲載する麻薬密売ルート。その中でも、アメリカとメキシコを結ぶ巨大な麻薬コネクション“トラフィック”をめぐって、様々な欲望や陰謀に満ちた事件が繰り広げられる。じわじわと暴かれていく、その“闇”の実態に果敢に挑んでいく男たち。
ベニチオ・デル・トロ、舘ひろしそっくり!。なんてことじゃなくて。。。でも、ホントに似てるんだよう。。。『ユージュアルサスペクツ』に出てたときはそんなでもなかったけど、今回そっくり!
映画は、確かにヤマもタニもあるストーリーなんだけど、全体として「淡々」としたトーンが流れている。そういう雰囲気で撮られている、と言っても良いかもしれない。ここで観客が見せつけられるのは、麻薬社会の現実だ。スーパースターも、英雄もいない。いるのはただ人間であり、彼らがストーリーを推し進めていく。
この『現実』の人間、すなわち、『現実にどこにでもいそうな』人間が、『現実にありそう』な出来事のなかで立ち回る映画の手法、ってのは、最近流行りなのだろうか?『アメリカンビューティー』がアカデミー賞を取って以降、なんかそういう系統の映画が増えた気がする。旧来の、ドキュメンタリー映画とはまた一味違う、いうならばリアリズム映画という感じだろうか。このような映画は、よく世相を表しているから、単調になる危険性も孕んでいるが、同時にものすごく身につまされる。
そしてこの映画のもう一つ特筆すべき点。それは、映像が面白いのだ。さすが、アカデミー賞の編集部門を受賞しただけのことはある。
ほとんど全ての映像が、正しい色で撮られていない。白味が飛んでいて、青味か黄味の強調された映像になっている。もちろん、場面ごとの雰囲気に合わせて色合いの調整をしているんだろう。この雰囲気作りが、非常に面白かった。
また、編集自体も面白かった。カメラの切り方が、映画っぽくないのだ。これは、どちらかというとそれこそテレビのドキュメンタリーっぽい。この辺の、カメラワークと編集に注目して見てみるのも、この映画の場合面白いかも知れない。
映画は、脚本と編集がよければ面白くなる。と、後輩が言っていたが、その通りだと思う。この映画が、地味ながら、アカデミー賞に輝く(アカデミー賞自体に批判があるのは承知の上だが、最近はきちんと機能していると思う:閑話休題)だけの作品であることはよくわかる。役者も個性派をそろえているし、お勧めしたい一本だ。
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映画の予告編の時に、どちらも7月14日公開の『パールハーバー』と『ラマになった王様』が立て続けに流れたんだけど、どっちもディズニーなんだよね〜。連続して予告編見ても、とてもそうはい思えないけどね〜。
マレーナ
<ジュゼッペ・トルナトーレ監督/モニカ・ベルッチ、ジュゼッペ・スルファーロ主演>
ストーリ<オフィシャルサイトより>
多感な少年時代、おのが心を矢のように射て、一瞬にして恋に落ちた女の映像…それは、女の転変の人生にかかわりなく、男の人生にとって決定的な出会いであることを語り尽くしたのがこの映画である。12歳の主人公レナートと成熟した年上の女性マレーナの出会いがまさにそれである。
第ニ次大戦下のイタリア。日本と三国同盟を結んだイタリアは、独裁者ムッソリーニの下にナチの進攻を許し、後にアメリア軍が闊歩して、数年のうちに敗戦を余儀なくされた。辺境の小さな村といえども、その洗礼を受けずにはいられなかった。そうした中、ムッソリーニ政権に抵抗する硬骨の父親の下で育った多感の少年レナートは、年上のひとりの女を愛することで、人生を、彼女が映す時代を、世界を知っていくのである。また、マレーナを影のように追い、誰も知らぬマレーナの真実に触れていくうちに、レナートはマレーナの愛、孤独、絶望を知り、感受性豊かに、真の男になる成熟を手にしたと言える。
『ニュー・シネマ・パラダイス』で一躍その名を挙げたトルナトーレ監督だが、『海の上のピアニスト』で一躍名を下げた(笑)。そんな彼の、まさに復活のノロシともいえる素晴らしい作品が、この『マレーナ』だ。
ニューシネマパラダイスでもそうだったからあえて断言してしまうが、地元イタリアはシチリア島で、しかも少年の視点からの映画を撮るのが、トルナトーレ監督の真骨頂と言えるだろう。このマレーナは、まさにその二つ、すなわち、イタリアの田舎町を美しく描いて、その町に暮らす少年の心を巧く描いている。
舞台となっているのは、ニューシネマパラダイスより少し前、1940年代前〜中盤のイタリアだ。戦争という、庶民にはどうしようも出来ない社会状況の中での、より普遍的で日常的な人間模様と人間心理。この構成自体は使い古されたものだが、戦争という部分を、ストライキやらに変えると、ここ最近、この演出法を使った映画がまた増えているような気がする。
この作品、とかく少年の動かし方が巧い。安っぽい少年の妄想シーンも、むしろ『少年』という存在の『想像の限界』を象徴させ、面白い。少年のマレーナへの思いは、お世辞にも『純愛』的とは言えない。しかし『一途』だ。この辺も、観客の少年時代の恋愛(特に男性)――それは、多く恋愛ではなく憧れなのだが――を喚起させるのでは無いだろうか?
また、大人たちも面白い。ある意味、ステレオタイプ的と言えなくは無いのだが、掃き溜めに鶴が落ちたときの、女たちの醜さと男たちのだらしなさ。劇中に、何度か街中での噂を追うシーンが入っているのだが、これをまた、効果的なカメラワークで追っている。
ラストのネタバレあり。読みたい人はパラグラフを反転させてね。
そして、ラストの少年の台詞。『私は長い人生の中で多くの女性を愛してきた。別れる時、彼女たちは必ず“私を忘れないで”と言った。しかし、私の心に残っているのは、少年の日に愛したあの人だけだった。マレーナ・・・・・・』
この台詞は、少年の生涯の恋愛が、相手に『この人に忘れられるかも知れない』という危惧を抱かせるくらい、薄っぺらだった事を意味する。マレーナへの絶対的熱狂。しかし彼の言葉に含まれる気持ちを、映画を見続けた観客は、理解できるはずだ。
悪い言い方をすれば、この作品は明らかに『ニュー・シネマ・パラダイス』へのオマージュである。少年の夢見る対象が、『映画』から『女性』に変わっただけ、と言えなくもない。でも、そんなことはどうでもよくなるくらい、全体を包み込む空気は、柔らかく、痛い。
この映画、特に男性にオススメです。
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駅を歩いてたら、
ほとんどの人が下を向いて歩いてた。
足元が危ないのは分かるんだけど、
みんなが疲れた人のように見えた。
最近、上を向いて歩いてる?
空の色を見てる?
涙がこぼれそうなとき以外でも、
上を向いて歩いて良いんだよ。
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