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2001年3月17日 声にならない
2001年3月27日 眠りのうた 小谷美紗子Part1
2001年3月31日 zabadakライブとペイフォワード
天才でない
オレは
努力をしない
時点で
負け組
なんだな
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眠りのうた(Single edit)
夕日が逃げて行く度に / あそこへ帰る日が忍び寄り
夜がその手を広げる度に / 夕日がいそいそ逃げて行った
眠れぬ夜はまるで鯨の / 油のように重く重く
その向こうでは人々が / 明日の苦しみを枕に私と同じ夜を
みてるみてるみてるみてる
眠れ眠れ眠れ / 明日に心を配らず眠れ
眠れ眠れ眠れ / 私があなたを分かるから
誰も分かっちゃくれないと / 乾いた朝に怯えながら
孤独を巻いて目を閉じたけど / 未来へ踊る夢を見てみよう
宇宙のママと交信をして / 食物連鎖でつないだ私達へ
唄うそのうたが聞こえるでしょう / いつか君が誰かのために
唄う唄う唄う唄う
眠れ眠れ眠れ / やさしさは苦しみの中から生まれる
眠れ眠れ眠れ / 君が寝つくまで唄うから
眠れ眠れ眠れ / 明日に心を配らず眠れ
眠れ眠れ眠れ / 私があなたを分かるから
「明日に心を配らず」眠ること。なんと単純で困難なことだろう。
漠然とした「明日」への不安、引いては「将来」への不安と言うのは、絶えることなく襲ってくる。ワシの場合なら、なにしろ自分自身の人生が不安定だし、この生き方に迷ってもいる。いつ職が無くなるかわからない自営業兼自由業(フリーターではないけど・・・・・・)。年を取るごとに増えていく責任。実現できるのかわからない夢。
・・・・・・宵闇はそれで無くとも人の心を弱くするが、明日のことをわずらってしまうと、本当に眠れない。そんな日々が続く。毎日の生活は、楽しいものであると同時に絶え間無い不安の連続だったりするわけで、その感覚という意味では、これって多くの人が抱えているのかも知れない。
そんな中で「明日に心を配らず」眠ること。それって、ものすごい安心のできる「場」だと思う。そして「私があなたを分かるから」。ワシのことを「認めて」くれる人というのは、幸いなことに結構いてくれるが、ワシのことを「理解して」くれる人は希少で、その存在というのはものすごく貴重。しかも最近では、そんな希少な人にも心を閉ざしてしまい、最近の流行語で言うならまるで経済のデフレスパイラルのような悪循環に陥っている。
そういった、自分の中に抱える不安、その不安は変質して社会に対する不満になったりする場合もあるわけじゃけど、そういったものを、歌い上げられ、自覚させられることで、不思議と心は慰められるものです。しかし同時に、現実にいないその存在、すなわち「明日に心を配らず」眠れる場も無く、「あなたを分かる」ってくれる人もいない現状をも自覚して、切なくなるわけですね。
小谷美紗子さんが、どのような心境でこの曲を作ったのかは察するしかないわけですが、なんとなく、とても哀しい中で生まれてきた言葉なんじゃないかと思います。
サビの部分にのみスポットライトを当ててしまいましたが、他の部分の歌詞もみてみると、誰の心にもあるもやもやとしたイメージを、叙情的に歌い上げていることに気がつきました。日が暮れていく寂しさ、夜に包まれる怖さ、眠る直前の不安、夢の中への希望。観念的な言葉ゆえに、人によっては「なんのこっちゃ?」と思ってしまう単語群だけど、紡がれている一言一言の連なりは、普段は言語化しないから気付いていないだけの、誰しもが抱いている当たり前のことだと思います。
あぁ、なんかすごく曖昧な文章になっている。。。まぁ、自己憐憫の場なので勘弁して・・・・・・
先日のライブでは、さらに歌詞を付け足して歌っていました。(記憶があやふやなのでちょっと・・・・・・かなり違うかも・・・・・・でもこんな感じ)
また会う日まで / また会う日まで
今日会えたように / また会う日まで
哀しいことがあるのなら / 笑顔になれるその日まで
唄う唄う唄う唄う
眠れ眠れ眠れ / 明日に心を配らず眠れ
眠れ眠れ眠れ / 私があなたを分かるから
<補足>
そもそも小谷美紗子とは、ワシの好きなシンガー&ピアニストです。ワシと同じ年なんだけど、スゴイ才能を秘めているとワシが尊してやまない人です。ご興味の方はオフィシャルサイトとかをご覧ください。んで、彼女は何がすごいかといえば、まあ、歌唱力やらピアノやらも凄いのですが(先日行ったコンサートでは、声の伸びの成長に驚かされた)、やはりワシは言葉に生きる人なので(笑)、彼女の歌詞の凄さに注目しています。で、今日紹介したのは『眠りのうた』。最新の4thアルバム『宇宙のママ』に収録されていて、シングルカットもされている曲ですが、この歌を聞いて歌詞を吟味したとき、心の琴線をそのまま弾かれたような、そしてものすごく切ない衝動が沸き起こりましたとさ。
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一昨日、zabadakという、これまたワシの大好きな、というか日本三大音楽系アーティスト(除クラシック系)にワシが数えるバンドのライブに、台場へ行きました。ちなみに三大の他の二組は、「SingLikeTalking」と「YMO」。んで、時間があったのでついでに映画「ペイフォワード」も見てきて、そんなライブレポと映画の感想。
zabadakライブレポ 2001年3月29日ZeppTokyo
まぁ、ライブレポというものは、基本的に音楽系のライブって自分の好きなアーティストのところに行くものだから、たいてい「素晴らしかった」「楽しかった」「さすがと思った」なんて言葉で括られるもの。まぁ、ご興味の方のみ読んでくだされ。とはいえ、ちこっとひねくれて(?)正直に書くけどね。
今回のメンバーは、吉良知彦(G,Vo)、佐藤正治(Dr)、内田Ken太郎(B)、太田恵資(Vl)、藤井珠緒(Per)、小峰公子(Vo)、難波弘之(Key)。まぁ、概ねレギュラーメンバーですな。ご存知ない方のために、このメンバーのうち「zabadak」というバンドに属するのは吉良知彦氏だけです。ていうか、zabadakというバンドは吉良さんだけのユニットなんです(笑)。
いやぁ、しかし今回のライブは息が合っていなかった(笑)。バックバンドは音をはずすし、リズム系楽器は合わないし、吉良さんのヴォーカルはやる気無いし。いや、やる気が無いと言うよりも、調整不足と言うべきだろうか?ワシと、一緒に行った友人との意見では、「小峰さん(Vo)、歌上手くなってたね。きちんと練習してるんだね」てのが、唯一の誉めポイントでした(笑)。もちろん、全体としてそんなに酷いわけじゃないんだけど、以前のライブがもっと良かったから、どうしても比べて物足りなさを感じてしまうわけでして・・・・・・。
構成はいつも通り(笑)。掴みの曲をやって、新曲系をやって、吉良さんと小峰さん(この二人夫婦です)のデュオをやって、盛り上がる曲をやって、アンコール二回。いつもと違う点は、遠い音楽をやらなかったことくらいかな?あ、あと今度キャラメルボックスという劇団の『風を継ぐ者』という公演(再演)の曲をやっているので、その曲を何曲かやってましたね。『遠い旅の記憶』(全部で13分くらいの三部構成の曲)がフルで聞けたのも嬉しかったなぁ。
で、今回特筆したいのは・・・・・・
パーカッションの藤井珠緒さん。彼女は本業がマリンバ奏者なんですが、ワシは高校時代、zabadakを通じて彼女を知り、始めてマリンバという楽器を知りました。あれ、すごいね。打系の楽器では一番好きな音色かも。とにかく、音に濁りが無い。音の特質でもあるんだろうけど、脳の芯に直接届いてくるようなあの音色が好きなんです。
そしてまた凄いのがあの手捌きです。見たことが無い人は、一度ご覧になることをお勧めします。彼女の出している音が、プロの中でどの程度の評価なのかは、ワシは素人なので分かりませんが、ワシは彼女の出す音は好きですね。
最近、東儀英樹が雅楽の楽器を使って日本の市井の音楽(「故郷」とか)を引いたパフォーマンスなどで人気を博していますが、藤井さんもマリンバを使って「故郷」やら「コキリコ」やらを演奏したCDを出しています。馴染みある曲を普段聞かない楽器で弾くのって、音楽の持つ面白さの最たるの一つだと思います。
また、彼女は最近マーシュマロウという女性五人のバンドを作って、そこでもマリンバやらパーカスやらをやっています。このバンド、なかなかに実験的な曲などもやっていて、ヴォーカルも上野洋子、新井昭乃という美声二人ですので、こちらもご興味の方は是非聞いてもらいたいですね。昨日のライブで熟女バンド言われてましたけど(笑)。
『ペイフォワード』 ネタバレの箇所あり注意。
三人の人間に見返りを求めることなく親切にする。その三人は、またそれぞれが別の三人に親切にする。そうして途絶えることなくその輪を広げていけば、いずれ世界中の人が救われることになる。
まぁ、これだけ見ると二昔前のネズミ溝の手口のようだけど(笑)、これが「Pay It Forward(先へ贈る)」。中学一年生の担任、シモネット先生(ケビン・スペイシー)から出された「世界を変えるためのアイデア」という課題に対して出したトレバー少年(ハーレイ・ジョエル・オスメント)のアイデアであり、この映画の主題だ。
映画の中でシモネット先生も賞賛しているとおり、このアイデアって素晴らしいものだ。理想論としては。このアイデアは、他人を信頼するところが前提になっている。実際、映画の中でもトレバー少年は現実になかなか上手くいかない自分のアイデアに落胆する。しかし、彼の知らないところでその輪は広がっていて、「Pay It Forward」を受け取ったある記者が、このアイデアを考えた人物を追って徐々に少年に迫って行く過程は、見ていて面白い。シモネット先生とトレバー少年の母親とのロマンスよりも、記者とトレバー少年との接近が、この映画の最大の見所になると思う。
しかし、映画の取り方、特にカメラワークと音楽の使い方は、非常に『American Beauty』(99年アカデミー作品賞受賞)に酷似してた。あと、トレバー少年役のハーレイ君、『Six Sense』で見せた演技のキレが、イマイチ無かったなぁ。可愛いけど(爆)。
===このパラグラフ重大なネタバレあり読みたい人はマウスでドロップして文字を反転させてね===
しかし、ラストシーンである。なんであそこで、最後でトレバー少年が死んでしまうのだろうか???記者と少年とが繋がり、先生と母親のロマンスも落ちつき、めでたしめでたし、というところだったのに。。。トレバー少年は勇気を出して友人のイジメを仲裁に入り、いじめっ子から刺されて(どうみても傷は浅かった・・・・・・笑)、あっさり死んでしまう。折角良い感じで物語が進行してきていたのに、アッサリと冷めてしまった。というか、なんかワザとらしさを感じてしまった。
死によって、トレバー少年は英雄になってしまい、「Pay It Forward」の伝説となってしまう。実際、そういう雰囲気の締め括りかただった。だがワシは、彼が死ぬことでこの「Pay It Forward」というアイデアは台無しになってしまったと考える。だってこれじゃあ、世界を変えられるかもしれない素晴らしいアイデアも、死によって報われてしまうという、一番救いようの無い結末じゃないですか!
===重大なネタバレ終了===
そんなわけでこの映画、題材の着眼点は面白いし(まぁ、「Pay It Forward」に似た考え方は昔からあるけど)、そこそこ満足いく内容ではあるんだけど、今一つ全体構成とラストに難あり、といったところでしょうかな。
いじょっ!
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