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Section S-1 新大久保駅転落事故

<目次>
1.事件について
2.≪緊急批判≫新大久保駅転落事故報道の欺瞞
  【2001年1月30日付いつでもコトノハ(旧コンテンツ)】
3.≪参考資料≫新大久保駅転落事故 各新聞社社説類比較
  【2001年1月31日付いつでもコトノハ(旧コンテンツ)】
4.現場の声 「危険な勇気」は、やめて
  【2001年2月13日付いつでもコトノハ(旧コンテンツ)】
5.掲示板より
  【掲示板より引用。不都合のある方は申し出てください。編集します】

1.事件について

ホームから転落、助けようとした計3人死亡 山手線 2001.01.26
 26日午後7時20分ごろ、東京都新宿区百人町1のJR新大久保駅で、男性がホームから転落し、この男性を助けようとして線路に降りた男性2人の計3人が、山手線内回り電車にはねられた。3人は間もなく死亡した。
 警視庁新宿署と東京消防庁が、3人の身元を調べている。調べによると、最初に転落した男性は50歳代とみられ、酒に酔っていたらしい。助けようとした男性2人は電車とホームの間にはさまれたという。この事故で、同内回りと埼京線の恵比寿―大宮間で一時、運転を見合わせた。

毎日Interractiveより>

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2.≪緊急批判≫新大久保駅転落事故報道の欺瞞

 東京都新宿区のJR新大久保駅で三人が電車にはねられ死亡した事故で、ホームから転落した男性を助けようとして亡くなった日本語学校生、李秀賢さん(二六)とカメラマン、関根史郎さん(四七)の葬儀・告別式が二十九日正午からそれぞれしめやかに営まれた。森喜朗首相や伊吹文明国家公安委員長らも参列。日本中から二人の勇気ある行動に多くの賛辞や香典・見舞金の申し出も寄せられ、反響は大きく広がっている。

 午後零時十五分ごろ、森首相が葬儀会場に姿を見せ、焼香し、李秀賢さんの両親に「日本の若い人たちの手本となるような息子さんの行為に敬意と弔意を表します」と伝えた。両親は目に涙を浮かべながら「ありがとうございます」と語った。

 父親の李盛大さん(六一)にはこの日、金大中韓国大統領からも「ご子息の不意の事故の知らせに接し、悲しみを禁じえません」という弔意が届いた。

 葬儀には森首相のほか、河野洋平外相や加藤紘一自民党元幹事長らも訪れた。

 関根さんの葬儀も二十九日正午から横浜市港北区の葬祭場「エヴァホール新横浜」で営まれた。新宿署の宇佐見範夫地域官が弔問に訪れ、関根さんの母親の千鶴子さん(七六)に警視総監感謝状を贈った。

Sankei-Newsより抜粋>

 この事故について、というよりも、この事故により派生したポイントは以下の点だ。
(1)新大久保駅で酔っ払い氏の線路への転落があり、それを救助しようとして線路に降り立った二人の合計三人が進入してきた山手線に轢かれて死亡した。
(2)救助しようと降り立った二人、カメラマン氏韓国人留学生氏の死が、美談としてマスゴミに報道されている。
(3)特に留学生氏の葬儀に、漏り総理大臣始め政治家が列席した。

(1)新大久保駅で酔っ払いの線路への転落があり、それを救助しようとして線路に降り立った二人の合計三人が進入してきた山手線に轢かれて死亡した。

 実はこれでもう報道されるべきことは終わっている。あるいは一歩踏み込んで、「新大久保駅の転落した地点には避難スペースが無く、また人が落ちたことを感知するセンサーも無く、安全面で構造上の問題点があった」。更にもう一歩踏み込むなら、「駅には列車非常停止ボタンというものがあるので、もし目の前で人が転落したらすぐにそれを押して電車を止めるように」。もちろん押せば必ず助かる訳でもないが(列車は急に止まれない)、少なくとも被害を押さえる手段になる。これで、本当に報道されるべき内容は尽きた。

(2)救助しようと降り立った二人、カメラマン氏と韓国人留学生氏の死が、美談としてマスゴミに報道されている。

 この事件は、よく夏場に起こる「海で溺れている人を助けようと飛び込んで、一緒に溺れてしまった」事故と、本質は変わらない。感情的には、彼らの行動には勇気ある行動と思う。心の底から、ご冥福をお祈りしたい。しかしはっきり言ってしまうが、救助しようとして線路に降り立った二人の行動は、実は勇気ではなく無謀である。遺族のコメントとして流れた「相手も救えず、これでは無駄死にだよ」という、カメラマン氏の母親の一言(1月28日朝日新聞天声人語より)、この一言がこの事故の全てだ。人を救助するには、まず自分の身の安全を確保しなくてはいけない。人命救助の基本である。亡くなった二人には、もっと別の手段があったのではないかと問いたいし、あなたたちが降りなければ悲劇は最小限ですんだんだと思わざるにはいられない。

 しかしマスゴミは、彼らの行動を「美談」として報道し、それにつられた人たちが見も知らぬ故人の葬儀に参列し、報道各社には、お見舞金を送りたいという問合せが殺到しているらしい【Sankei-Netより】。普通の感覚で考えるならば、遺族にとってこれは迷惑以外の何者でもない。それでなくとも葬式を一つやるのは大変だ【フューネラル参照・・・・・・?】。予想外の人がくることによっててんやわんやになり、まさに故人を偲ぶところではなくなるだろうし、お見舞金を送られても、お返しを考えなくてはならないし(送ったほうが望まなくともそのような余計なところにまで気を遣わなくてはいけなくなる)、本当に遺族にしてみれば「ほおっておいてくれ!」と叫びたいところだろう。普通の感覚ならば。

 さらに、報道に非常な偏りがある。クローズアップされるのは留学生氏の身辺だ。最初に転落した酔っ払い氏やもう一人のカメラマン氏は、たいして報道されていない。遺族としてはそのほうがありがたいだろうが。てか、とあるニュースキャスターが酔っ払い氏のことを非難するコメントをしていたのには驚かされたが。とにかく、留学生氏に注目が集まっている。これは陰謀論といわれるかもしれないが、特に韓国と日本との関係がサッカーのワールドカップだの歴史認識などで芳しくないこの時期、この事故について韓国を持ち上げようという報道協定があったとしてもワシは驚かない。日本マスゴミの自虐的な姿勢ならば、このような形で媚びを売ることは充分に考えられる。それでなくとも、マスコミ各社には、自分の命をなげうって人名を救助した人の報道に関してガイドラインがあるといわれている。ヒューマニズム信仰の強い日本国民に心地よく、韓国に媚びることも出来る、この両者を両立する報道として、今回の事故は都合が良かったに違いない。・・・・・・と、ここまで言うと、陰謀論と言われるんだろうけどね。

(3)特に留学生氏の葬儀に、漏り総理大臣始め政治家が列席した。

 通夜に福田官房長官が出席したという報道を見たときに嫌な予感はしていた。しかし、本当にやってくれたね、この馬鹿総理は。この人はいったい、総理大臣という仕事をなんだと思っているのだろう? 線路に転落死した見も知らぬ人の葬儀に一国の国家元首(法学的にみて厳密には、日本の国家元首は天皇なのだが、便宜上、実権上ということでこういわせてもらう)が出席する。この馬鹿漏りは、国家元首という肩書きの持つ権威を失墜させつづけてきたが、今回は極めつけだ。

 まあ、韓国の金大中大統領が弔辞を出すというのは、多少大業な気がしないでもないが、まだわかる。日本の国家元首も、例えば海外で邦人が航空機事故で亡くなったら「弔辞を出す」ことはまったく構わないだろう。

 しっかし、馬鹿漏り総理である。こいつは日本国を代表し背負っている国家元首ではなかったのだろうか?通常国会も始まり、処理すべき重要な職務が山積みのはずじゃなかったのだろうか?そりゃあ遺族も「ありがとうございます」としか言えないよ。迷惑だよ、この人。「普通の国」であれば、こんな馬鹿なことはそうそうないよ。はっきり言うが、この出席はただの政治ショーに過ぎない。それに利用された韓国人留学生のご遺族の方に、こんな政治家を選んでいる日本国民として心からお詫び申し上げたい。まあ、馬鹿漏りはワシの選挙区ではないが、我々日本国民の選出した国会議員であることは違いない。

 しかも、コメントがまた愚鈍だ。「日本の若い人たちの手本となるような息子さんの行為に敬意と弔意を表します」。馬鹿漏りは、ワシら日本の若者に、無謀な救助で命を落とせ、と言いたいのだろうか?留学生氏の人命救助の気概は手本にするべきかも知れない。しかし酷な言い方だが、彼の行為は手本になるものではない。その辺、馬鹿漏りはわかって発言しているのだろうか?このままだと、下手したら、馬鹿漏りは留学生氏に勲章でも与えるんじゃないか、なんて馬鹿な想像までしてしまう。それ以上に現実的な想像としては、教育改革審議会の答申で「国民皆奉仕活動制」が盛り込まれているが、この発言がその実現の為の布石ではないか、というもの。まあ、そこまでいくと深読みのし過ぎかもしんないけどね。

 そして、韓国人留学生の葬儀にのみ出席し、もう一人の救助に入ったカメラマンのところにはいかない。ここには明らかな、韓国との外交に配慮したつもりの、作為的な意思が見える。もちろんこんなことで、日韓関係が良好になるわけが無い。しかし、外交センスの無い馬鹿漏り総理と側近と外務省職員なら考えそうなことだ。もちろんそうだとした場合、やはり馬鹿漏り総理の出席は政治ショーということになるが。

 無いと思いたいし、憶測でこのような仮定を出すのは遺族に失礼かも知れないが、今後遺族がJR側に賠償請求とかしようものなら、それこそマスゴミは自分たちの「煽った罪」を自覚すべきだろう。鉄道法では、線路内に進入し列車の運行に支障を与えた場合、鉄道会社はその人に対して(あるいは当人が無くなっていればその遺族に対して)賠償請求が出来ることになっている。実際、列車への飛び込み自殺をした人の家族は「列車の運行を妨げた」賠償として、数百万円の請求をされている。つまり、賠償すべきは酔っ払い氏、カメラマン氏、留学生氏の遺族なのである。しかしこのままの世論では、間違いなく「JRが遺族に賠償すべき」となるだろう。万一そうなった時に、マスゴミはどう報道するのだろうか?世論は今回の事件だけを特別視するのだろうか?だとしたら、その時法治国家が崩壊し、日本は放置国家になる。法の適正な適用は法治国家の大原則だからだ。さて、この事故、というより事件の顛末は、どうなるのだろうか。。。

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3.≪参考資料≫新大久保駅転落事故 各新聞社社説類比較

山手線事故 巨大な「称賛」の渦に戸惑う

 「勇気とは何なのだろうか」
 26日夜、東京・JR山手線新大久保駅で起きた事故で考え続けていることだ。

 酒に酔ってホームから転落した利用客を助けようとしてカメラマンの関根史郎さんと、韓国から留学中の日本語学校生、李秀賢(イスヒョン)さんの2人が線路に飛び降りた。3人とも電車にはねられ死亡した。
 身をていして、転落者を救おうとした。自己犠牲を感じさ人もいるだろう。同時に、2人のとっさの行動でもあったろう。
 関根さんと李さんの死を悼み、勇気ある行動と称賛する声が広がっている。李さんのホームページに韓国や日本の若者らから寄せられた哀悼のメールは、10万件を超えた。
 森喜朗首相が遺族へ贈った書状にも「真に勇気ある行為を心から称(たた)える」と書かれてある。

 まず、自分自身に問う。その時、現場にいたら、2人のように線路に飛び降りただろうか。
 思わず惨事から目をそらしただけだったかもしれない。胸の奥底をじっとのぞいて見ると、2人の勇気への共鳴とともに、戸惑いも潜んでいることに気がつく。
 ちょうど同時刻ごろ、埼玉県朝霞市の東武東上線の朝霞台駅でも同じような事故が起きていた。大工さんが線路に転落し、自分ではい上がろうとしたが、電車とホームにはさまれ死亡した。
 ホームには利用客は約50人いたが、彼らの行動には戸惑いは、感じなかった。

 事故に巻き込まれ、亡くなった2人の親にとって、かけがいのない息子たちだった。「正義感と責任感がが強く、優しかった」という。
 2人の人柄を伝える記事を読み、中国の孟子が説いた人間が本来持っているという四つの感情を思い出した。惻隠(そくいん)(哀れみ、痛ましく思う)、羞悪(しゅうお)(不善を恥じ、憎む)、辞譲(目上にへりくだり、譲る)、是非(正邪を判断する)である。経験で、よりはぐくまれたのであろう。
 亡くなった2人のような人物がたくさんいれば、電車にわざわざシルバーシートを設ける必要もないのだろう。そんな人物を死なせてしまったことの無念さ。2人の行動に対する称賛の渦からは、そんな思いも伝わってくる。
 駅ホームからの転落は、珍しい事故ではない。国土交通省の調べによると、全国で年間130件前後が発生し、30〜40人が死亡している。駅のホームに線路と隔てるさくのホームドアが設けられていれば、せめて転落で電車が自動的に止まる検知マットや線路に避難できる場所があればと、悔やまれる。

 戸惑いを感じることは、もう一つある。それにしても、渦があまりにも大きいことだ。

 私たちは、勇気や善意、正義感に飢えた社会に生きているためだろうかとも、考えたりする。
 自分の身を顧みない自己犠牲への称賛も、大きな渦に含まれているようだ。これには戸惑いより違和感を覚える。
 自己犠牲を求め、それが勇気だという。この不幸な事故を何かに利用しようとする思惑さえ伝わってきて、羞悪のなさを感じている。やめてもらいたい

(毎日新聞 01-29-23:33)

毎日新聞 1月30日 社説


1月28日 ◇天声人語◇

 〈心の優しいものが先に死ぬのはなぜか〉と詩人、中桐雅夫は歌った。ニュースの詳細を知って、この一節が鮮烈に浮かんでくる。東京のJR新大久保駅で、ホームから転落した人を助けようとした2人の男性が、電車にはねられて亡くなった。

 「彼ならやるかな」。その1人、カメラマン、関根史郎さん(47)の知人が語っていた。「生きるのが下手だった。何でも一生懸命だった」とも言った。もう1人、韓国からの留学生、李秀賢(イスヒョン)さん(26)の友人は「弱い人を見ると放っておけない、彼らしい行動だった」と、しのんだ。

 とっさの場合どう振る舞うかに、人の本質がしばしば表れる。2人はちゅうちょなく、見ず知らずの男性を救うために動いた。なかなかできることではない。が、ここに、それをした人たちがいた。心ふさぐことがらが充満しているなか、ポッと明かりがともった。

 人間は素晴らしい一面を持っている。よくないことをする人もいるが、善い人も少なくない。いや、善い人の方が多いに違いない。そんな気持ちになってくる。けれども、無念きわまりないことに命が消えてしまった。限りなく高い代償である。

 きのう、現場のホームに立ってみた。折からの雪で、ホームの端はひときわ滑りやすい。線路に落ちかねない。ホームの幅も広くはない。右、左と、つぎつぎ電車が入ってきて、出て行く。あらためて怖かった。

 この駅だけが特殊なのではない。全国の駅の、これが日常の風景である。利用者はつねに危険と隣り合わせている。実際、転落事故は後を絶たない。ホームの下に待避できる余地を設けるのも大切。さらに、ホームに転落を防ぐさくを作るといった方法も真剣に考えるべきだ。

 「相手も救えず、これでは無駄死にだよ」。のこされた関根さんの母、千鶴子さん(76)のことばが頭を離れない。

朝日新聞 1月28日 天声人語>


春秋

 先日、芥川賞に決まった堀江敏幸さんがパリ近郊で暮らす中国からの移民や留学生の街を『おぱらばん』という作品に描いている。「以前」を意味する今あまり使われないこのフランス語が異郷の中国人たちの間で生き続ける機微に、作家は澄んだまなざしを投げかけている。

▼東京のJR新大久保駅で線路に落ちた男性を助けようとして電車にはねられ犠牲となった2人のうち李秀賢さん(26)は、韓国からの留学生として日本語を学びながら、アジアなど各地からきた外国人があふれるこの街で働いていた。目の前で起きた事故から見知らぬ客を救おうとして巻き添えとなった若い命に、哀悼の渦が広がっている。

▼留学や仕事で異邦に暮らす時、人は異文化のもとでの孤独や言葉の不自由から他人や地域との共生の感覚を阻む心の壁を作るが、李さんはもう1人の犠牲者のカメラマン、関根史郎さん(47)とともにためらうことなく危険に身を預けた。いまや日本人同士にも希薄な自己犠牲の心を隣国の若者が命をもって教えてくれたことに言葉もない。

▼炭鉱への強制労働で連行された祖父をはじめ、代々が日本と深くかかわってきた李さんは「韓国と日本のかけはしに」と大学院進学を目指していたという。そのホームページにはきのうで20万件を超す哀悼のアクセスがあった。社会に正義と勇気を呼び起こしたこの事故が、国籍のるつぼのような街で起きたことも深く記憶する必要がある。

日本経済新聞 1月30日 春秋


主張 教えてくれた「自己犠牲」

【山手線事故】
 東京のJR新大久保駅で、ホームから転落した人を助けようと線路に飛び降りて亡くなった二人の男性の勇気をたたえる声が広がっている。産経新聞社には読者から「二人にこそ勲章を」といった意見や、遺族あての多くの見舞金が寄せられつつある。

 結果的には転落した人を救えないまま二人とも犠牲になったわけで、家族や友人たちの悲しみはそうした言葉だけでいやされるものではない。「わが身のことを第一に考えてほしかった」というのも、偽らざる気持ちかもしれない。
 しかし、それが決して「無駄な死」ではなかったことも強調しなければならない。「勇気」だとか「自己犠牲」の尊さを身をもって国民に教えてくれたからである。

 とりわけ、韓国から留学していて事故に遭遇した李秀賢さん(二六)の場合、異国の地でまったく見も知らぬ日本人を助けようと、ちゅうちょなく線路に飛び降りている。韓国で育った李さんのこのとっさの行動こそ、戦後多くの日本人が失ったものだった。

 友人たちによれば李さんは「人が困っているとき助ける勇気をもった人だった」という。しかし、そうした「勇気」は一朝一夕に身につくものではない。子供のときから家庭や学校、社会ではぐくまれていくものなのである。
 戦前までの日本の教育も、家庭であろうと学校であろうと、わが身を犠牲にして弱い人や困った人を助けるという勇敢さを育てることをひとつの眼目としてきた。
 犠牲といっても、必ずしも命を捨てるということではない。家族や社会のため、時としては国のために奉仕する気持ちを養うということだった。また社会もそうした行動をたたえてきた。そうであってこそ、とっさの場合の勇気も生まれてくるのである。

 しかし、戦後の教育においては、こうした勇気だとか自己犠牲を「国家主義につながる」として廃棄してきた。その結果、自分のことしか考えられず、社会のことをかえりみない若者や大人を育ててきたのである。
 先ごろ森喜朗首相の私的諮問機関である「教育改革国民会議」が学校教育への奉仕活動の導入を打ち出したのも、遅ればせながら、こうした教育の原点に返ろうとしているのである。

 森首相は二十九日の李さんの葬儀に列席し哀悼の意を表した。このうえは二人の崇高な死に十分に報いる措置をとってほしい。また国会での施政方針演説でもその勇気に敬意を表明し、国民にこうした精神の復活のための教育改革を呼びかけるべきである。

産経新聞 1月30日 主張>


1月30日付・編集手帳

 JR山手線新大久保駅での痛ましい出来事は人々の心を揺さぶった。亡くなった関根史郎、李秀賢両氏に、警視総監感謝状、警察協力章が贈られ、政府も森首相名で「勇気をたたえる」書状を届けた

◆それもいいが、お二人の犠牲に国として報いる叙勲制度は働かないのか。そう考えて、内閣府賞勲局に聞くと、勲章ではなく賜杯を贈る準備を進めているそうだ

◆昨年六月の、新潟県入広瀬村での事例がある。山で遭難した男性の遺体収容作業に協力中、雪崩で命を落とした地元の山岳救助隊員で旅館経営の浅井乙一氏(当時七十三歳)に賜杯(木杯)が贈られている

◆複雑な叙勲制度の中に、賜杯(銀杯と木杯)があり、「勲章に替えて授与する」と規定されているというのだが、これもわかりにくい。近年では、他にも消火活動に協力中、犠牲となった民間人に木杯授与の記録が残る

◆もう一つ、褒章制度がある。各褒章のうち、紅綬は「自己の危難を顧みず人命を救助したる者」が対象だ。忠実にこの規定を読む限り、まことに悲しいことに、該当しないという

◆叙勲基準は「国家または公共に対する功労」を基本理念に掲げている。どんな行為が最大級に報いられるべき「功労」なのか。「官尊民卑」ともいわれる叙勲制度改正では、この論議をもっと深めるべきではないか。

読売新聞 1月30日 編集手帳

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4.現場の声 「危険な勇気」は、やめて

「危険な勇気」は、やめて
 「危険な勇気」はやめて−。東京のJR新大久保駅で先月二十六日、転落男性を救おうと線路に飛び降りた二人が電車にはねられ亡くなった事故が感動を集める中、鉄道会社は困惑を隠せない。東海地方の各鉄道も「勇気」には敬意を表しながら「線路に降りることはやめて」。第二、第三の巻き添え惨事を招きかねない危険な行為だからだ。転落を目撃したら「まずは早く列車に知らせる手立てを」と呼び掛けている。

「ホーム救助」で鉄道各社「線路飛び降りより、まず列車に知らせて」
 「線路は危険。勇気だけでは救えないケースがあるのだから」。鉄道関係者の一人はその後も続く「救出劇」の報道を冷や冷やしながら見守っている。

 危険を訴えるのは大きく二つ。一つはホームは線路から平均で一・二メートルと、予想以上に高い。飛び降りるだけでもけがをする可能性があり、はい上がるのも大変だ。二つ目は、列車は急には止まれないこと。時速百二十キロの列車は急ブレーキをかけても止まるまでに約五百メートルも進んでしまう。
 新大久保駅の事故も「タイミング的に救出は無理だった」と見られているように「運転士がいくら急ブレーキをかけても間に合わない場合はある」(JR東海)という。
 「だから線路に降りることは避けてほしい。勇気ある行動はありがたいが『(新大久保駅のように)してください』とは絶対に言えない」(名古屋市営地下鉄)とくぎを刺す。

 転落事故を目撃した場合、各社が望むのが「列車に早く知らせること」だ。
 「駅員に連絡するか、ホームを列車の来る方向に走って手や着ていた服を脱いで振ってもらうのも有効な手段」(近鉄)という。
 参考になりそうなのが名古屋市内で相次いだ「救出劇」と言えそう。
 中央線鶴舞駅で一日、少年を救ったケースは、客がホーム上から雨上がりで手にしていた傘を広げて運転士に伝えようとした。東海道線尾頭橋駅の四日の転落事故では、乗客がちょうど上り線に止まっていた列車の乗務員に連絡した。このため、連絡を受けた運転指令所が、同駅に向かっていた列車に伝えられた。

中日新聞 2001/02/10より>

 ごめん。まだ新大久保駅の事故のこと引きずっている。正確には、新大久保駅の事故に対する(大手)マスゴミの報道のことを引きずっている。

 本当に誤解のないように言っておくが、ワシはあの事故で亡くなられた三人の方々には冥福をお祈りしたいし(それすら偽善かもしれんけど)、救出にあたられて事故に巻き込まれたそのうちのお二人の気概には敬服している。ただ、(大手)マスゴミの報道の仕方に大きな疑問を感じているのだ。もっとも、この事故をマスゴミ批判へのテキストとして使用している時点で、ワシも彼らの犠牲を弄んでいるのかもしれないが。

 まあ、今日紹介している記事は、どちらかというと知識として有効かな、と思ったので載せてみました。線路内に人が立ち入ったのを見たときは、とにかく電車に知らせる手段を取る、ってことですな。その手段として、上に書いてあるものの他、非常列車停止装置(駅にの柱にある)を押す、とかね。

今回の事故は、ワシら一人一人が万一の時にどう動くべきか、ということを考えさせられ、その知識を広く考える機会となったのは、とても意義があったことだと思う。それこそが、尊い犠牲となった今回の被害者と、多くの鉄道事故で亡くなった方々への追悼となるのではないだろうか。

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5.掲示板より

※この件について、掲示板への書き込みからの意見の抜粋です。
※書き込みのタイトルで、この件に関係ないタイトルについては割愛してあります。

それは違うだろっ! 投稿者:PageMasterともさく 投稿日:01月30日(火)03時35分50秒

新大久保駅転落事故に関して……
 午後零時十五分ごろ、森首相が葬儀会場に姿を見せ、焼香し、李秀賢さんの両親に「日本の若い人たちの手本となるような息子さんの行為に敬意と弔意を表します」と伝えた。  両親は目に涙を浮かべながら「ありがとうございます」と語った。
 父親の李盛大さん(六一)にはこの日、金大中韓国大統領からも「ご子息の不意の事故の知らせに接し、悲しみを禁じえません」という弔意が届いた。
 葬儀には森首相のほか、河野洋平外相や加藤紘一自民党元幹事長らも訪れた。

Sankei-newsより抜粋

 今日は(今日も?)反発を覚悟であえて言う。何故今回の事故(事件?)は善行とされてここまで騒がれるのか、ワシには理解できない。そして、一国の総理大臣が(しかも韓国人留学生の葬儀にのみ)出席する、という珍事まで起こった。誰もこのことをおかしいとは思っていないのだろうか???

 確かに、線路に落ちた人を助けようとした二人の勇気には敬服する。だがそれは「自らの身を助けた上で、人を救助する」という人名救助の大原則にもとり、これは夏場によく報道される「海に溺れた子供を助けようと飛び込んで一緒に溺れてしまった」事故と、本質は変わらない。なのに、なんでこの件に関してのみマスゴミはここまで大々的に、キャンペーンとも言えるような報道をするのか? この「救助話」を美談として報道しているが、そんな姿勢で良いのか?

 この事件で報道されるべきは、落下事故の発生と、あえて追加するなら「新大久保駅の、転落した人の退避スペースが無い」という建築構造の問題点の指摘だ。それ以上ではない。

 また、主に韓国人留学生にスポットを当てているのも気になる。なんらかの意図が働いていると見るべきだろう。

 そして漏り総理大臣。他政治家(ちなみに通夜には福田官房長官が出席)。
 こいつ(ら)は馬鹿なのか?いや、わかっていたつもりだったけど、ここまで馬鹿とは。このダメ総理は、総理大臣という肩書きの持つ権威を失墜させつづけたが、今回は極めつけだ。韓国の金大中大統領が哀悼の意を表するのはわかる。自国民が他国で他国の人間を助けようと犠牲になったのだから。しかし漏り総理である。一国の国家元首(厳密には日本の国家元首は天皇なのだが)が、このような席に出席する。貴様は何者だ?政治家じゃないのか?公人として重要な職務を抱えているんじゃないのか? そりゃあご遺族である両親も「ありがとうございます」しか言えんわな。「普通の国」では考えられないことだ。

 はっきり言うが、この出席はただの政治ショーに過ぎない。それに利用された韓国人留学生のご遺族の方に、こんな政治家を選んでいる日本国民として心からお詫び申し上げたい。しかも、韓国人留学生の葬儀にのみ出席し、もう一人の救助に入ったカメラマンのところにはいかない。ここには明らかな、韓国との外交に配慮した(つもりの)作為的な意思が見える。

 遺族のコメントとして情報が流れた「結局は無駄死にでした」という一言、(裏取りはしていません。ゴメソ)この一言が、この事故の全てを物語っているのだ。マスゴミは、決してそのような論調をとらないだろうが。

 こうしてまた、日本人の大好きな「ヒューマニズム・ショー」が始まる。本気で反吐が出る。 あまりのお馬鹿なニュースに書き殴ってしまったが、あとでリライトしていつでもコトノハに載せるかもしんない。


同意見ナリ 投稿者:たに 投稿日:01月30日(火)09時45分33秒

 皆さんは駅進入時の電車の速度をご存じでしょうか?大抵70キロは出ているのです(駅手前にきつい曲線やポイントがあればこの限りではないですが)。
 山手線を走る電車は205系。最近流行のぺらぺらな電車とは違い性能はいいんですが、それでも時速70キロからの急制動から完全に停止するまで数百メートルはかかるわけです。しかも今回の事故では、転落時には既に電車は70〜80メートルの距離にいたそうで、秒速13メートル近い速度を考えれば、救出迄にいかに時間がなかったが分かります(5秒くらいかな)。
 で、実際にホームから線路に下りた経験から言えば(なぜ下りたかは内緒)、ホームって結構高いんですよね。しかも線路に蒔いてあるバラストのせいで足下は不安定。不用意に下りれば捻挫しかねません。

 つまりともさくさんの言うとおり、この救出劇は最初から無謀だったとしか言いようがありません。駅には電車の緊急停止ボタンが設置されていて、当然新大久保駅にもあるのですが、前述したとおり、転落が起こった時点でこのボタンを押しても、電車は止まれなかったでしょう。しかも新大久保の駅の構造上、ホーム下には待避場所はありませんし(ちなみにこの空間はJRでは資材置き場であって、避難場所ではないという発表がありましたが)、ホームと逆方向には埼京線の下り線があり、こちらに逃げるのも得策ではありません。

 韓国の留学生の母親はJRに対し、なぜ「待避場所がないのか」「なぜ駅員がいないのか」と詰め寄ったそうですが、そして「日本は韓国よりも進んでいると聞いているのに、なぜ電車が止められないのか?」と漏らしたそうですが、そしてその気持ちも分かるのですが、今回の救出劇は無謀だったとしか言いようがない。

 2〜3分間隔で運行される電車と駅ホームがいかに危険な場所なのか。僕たちにできるのはもう一度このことを認識することです。ホームで酩酊状態なんて!!

 亡くなったお二人にはご冥福をお祈りします。


投稿者:PageMasterともさく 投稿日:01月30日(火)12時38分53秒

●たに殿
 その詳細データを見てちょっと怖くなったこと。

 即時報道媒体である新聞、テレビのニュースは『美談』として扱っていますが、二次報道媒体である雑誌(ゴシップ誌)、ワイドショーなどは、そういったデータをもとに「これは勇気ではなく無謀だ」という報道(こんなのは報道ではなく『情報の垂れ流し』というんだが)を仕掛けるんじゃないかと。そうして、またご遺族の方々に迷惑をかけるのではないかと。こういう時の遺族の気持ちは「ほおっておいてくれ!」だと思うんだけどねぇ……。


それはないかな 投稿者:たに 投稿日:01月30日(火)17時06分18秒

 多分ずっと美談のままでしょう。
だってホームで酩酊状態だった左官屋さんについて言及しているメディアないもん。本来ならこの人についてもっと報道しないとバランス悪いじゃないですか。つまり、もう既にこの事件は勇気ある二人の行動にしか焦点が当たらないし、メディアもそういう取り扱い方にしたんじゃないでしょうか。

 言い方悪いけど、酔って電車に轢かれる人って結構多い。ただそれだけの事件なら記事は小さい。要するに報道する価値があるかないかで言えば、その価値は小さいんですよね。某テレビ局の報道局でバイトしてたから、そう思う。ムルロア環礁での核実験も、速報で流したのは最初の三回くらいまで。その後は……。

 JRの偉い人、韓国の大統領も登場したし、思いがけず森さんまで登場。残されたマスコミの興味は賠償問題くらいでしょう。でもいくらお金もらったって、家族の人にしてみればそれでどうなるもんでもないし。

 それにしても三人を轢いてしまった運転手さんは大丈夫なんでしょうか?


いいかげんに 投稿者:遊子 投稿日:01月30日(火)17時27分17秒

うちの壊れたテレビ、直そうかなぁ と、その気もなく2年ほど言い続けたことを すこしばかり本気で考えてしまいますね。(本当に本気で考えたのは東海村の臨界事故のとき)そういう報道になっていたのか……知らなかった。

 線路にだれかが落ちてしまったら、その人が助かろうとホームに手をさしのべないかぎり、そして数々の運が味方しないかぎり その人を助けるのは至難の業なのですね。一緒に降りてしまえば、そこは本当に「逃げ場のない」溝なんだなぁ。去年、池袋線の終電に乗っていたら、江古田駅手前で人身事故が起こりましたが、それは踏切から侵入してホームに飛び上がろうとした人が思惑叶わず電車に衝突されてしまったということでした。酔っぱらっていたそうですし 終電を見て慌てたんでしょうね。でも 線路からホームってそんなに簡単に上がれるように見えるものかな。身長150センチのわたしには分かりません。

 今回の事故に限らず亡くなられた方々の無念を思います。


投稿者:PageMasterともさく 投稿日:01月31日(水)03時29分32秒

 いつでもコトノハに、新大久保駅転落事故報道の欺瞞をアップしました。
昨日、漏り総理の馬鹿さ加減に呆れて書き殴ったもののリライトです。といっても、同じことを婉曲に言ってるだけなんだけど(爆)。

 ところでその件の続報ですが、「李秀賢君の勇気をたたえる基金」なるものが開設されるらしいです。警視庁は災害給付金の支給を決め、また、勲章に関しても、規定で勲章が送れないので『賜杯』なるものを送るよう、内閣府賞勲局が検討中らしいです。

 しかし、遺族が「あれは無駄死にだった」と無念を語っても、マスゴミは「無駄死にではない」の一辺倒ですな。どうにもこの国のマスゴミの体質に、大きな疑問を感じざるをえません。予想通りに、産経新聞はこの件を『森喜朗首相の私的諮問機関である「教育改革国民会議」が学校教育への奉仕活動の導入を打ち出した』ことに絡めてきたし、(1月30日付け『主張』)朝日新聞はしきりに日韓関係に絡めようとしています。こうしてみただけで、マスゴミ各社のイデオロギーにこの事件が利用されているのがわかります。反吐が出る。

 ちなみにこの件に関しては、毎日新聞が比較的バランスの取れた社説を書いています。ご参照ください。

●たに殿
 美談のままの気もしますね。ただ、最近の「世田谷一家惨殺事件」の歪みっぷりをみてると、ちょっと不安になります。この間は、奥さんに「ストーカーがいた!?」という見出しが、ある女性週刊誌に……唖然としました。二次報道媒体は、どんな記事を持ち出してくるかわかりませんから、非常に不安ではあります。
>それにしても三人を轢いてしまった運転手さんは大丈夫なんでしょうか?
 人を轢いてしまって運転できなくなった運転手は結構いると聞きます。しかも、これだけの大騒ぎ……不謹慎な言い方だけど、生き残ってしまった被害者といえるかもしれません。

●遊子殿
 至難の業です。ワシは一度、高円寺駅で、目の前で酔っ払った人が線路に落ちたことがあります。閑散としていた時間のホームで、まさに目の前で落ちました。ワシは足が震えて一歩も動けませんでした。幸いにして、近くにいた人たちが駆け寄ってきて線路に降り、落ちた方を横にのけ、また落下感知装置があったのか、非常停止ボタンを誰かが押したのか、電車(通過電車だったのでそのまま入ってきてたらとんでもない速度だったはず)は徐行しながら駅に侵入、その人たちの前で止まりました。まさに様々な要因が絡み合い、結果運が良かったとしか言い様がなかったものです。


新大久保駅転落事故の記事を読んで 投稿者:ねむ2 投稿日:01月31日(水)06時49分13秒

 読んでみたところ感情や理想より事実のみに焦点をおいたご意見のようなのでそのスタンスで意見を書いてみたいと思います。

 大枠については同意です。これは確かに美談ではありますが、結果としては犠牲者が1人→3人になっただけの悲劇です。主に問題にすべきはJR側の安全対策と利用者へのその通知であるでしょう。

 反対意見になるのはマスコミへの批判です。それがあるべき姿とは思いませんが、マスコミはその情報がどれだけのインパクトを持つかに重点を置きます。それは「情報を売る」という目的から仕方のないことだと思います。

 それと総理の行動についての批判ですが、彼は確かに軽率な行動を取ったとは思いますが書き方に悪意があり、正当な批判とはいえません。個人ページとは言え、インターネットという発言力を行使するからにはこれも軽率な行動ではないでしょうか。

 長々と書いてしまいましたが、「これは美談ゆえに美談で終わらせてしまってはいけない」というのが私の考え方です。綺麗な言葉、また逆に汚い言葉を見たときに人はしばしばそこで思考を止めてしまいます。意見を意見故に認めるのではなく、言葉の美しさゆえに認めてしまうということです。相手を押さえつける議論であればともかく、互いの失策を切磋琢磨するためにはこれは明らかな障害になるでしょう。

 議論をされる方、またそれを見る方にも御一考いただきたいところです。
 乱文、長文失礼致しました。


投稿者:PageMasterともさく 投稿日:01月31日(水)18時06分34秒

●ねむ2殿
ご意見ありがとうございます。

> 反対意見になるのはマスコミへの批判
 ワシは、マスコミのあり方には理想論があって、イデオロギー無き事実のみの『報道』をするメディアの登場です。現在のマスゴミに『報道』は無く、ねむ2さんの言うとおり『情報を売る』性格のものになっています。ここで必ず問われるのが、商業主義とジャーナリズムの二律背反ですが、ここでは話がそれるのでおいておきます。ともあれ、現状の日本マスゴミの体質と、それに対する批判としてのテキストですので、ここはどうしても理想論に傾いてしまいます。仕事上、中途半端にマスゴミの隅っこに参加してるので、あるべき報道の姿、は追いつづけていきたいと思います。

> 総理の行動について……書き方に悪意があり
 ワシは、自分がこのサイトで行っているのは、『報道』ではなく『ワシの主観的思考を表明し、話の叩き台にしてもらう』ことだと思ってます。そして、ワシの発言はある意味『アジテート』に繋がるものです。まさにワシが期待するのは、ねむ2さんのように『アジテートを見ぬいて』『自分の立場(意見)を表明してもらう』二点です。(偉そうないい方で申し訳ありません>ねむ2殿&ALL) インパクトのある言葉がもたらす強烈な印象に惑わされずに、それぞれの人の立場(意見)が言える場であればと思います。
 そして、ワシはこれが許されるのは『インターネットゆえ』あるいは『個人サイトゆえ』だと思います。インターネット、個人サイトと言う発言力は、無法ではないまでも自由度が高く、より本音の言える場だと思います。ワシがこの場で、マスゴミと同じような『当たり障りの無い』ことを言っても、全く注目されないでしょう。また、さらに言うなら漏り総理は『公人』です。公人であればいかような非難のされ方も許容しろとは言いませんが、少なくとも国政を監視する役目を持っているワシら選挙民一人一人は自由に発言するべきではないかな、と思います。

 なんか、これ↑が再反論になっているのかビミョーですが(笑)、「これは美談ゆえに美談で終わらせてしまってはいけない」というのはすごくわかります。ここまでの『事件』になってしまった以上、亡くなった方々の為にも様々な面でワシらは手に入れた反省材料を活かすべきでしょう。


投稿者:遊子 投稿日:02月04日(日)15時24分25秒

 森首相、やっとというか、新大久保駅事故のもうひとりの犠牲者にも気を向けましたね。でもそれも、まわりの批判が高まったからなのかなぁ。ちなみにその方、関根史郎さんの追悼作品展が、 お仲間のカメラマンの方々主宰で企画中だそうです(詳細未定)。


投稿者:PageMasterともさく 投稿日:02月05日(月)02時46分08秒

 ☆新大久保駅
 マスゴミは(不謹慎な言い方ながら)面白いように転落事故報道キャンペーンですな。予想通りだけどね。ニシもヒガシもどこどこで転落事故で救出劇がなんとやらとくらぁ〜♪

 その個々の犠牲者には(偽善的な言い方ながら)ご冥福をお祈りしますし、個々の救出に加わった方々にはその勇気を敬服しますが、結局のところ、マスゴミの取り扱いが、ワシは気に入らないですね。

 昨日までどこにでもあったニュースが、マスゴミのキャンペーンで世論を作る。少年犯罪増加キャンペーンの際にも用いられた手法ですな(犯罪実数は増加していないのに、さも増えたかのようにマスゴミが報道している)。まあ、それによって問題提起がなされるのならいいのですが……推して知るべし。。。

 今回の件について陰謀論に属するであろう持論、てか妄想を語るならば、『韓国人留学生の「自己犠牲」をキッカケに、日韓外交、教育政策、あるいはイデオロギーに利用しようという、 一部筋(具体的には政権与党:笑)の動きがある。ちょうちん持ち記事しか書けなくなったマスゴミは、それらの動きに協力すべく、バラエティに富んだ報道(=あちこちの転落事故=新大久保の事件の相対化)をすると見せかけながら、新大久保の事件関連の報道を織り交ぜ、世論を作り上げようとしている』

 ↑笑い飛ばすのもありです。しかし、マスゴミは情報操作を「するもの」なのです。


「危険な勇気はやめて!」は 投稿者:たま 投稿日:02月14日(水)00時10分45秒

 面白うございました。せーじへのもののみかた、は自分と随分遠そうだなぁって印象を持ってましたが、初めて(^^;)共感したのでありました。


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