私は喋ることが大好きだ。別に、自分一人が喋りたいわけではなく、まあ言い替えるなら人と会話をすることが大好きだ。会話というものは不思議なもので、喋っているだけでいろんなアイデアは浮かんでくるし、とても良いフレーズや言い回しをしていたりする。実際、こうして独り部屋で文章を書いているときより、人と喋っているほうがよっぽど面白いことを思いついているものだ。
★☆★人の話を聞ける人になれ☆★☆
会話のキャッチボール、という言葉があるが、昨今の多くの「会話」とは、キャッチボールではなく、並んでボールの壁当てをしているに過ぎないように思える。どういうことかというと、話をしているお互いが自分の話しかしていない、ということだ。
極端な例だけど・・・・・・
A「オレ明日久しぶりに彼女とデートなんだよね。どこいこっかな〜」
B「俺も一昨日久しぶりにデートしてきたよ。こんな仕事してるとなかなか会えないからなぁ」
A「いいかげん、クラブも飽きてきたしな。たまには気張ってナイトクルーズでも行ってみるのもいいかな?」
B「俺はオーソドックスに映画見てきたよ。見たい映画がたまっちゃってさぁ」
A「天王州から出てるんだよね。クルーズ。今月はボーナスも出るしそうしよっかな」
B「もし映画に行くんだったら『THE KIDS』オススメ。一昨日見てきたヤツ。女の子受け良いと思うよ」
A「映画だったら『天国までの100マイル』が良かったなぁ。邦画で久々に泣けたよ」
一見すると会話が成り立っているように見えるのだが、その実、相手の喋っている内容に触れるわけではなく、自分の番になると、そのトピックに関する自分のことを話している。相手の話を、聞かないわけではないのだが、重要視していない。結局、自分のことを喋りたいだけなのだ。別に、その全てが悪いというわけではない。ただ、私はこんなものは会話として実があるのだろうか、という疑問を持ってしまう。自分の話をするだけなら、その時間は楽しいだろうが、結局その会話から得られるものは何も無い。単に自分に関する情報を垂れ流しているだけ。端から見ると、まるでテレビが2台向かい合っているようなものだ。
本当に喋りの上手な人っていうのは、聞き上手な人のことだ。相手の話をきちんと聞き、それについてレスポンスをし、話題を膨らませ、そんな中に自分のことも織り交ぜて、きちんとの「会話のキャッチボール」をしている。私は今までの人生の中で、そのようなことができる人間には十人と出会っていない。もちろん、私の周りにいる人は私同様まだまだ若輩が多いので当然かもしれないが。
自分を「聞き役」だと思っている人というのは結構多い。私もそうだ。だが、実際その時々に会話を振り返って見ると、実はきちんと相手の話を聞いていなかったことに気付く。私もそうだ。だからといって、きちんと聞くことを変に気負ったり意識している状態だと、もうそれだけで会話を楽しむことは出来なくなるかもしれないが、会話を実のあるものにする為の意識というものは、持ちつづけて損は無いのではないだろうか? 情報の垂れ流し×会話に参加している人数、の空間よりも、そのほうが会話は楽しいと思うし、喋る側聞く側が混沌と溶け合って、とても良い「会話の空間」が作られるように思える。
★☆★インターネットのお喋り☆★☆
では、ネット上でのお喋りというとなんだろう? もっとも単純に会話に近いツールとしては「チャット」だろう。ほぼリアルタイムでの文章の応酬が楽しめる。また、掲示板での書き込み&レス返しも、立派なお喋りだと思う。そしてE-Mailのやりとり。タイムラグは大きいが、落ちついて自分の考えをまとめ、人の意見に耳を傾けるには、非常に有効な手段だろう。これらネット上の会話の最大の利点は、記録が容易に文章として残ることだ。ないより、前に自分や相手が何を言っていたかを読み返すことが出来る。逆に欠点は、相手が目の前にいないので、細かいニュアンスだとか言い回しの理解に困難が生じることだろう。詳しくはSection0-2へ譲るが、特に、ML上での議論の応酬などは、細かい助詞や単語の使い方ひとつで、全然違った意味合いに取られる。
ネット上での、すなわち文字媒体でのお喋りは、書く力と読む力、両方が求められる。だが、それはむしろ望ましいことなのではないだろうか。人間が、言葉というものを基本にそれぞれ思考している以上、どのみちその力は養わなくてはいけないものだ。
私がこのサイトを立ち上げた目的の一つは、自分とサイトに来てくれる人とが相互に補完しあいこの力を養えれば、というものだ。もちろん私の場合はモノ書きを目指しているのもあるが、たとえそうでなくても、そうでない人でも、読むことや書くことで人間としての重要な資質の一つを相互に向上し合えれば、まさに重畳極まりない。その為に、手段は様々なれどみんなとお喋りが出来れば、そういう場になれば、と思う。別に、小難しいことである必要はない。日常の、何てことない欠片で構わない。人の心に届くお喋り、それをこのサイトで実践できれば、と思う。
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