インデックス>ホーム>コトノハDaily>Dailyログ2007年7月
▲コトノハDaily
2007-7-1 (Sun)Version
これがホントの爆弾発言(←不謹慎)。
【みんな軽薄】
久間防衛相発言を一斉批判=野党、原爆投下容認に罷免要求も(以下時事ドットコムより抜粋)
久間章生防衛相が米国による広島、長崎への原子爆弾投下を「しょうがない」と発言したことに対し、民主、共産、社民、国民新の野党4党幹部は30日、「防衛相としてふさわしくない発言だ」(菅直人民主党代表代行)などと一斉に批判した。社民党の福島瑞穂党首は談話を発表し、安倍晋三首相に防衛相の罷免を要求した。
「原爆投下はしょうがない」の部分だけを繰り返し伝えて発言全体を敷衍しようとしないマスコミの「軽薄な報道」。
原爆被害者のことを考えているとは思えない、政争の具にするだけの野党の「軽薄な非難」。
そして何より、自分の立場と発言の影響力を理解できていなかった久間防衛相の「軽薄な発言」。
あのさ、別に久間さんの歴史観に対してどうこう言う気はないですよ。「原爆投下はしょうがない」という歴史観はしょうがないなぁ、と思いますし反論したい部分もありますが、個人としての発言と言うなら、まぁワシはそれでも結構。
それにしても軽率過ぎるでしょ。
これは、久間さんの歴史観や人格の問題ではなく、防衛相にして選挙前という立場、状況を分かっていないという「自覚」の問題。こういう時にこういう発言をしてしまう、いわば危機管理能力(いや、この場合は安全管理かな?)がない人が防衛相をやっている、ということにこそ、ワシは不安を感じます。
そういう意味では、野党の言う「防衛相としてふさわしくない発言だ」という文字面はその通りですね。もっとも、彼らとワシとで、指し示す意味は違いますけど。
【いっそすがすがしいまでの差別】
夜のシマネコBlogさんに興味深い記事が載っていました。
そんなに露骨に差別をするなと(夜のシマネコBlog)
なんでも、東村山市議の薄井政美氏(男性です)が元風俗ライターだったことを理由に、他の(女性)議員から「議員に相応しくない」と辞職勧告申出書を提出されたとか。
我らが自由の国では、気に入らない人間に難癖を付ける自由は確かにありますが、それ以前に職業の自由ってのは憲法で保証されていたはず。雇用機会の均等も法律で保証されているんじゃなかったんだっけ。
ということで、難癖を付けている議員は憲法と法律に違反している模様です。本当におつかれさまでした。
2007-7-6 (Fri)Version
明日は武道館で勤務先主催のイベントにスタッフ招集。もはや毎年恒例ですな。
【文の史(フミノフミ)〜07年春・前編〜】
一応、相変わらずの読書ブーム……といってもたかが知れていますが……でして、以前に続き、今年3月〜5月に読んだ本(書籍)を今更振り返りです。>以前
基本的に最近は書籍を読んだらmixiレビューに書くようにしているので(でないと読んだことや内容を忘れかねないので)、まぁそれを短くまとめなおしただけですわ。
数えてみたら、冊数単位で14冊。まぁ上下巻とかシリーズモノはまとめての振り返りであります。今日でだいたい半分、近日中に後編を書きます……書かせてくださいお願いします(低頭)。
「社会調査」のウソ―リサーチ・リテラシーのすすめ(谷岡一郎)
マイミクとくさんの書評を見て大いに興味を持ったので、お借りして拝読。世論調査の信憑性、って話題はよく出るかと思いますが、まぁこれを読むと、如何に信憑性が無いかを実感することができます。結局みんな、自分に都合の良い数値を持ってきているんだなぁ……。「社会」に騙されないための処世術のひとつを、これで学べると思います。
スキップ(北村薫)
今期読んだ作家の中で、もっとも筆力があったな、と思ったのがこの作者です。良い小説の条件のひとつに、とにかく先を読みたくなる、ってのがあるかと思うんですが、本作はまさにそこが秀でています。また、17歳の女子高生が午睡から目覚めると42歳になっていた、というプロットも秀逸です。なんとなくですが、教師や人に教える立場にいる人に読んで欲しい作品ですね。本書は、元教師の筆者による、面白い授業の作り方でもあります。
涼宮ハルヒの憤慨/涼宮ハルヒの陰謀/涼宮ハルヒの暴走(谷川流, いとうのいぢ)
この三冊の中には短編集と長編とがあって、たいていこういうシリーズものだと短編は物語の本筋にかかわらないストーリー展開が多いのですが、ここまで読んでやっと分かったのは、このシリーズにおいては短編も全体の物語を作る大事な欠片なんだな、ってこと。これまで同様、斬新さには欠けるし世界観に飽きが来ている感もあるのですが、それでも続きが気になってしまうのは、キャラクターの魅力とその変化が面白いかもしれません。なんというか、高校生の成長ストーリー(ただし破天荒)っぽくなってきました。
一日江戸人(杉浦日向子)
コメディ「お江戸でござる」で有名な故杉浦日向子氏による江戸エッセイ。たまたま図書館で見かけ、筆者が大学の先輩であったことも知っていて興味があったこともあって手に取りましたが、筆者の江戸という時代、文化、風俗に対する愛を存分に味わえる良作です。イラストも味があります。ただ、江戸を通じて現代社会を批判している点が結構あり、その気持ちは分かるけどあまり意味は無いかな、とか感じました。
「谷根千」の冒険(森まゆみ)
こちらもたまたま図書館で見かけて、「谷根千」の地名に惹かれて借りたのですが、果たしてその地域のミニコミ誌を作り上げた「普通の主婦」による奮闘記でした。取材相手に対する「愛情」とでもいうんでしょうか、彼女たちの作るミニコミ誌の根っこにあるそれが、実はマスコミであっても重要なんじゃないか、ってことに気付かされます。
2007-7-11 (Wed)Version
武道館でのイベントは無事終了。大学の後輩のにっちくんがレポを書いてくれてますが(電脳御殿)、掲載写真に偶然にもワシが写り込んでいてワラタ。
【文の史(フミノフミ)〜07年春・後編〜】
というワケで、前回に続いて読書録です。こんな記録にどんな需要があるか分かりませんが、それを言ったらこのサイト自体がなりたたないのでご容赦の程。笑。
天使と悪魔 (上)/天使と悪魔 (中)/天使と悪魔 (下)(ダン・ブラウン著/越前敏弥訳)
「ダ・ヴィンチ・コード」の主人公「ロバート・ラングドン」が初登場する物語。わずか半日ちょっとの出来事を描いているのですが、ジェットコースター小説とはいえ、この濃密さは異常。その中に散りばめられた科学と宗教、反物質とカトリックなどのレトリックに優れたテキストでとても派手派手しく物語を彩ります。そしてなにより物語のキーとなる「紋章」の美しさに見惚れます。
クリスマス・プレゼント(ジェフリー・ディーヴァー著/池田真紀子訳)
マイミクシナトラ・フランクさんの書評を拝見して拝読してみました。ていうか彼は年間120冊くらい書籍を読んでいるわけですが、どんなペースだよと。ワシの倍くらい? それはさておき、この短編集は、各作品の出来の良し悪しに差がありますが、全体としては面白いのではないかと。短編集というには、ひとつひとつの物語のディテールが細かいので、さらっと読める感じでもないですが。そして、「リンカーン・ライム」シリーズが面白そうなので、今度読んでみたいですな。
博士の愛した数式(小川洋子著)
どうしても世間の評判が先に耳に付いていたので、その意味では期待はずれでした。人物のディテールが甘いんですよねー。全体設定はそれなりに作りこんでいるのに、個別の人物設定が甘い。プロットはとても良いものだと思うんですけど、それを活かしきれていないんじゃないかな、という感がありました。それでも、最低限の面白さは保っているのですが。
裁判長!ここは懲役4年でどうすか(北尾トロ著)
エッセイというかルポというか。こちらも誰かの書評を見て読もうと思ったはずなのですが、どなたのかは忘れました(涙)。東京地方裁判所の傍聴を筆者なりにまとめていますが、人生の喜怒哀楽、人間のナマ、それらが直接的に噴出する場としての裁判所、ってのを知るには良いテキストです。語り口に軽薄さ、不謹慎さを感じる部分も多いですが、それが気にならなければ面白いと思います。
不思議を売る男(ジェラルディン・マコーリアン著/金原瑞人訳/佐竹美保著)
身近にお話し上手な人っていました? 昔話でも作り話でも良いんですけど、子供にとってそのお話は想像を広げる栄養素ですし、大人にとっては何かを思い出したり感じたりする引き金みたいなものなんじゃないかと。この本は、その「お話し上手」な男が語る幾つもの物語と、その男自身の不思議なお話です。短編集としてみてもそれぞれかなりレベルの高い作品ですので、このファンタジックな寓話の数々を是非味わっていただきたいです。
哲学的な何か、あと科学とか(飲茶著)
「ムツカシイことをシンプルに」――ワシの書きたいテキストの方向性を示す標語であり目標です。難しいことを難しく書くのは偉い人に任せておけば良いんですが、難しいことを簡単にして人々に知らしめるって、並みの能力じゃないと思うんです。でもこの本は、それを見事に実現しています。哲学と科学の分野、そして量子力学。全てが正確に記述されているか、といえばそんなことは無いんでしょうけど、哲学、科学、量子力学について好奇心を満たせれば満足の人にとっては、とても優れた読み物です。
2007-7-17 (Tue)Version
たまには心底どうでもいい話を……って、「たまには」じゃない、かorz
【「やせればモテる」を真面目に検証してみる】
ふくよかな体躯のワシは、極々稀にですが、男女問わず「やせればモテると思うよ」と言われることがあります。まぁワシが非モテなのは体型だけの問題ではないのでそんなことも無いだろうといつも笑い飛ばすのですが。
もしも、非モテなのが体型だけの問題だったら?
という観点に立って、先の台詞を検証してみましょうー。嘘。検証というほど厚い話しはしない。
さて、「やせればモテる」ということは、裏返せば「太ってるからモテない」ということでして、まぁこの時点で【モテない】ことが前提になっていることに驚くワケですがまぁそこは事実だから仕方ないとして、つまりは「ワシの人柄(性格)については問題視されていない」ということ。
ところで世の中では、よく好きな人の条件に「性格がよければ見た目は関係ない」という人がいます……というか、結構多いです。しかし、本当にそうであれば、見た目を改善条件に「〜〜すればモテるよ」という発言はされないはず。
すなわち、結局はまず見た目が重視されてる、ってことですよ。
で、それが悪いとは全然思わないです。ワシもそうですから。特に好みとかがあるワケじゃないですけど、どうしても最低限クリアしてほしいラインはある。結局人それぞれ、程度やベクトルの違いはあれど、見た目、ってものに対して設けているハードルはあると思います。
そのハードルの一つに「太ってること」が入ってくるんでしょうね。そう考えていくと、まぁ仕方ないのかな、と思いつつ、「性格がよければ見た目は関係ない」という発言の欺瞞を感じるワケです。
……検証する、とか言ったワリには、あっさりとあまりにもありきたりの結論に陥ってしまいました。最後まで読んでくださった方、ごめんなさい(謝)。ちなみにワシ個人としてはそのように揶揄されることは全く気にならないので、これからも浴びせ掛けると良いと思うよ!(ドM?)
2007-7-25 (Wed)Version
今日は新木場STUDIO COASTでイベント仕事です。
【命名】
最近、まわりで出産ラッシュでしてホント、おめでたいことです。で、皆さん、お子さんの命名はやはり少なからず悩まれるようですが、そうは言ってもワシの回りの方々は、皆ステキな名前を授けていらっしゃって、いや、良かったですよ。
ていうのもですね。ニコニコ動画でこんな動画を見かけまして。
最近の親は子供にこんなDQNネームを名づけます(学力低下編)
最近の親は子供にこんなDQNネームを名づけます(オタネーム編)
ncncを見られない方は、有名どころですがDQNネームというサイトをご参照。
……もちろん、子供が自分の名前に誇りを持てるなら、外野がどうこう言う問題じゃないのは分かっていますが……それでも敢えて言いたい。こりゃないわ。
まぁ、一億万歩(←ナニソレ)譲って「オタネーム編」の方は良いとしよう。アイドルの名前を由来に付けるのとそんなに変わらないだろうし(ワシ個人としては、付けられたくはないですけどね……)。でも、「学力低下編」はひどすぐる。なにしろ例えば、
「恥子」
ですよ。「はじこ」。これ、「聡子(さとこ)」と書こうとして申請時に漢字を間違えたとか……他にも、そんな名前のオンパレード。まぁ、どこまでがネタでどこからがリアルかは分かりませんけどね。
「命名」って漢字を書きますが、文字通り「名」はその人にとって「命」なんですよね。映画「千と千尋の神隠し」じゃないですけど、名前を奪われるってことは命を奪われるのに等しい……そんな民俗もあるくらい、名前ってのは大事なものなんですけどね。親の無知や勘違いやミスで、その大事なものが軽く扱われている(ように見える)のは、とても残念です。
2007-7-31 (Tue)Version
浅い考察はむしろ恥かもしれませんが、取りあえず。
【変わらないもの】
参院選終わりましたね。今回はまぁ、投票率の話(>参考:有権者の過半数が投票に行かないという選択をするこの国で。)とかはおいといて、ふっと思った雑感だけ。
民主主義が嫌い……ではないけど、日本という国(と日本人という国民性)に民主主義の政体は合わないだろうな、と考えているワシですが、まぁ例によって投票には行きます。今のところ、最大の政治参加手段がこれしかないですからね。今後の政局は頭の良い人がいろいろ言ってくれるだろうし、ワシの見解もそこから大きく逸脱するものではないから改めては書きませんが、一昨日の選挙報道合戦を見ていて思ったことは。
結局一番変わらないのはマスコミなんだな、ってこと。
数字を煽って、政治家を煽って、国民を煽って、どうにもまともな「日本の今後」を示唆しようとする番組は、少なくともワシがザッピングして見ていた限りは見あたりませんでした。結局その方が視聴率が取れるからなんでしょうけどね。
あんまり浅い考察をしてもアレがナニですので時間のない今は控えますが、世間の動き(少なくとも動く可能性)に対して、まっとうに対峙できない今のマスコミでは、結局国民の熱も冷めていってしまうのではないかな、ってことを危惧した夜でした。
ここまでは、某mixiに書いたものとほぼ同じ。一応簡単に補足しておきますと。
マスコミ次第で冷めるくらい、国民の熱とやらも脆いものじゃないんですかね、って部分も皮肉っているつもりです。政治も、マスコミも、国民が変わらなきゃ変わらない。
▲コトノハDaily
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