インデックス>ホーム>コトノハDaily>Dailyログ2003年9月
▲コトノハDaily
2003-9-5 (Fri)Version
来週仕事を夏休む予定なんで、今週はテンテコ舞いです。
【雑談】
またこういう更新ばかりで申し訳無いですが。
●NTT Travel Service
NTT系列で旅行会社をやっているというだけでも驚きなのに、なんとこの会社、宇宙旅行を扱っています。
●泣いて眠って乳のむだけ‥‥じゃなかった! 赤ちゃんのびっくり!新常識
同僚が出産‐育児休暇を取ったので、こんな情報に興味が行きますた。
●ABC(アメリカン・バカコメディ)振興会
おおむね、バカです。
●J-MAGAZINE/読者媒体データ/各誌発行部数リスト
仕事で役立ちそうなんでメモメモ。
●名言サイトの決定版! 【一千人の言葉集】
管理人さんの主観とは言っていますが、なかなかどうして良いポイントを押さえています。
2003-9-7 (Sun)Version
初めてのサーフィン。
2003-9-8 (Mon)Version
ちょっとニューヨークまで。
【911】
えー、というわけで、唐突ではありますが、テロ予告も出ている今日この頃(イラクでのだけど)、会社の夏休みを利用しまして、ちょっくらニューヨークまで行ってきます。あえて911合わせの日程で夏休みを取り、ニューヨークに行くのには、やっぱりちゃんと理由があって、「その日」のアメリカの姿を、両のまなこに焼きつけ、ついでに肌で感じてこようと思います。
シンボルとしての911。20010911の時は、経済のシンボルとしてのWTCと、軍事力のシンボルとしてのペンタゴンが、それぞれテロの対象となりました。今回、復興の象徴となった「911」という「日」が、テロの標的になるのは充分に考えられることであり、その意味で、かなりドキドキしてます。
無事に(笑)帰ってきて、ニュース性のある体験をしたら、ここで書きたいと思います。何も触れなかったら、単なる観光旅行で終わったんだと思ってくださいw。ただの旅日記かいても面白くないもんな。ちなみに、帰国は13日の予定です。次の更新は、気力があれば14日付かな?
そんじゃ、いってきまーす
2003-9-14 (Sun)Version
帰りますた。ちょっとバタバタしていますが、NYでのことは書こうと思います。もしかしたら、今までサイトで書くのを避けていた「旅行記」的な自己満モノも書くかもしれませんが、書き始めたとしても途中で挫折する気配濃厚ですw。日本にいない間、いろいろ面白いニュースもあったようですし、勝手にがんがる気分になっております。いつまで持つやら。。。取り急ぎ、無事に帰りましたよ更新。
2003-9-17 (Wed)Version
大好きなUrayasu Unlimitedの日記復活を(勝手に)お祝い中。
【雑談】
アメリカの話はまた今度(と言っておいて出来なくなるor旬を逃がす罠)。
●日本常識力検定(ネタ元:カトゆー家断絶)
何回かやって、平均80〜90点くらいでした。さほど捨てたモンでも無いね。
●世界の人口推移シミュレーター
生と死が厳然たる数値で表されていることに感慨(シミュレーターだけど)。
●ゲーム会社 社名の由来(ネタ元:かーずSP)
やっぱウチの会社は入ってないですねw(コンシューマー向けじゃないしね)。
2003-9-19 (Fri)Version
エロトリビア へぇ〜へぇ〜へぇ〜 いちお、18禁かな?
【20030911inNY】(03/09/22 07:00 加筆修正)
8時。二年前に同時多発テロで倒壊したワールドトレードセンター(WTC)跡には、既に多くの人が集まっていた。もとはWTCのあったそのブロックは、四方をフェンスで囲まれ、地下部分は再建が始まっている。回りのブロックにある幾つかのビルも傷跡が残り、未だ修復中のところも目立つ。フェンスにはWTCのあった南マンハッタンの歴史と、犠牲となった人々の名前が、それぞれボードに書かれて貼られている。この日はさらに、花束が飾られ、写真が貼られ、そして数々のオーナメント(その多くは警察(NYPD)や消防署(FDNY)のもの)が配されていた。犠牲者の遺族はフェンスの中に入って献花をし、祈りをささげ、中に入れない関係者や野次馬、報道陣が、フェンスの周りに作られた通路を挟んで、現場を囲む。
8時50分。最初の飛行機がWTC北棟に突入した時間。アメリカ国歌が歌われ、鎮魂の鐘が鳴り、そしてすべての人が黙祷をささげる。セレモニーが始まった。遺族の子供達200人が、犠牲になったひとりひとりの名前を読み上げていく。涙ぐんで、読めない子供もいる。その模様は、全てフェンスの中で行われていて、ワシのいる位置からは見えない。周囲に配されたスピーカーから、その声を聞けるのみだ。報道陣が、フェンスの周りを囲む人々(つまりワシら)にカメラを向ける。犠牲者の関係者であろう人々が涙ぐみ、ただの野次馬かもしれない(ワシもその一人に数えられようが)多くの人たちも、沈痛な面持ちでセレモニーを見守っている。9時8分。二機目の突入の時間、二回目の鐘、二回目の黙祷。さらに南棟が倒壊した9時50分、北棟が倒壊した10時30分と、鐘の音と黙祷は続いた。ずうっと泣いたまま見守る者もいる、立ち去るものもいる、新たにやってきて目を腫らすものもいる。時折、犠牲者の写真を抱えた人たちが、目の前を過ぎていく。救急車すら、このブロックの横を通るときは、それまでけたたましく鳴らしていたサイレンの音量を落として過ぎ去っていく。上空には、ニューアーク国際空港に向かうのだろう、いつもどおりに飛行機が飛び去っていく。そして11時30分過ぎ、全ての名前が読み上げられ、セレモニーは終わった。
今回、世界の大きな転換期となった同時多発テロから二年たった現場を見、その空気を感じようと、会社の夏休みをわざわざその時期に併せて取って、テロ予告のされた中をNYまで行って来た。実はセレモニーの前日(10日)に、初めてWTC跡に行ったのだが、さすがに声が出なかった。ここに、東京タワーをはるかに凌駕する高さのビルが二棟立ち、それが崩れたなんて・・・・・・正直想像がつかなかった。テレビのモニター越しに見たのとは全然違う、その現実に早くも打ちのめされそうになった。
11日、現場を見、セレモニーを見ながらワシが感じたのは、アメリカに対する同情、次に怒り、そして憐憫の情だった。
黙祷をささげ、ひとりひとりの名前が読み上げられるのを聞き、声の詰まる子供の声を聞きながら、ワシは心を悼めていた。それは犠牲者の遺族や関係者の、あるいはアメリカ国民の1%にも満たないかもしれないが、少なからず彼らの想いにシンクロしていたはずだ。時折、日本人の名前も呼ばれる。同様に、様々な国の人の名前が呼ばれているはずだ。果たして、ここで呼ばれる名前に対して捧げられる想いに、人種や国籍の別があるだろうか。否、等しくこの場で犠牲になった人たちに、皆、哀惜を感じているはずだ。だが残念なことに、この場所でのみ、追悼者たちは人種や国籍の別を感じないのだろう。海の向う、テレビモニターに映る戦争の話になるや、その感覚が麻痺してしまう。何故彼らは、彼らと同じく心を悼めている人が、アフガンに、イラクにいることを分からないのだろう。
いや、あるいはここに集まっている人たちはその気持ちをわかっているのかもしれない。以前も紹介したが、「私たちの息子の名において戦争をしないで(和訳)」という、犠牲者の遺族がニューヨークタイムズに寄せた手記を見ても、そう思う。だが彼らの思いを逆用し、民主主義というシステムを隠れ蓑にして、この国を戦争へと駆り立てている連中がいる。彼らがそこまで躍起になるのは何か。
むろん、石油の確保というアメリカの基本的な国家戦略による思惑も、巷で言われているようにあるのだろうが、今回強く思ったことがある。911は、国民を犠牲にしてしまった、アメリカの国策の失敗である。その意味で同時多発テロは、利潤と戦いと憎しみとの拡大再生産を生み出すキャッチボールの、一投に過ぎなかったはずだが、アメリカはその失敗を隠すため、アメリカを「単なる」被害者として、国民と世界に錯覚させる必要があった。そしてそれは、途中までは成功していた。イラク戦争の戦闘終結宣言後の混乱は、再びその虚飾を剥がしているが、少なくとも911当時と、その後の一年くらいは成功していた。シンプルな話だが、ワシはそんなものだと思う。
きっと、誰もが分かっているのである。あれは国策の失敗の結果だったと。だが、それを認めることの出来ない矜持、それがこの国をして、自称世界の保安官、他称世界の独裁国としての地位を、もたらしめているのだろう。アメリカは失敗してはいけない、そんな空気と、その結果がもたらすさらなる悲劇を思うと、唯一の超大国に「なってしまった」この国への、憐憫の想いを隠しきれない。
911から二年。折りしものイラク戦争後の混乱と相重なり、アメリカの空気はまた大きく変わりつつあるのではないか。そのうねりの端緒は、やはりこのWTC跡から発せられているのではないかと、セレモニーの中にあってそんな気分に陥った。現場で、1ドルで売られていた、911を祈念したピンバッチ。それをつける人々は、平和を呼ぼうとしているのか、あるいはそれを持って戦いに趣いていくのだろうか。
2003-9-22 (Mon)Version
地図帳見てたら一日過ごしかけた。
【地震予兆】
昨日、具合が悪くて寝込んでいたのですが、ダラダラと流していたテレビで、ちょっと面白いものをやっていました。それは、大地震は必ず来る!をテーマに、最終的には富士山噴火までを繋げて、その中で生き残る術を過剰演出で見せる、っていう、まぁ危機感を煽りつつも、危機感を忘れている人には良いカンフル剤になるのかな、と思わせる番組だったわけですが、その番組中で、地震の前兆について調べて、予知として発表している人たちが出てきました。
一つは、大気中のプラスイオン濃度の変化と地震との因果関係から予知を行っている岡山理科大学、もう一つは、地震発生前に生じると思われている電離層の変化を地上の放送波を使って観測し、震央地から発生日、マグニチュードまでを予測している八ヶ岳南麓天文台。どちらも、テレビ越しのせいかちょっと胡散臭くも見えたのですが、それは演出のせいと割りきれば、なかなかにきちんとしたデータを元にしているようで、信頼にあたうモノなのかな、と思わせる内容でした。
そのうちの前者、空気中のプラスイオン濃度の変化から地震の前兆を警告している岡山理科大の場合ですが。なんでも、空気中のプラスイオン濃度があがると、そのプラスイオンは動物のホルモンの分泌を盛んにさせ、ストレスという形で表面化するそうです。いわゆる、地震の前には動物が騒ぐ、というのの科学的検証ですね。他にもプラスイオンは、地震直前の発光現象や、いわゆる地震雲といわれる自然界での前兆現象に、深くかかわっているとか。どうにも、マイナスイオンとかいうヤツに胡散臭さの先入観を持っているワシとしては、プラスイオンと言う単語で既に拒絶反応が出そうなところだったのですが、そこはそれ、実は思いあたるところがありまして。
実は、この一週間ほど、非常にストレスが溜まっていたのです。普段は公言しているとおり、まずストレスが無いと言うか、感じていない人なのですが、9/15にちょっとイヤなことがあって、それ以来どうにもネガティブシンキングというか、やることなすことうまくいかないような錯覚に陥っていたというか、イライラモヤモヤな先週だったのです。一つのマイナス思考が、次々に心情に連鎖する典型的なストレス現象の一つだとは思いますが。で、それが実は、金曜日の夜に最高潮を迎えていたのですね。もうその時は、破壊衝動というか、出会い頭に悪口雑言罵詈雑言のマシンガントークをかましかねないというか、誰かと一緒にいたらやばかったんじゃねぇ、オレ、と邂逅するぐらい酷かったわけですが。
その翌日の昼、関東地方で震度4の地震。
結論:トモサクがイライラしている時は、地震が起こる。
・・・・・・ワシャ、野生動物か。ていうか、一回ぐらいの偶然で因果関係なんて語れないのは良く分かっておりますが。まぁ、そんな自分のコンディションと地震との直後に聞いた話なんで、なんとも感心して聞いてしまいましたとさ。
ちなみに。地震のあった時、どうやらワシは電車に乗っていたらしく、まるで地震に気付いていませんでした。。。家に帰って崩落していた数々の荷物と、友達からの「今日の地震凄かったですね」メールで、やっとニュースを調べて地震の存在を知った始末。
2003-9-24 (Wed)Version
女子アナをタレント化させた局が悪いのか、それを利用している女子アナが悪いのか。
【相殺戦雑感】
↑誤変換のワリには笑えなかったりしますが。
終わりましたね、自民党総裁選。誰が勝っても同じ、というところまで諦めきっていないワシではありますが、結果はまぁ、総選挙を総裁選の脅しに持ってきた時点で小泉サンの勝ちは決まっていたようなもんですから、どうしようもないですね。みんな、選挙に勝たないと意味が無いからね(←まずはこのメンタリティから何とかしなきゃいけないわけですが)。さらには、小泉サン自身も「驚いたでしょう」と評価した党人事。確かに驚きましたね。こいつらは本気かと。まがりなりにも北朝鮮問題で日本の政治家としては前線で活動している安部サンが幹事長。この重要な国際問題がまだ解決していない時点で幹事長に抜擢とは、小泉サンは本気で北朝鮮問題を解決する気があるのか、疑問符が激しく点滅するのも当然でしょう。国策よりも党人事。安部さんは、幹事長業務に足を取られるでしょうし、北朝鮮問題の解決はまだ長引きますな。
ところで、前々から思ってはいたんですが、自民党総裁=日本国総理大臣、という図式は、確かに現実としては正しい結果に収まっているんですが、マスゴミまでがそれを前提に話を進めるのはいかがなものかと。ワシも若かりし頃、いわゆる55年体制の延長としての政局だった頃は、その二者を混同していました。もちろんそんな馬鹿な話は無いわけで、自民党の総裁選挙は、総理大臣を選ぶものでは無い。日本の総理大臣は、国会の指名によって選出されるのが憲法で規定されている以上、自民党総裁戦と総理大臣指名を混同させるような報道は、重大な報道被害なんじゃないかな、と思います。
自民党総裁選は、多くの国民にとって参加することの出来ない、極めて非民主的なものです。いや、投票をしている以上民主的ともいえるのですが、自民党員の投票によって、日本国の実質的な国家元首が決まる、という誤解が生まれるのは、非常に危険に思います。そして、現状のマスゴミを見ていると、そう誤解されかねない報道っぷりです。同時に、国民の側のメディアリテラシーの低下も見受けられると思います。確かにシステムが、国民による国家元首の直接選出を不可能にしているわけですが、少なくとも、自民党員が決めるものでもありません。現在、緩慢とした厭世観の蔓延る中、国家元首の選出にまで世界を隔てた感を覚えかねない、自民党とマスゴミの姿勢に対し、警鐘をならしておくことにします。
・・・・・・単なる愚痴で終わってしまいましたね。。。
2003-9-26 (Fri)Version
昨日は東京ゲームショウの仕込みにいってきました。えぇ、出展社ですから。週末は現場に張り付きっぽいんで、更新出来ないかもしれません。。。(いろいろ新作ありそうですよ、フフ)
【?】
全国世論調査:小泉内閣支持率65% 総裁選大勝などで上昇(Mainichi INTERACTIVE)
はて?
国民の皆様におかれましては、いったい何を評価されていらっしゃるのでしょうか?総裁選なんていうローカル選挙に大勝したから?
2003-9-29 (Mon)Version
カツゼツの悪いワシは、「東京ゲームショウ」というと「東京刑務所?」と聞きなおされる・・・・・・。
【日常と罪悪】
仕事の後、戦場のフォトグラファーを見てきました。・・・・・・ただでさえイベントの仕事で、激しく肉体が疲労しているところに、この映画はあまりにもヘビーでした。。。てわけで、久しぶりにトップで映画レビューににた何か。
結果からいうと、ワシは今もって激しい不快感に襲われています。
この映画について簡単に説明しておきますと、ジェームズ・ナクトウェイという、今も現役で活躍する戦場カメラマンを扱ったドキュメンタリー映画です。「他人の不幸を飯の種にしている」という、この職業に就いた人全てが抱えているであろう葛藤を、非常に真っ当な見せ方と、ストイックなナクトウェイの人柄と、それぞれをない交ぜて表現います。また、ナクトウェイの(スチール)カメラにCCDカメラを付けるという手法で、彼の息遣いからシャッターを切る瞬間まで、まさに「密着」した演出は、リアルを感じさせます。ワシもそうですが、曲りなりな人も含めて、ジャーナリストを、「報道」を目指す人、あるいはそこに身を置く人は、見ておいてなんら損はないと思います。
じゃあ、なんで不快感を感じているのかというと。
この映画は、恵比寿ガーデンプレイスにある東京都写真美術館で上映されているのですが、映画を見終わり、ヘビーな気持ちで表に出てきて、ガーデンプレイスの中に目をやったとき、楽しそうに高級であろうご飯を食べている人たちに不快感を「感じてしまった自分自身」に、不快感を感じているのです。
ワシ自身もそうですが、日本に住む人にとって美味しいご飯を食うことも、安全な毎日の中たいした心配もなく暮らしていけることも、なんら罪ではありません。ただそこに、罪悪感を感じさせてしまう可能性がある。その意味でこの映画はとても危険です。
この映画を見て感じるであろう感想は大きく二つに分かれると思います。悲惨な日常を生きる人たちに手を差し伸べたいと思うか、自分自身の境遇を罪と感じるか。前者はより建設的で、おそらく映画の作り手が狙っているのも、ナクトウェイがファインダーを通じて伝えたいことも、そうなんだろうと思います。ただやはり、後者の様に感じる人も少なくない、というより、むしろ多いのではないでしょうか。後者の思考を推し進めた上で出てくる感情は、閉塞感であったり無力感であろうことは想像に難くありません。そしてそれは、世界の問題を解決するのになんら寄与しないわけです。ワシの感じた不快感は、一瞬ではありますが、後者に陥ってしまった自分自身へのものなわけです。
世界のリアルを感じるために、この映画は誰にでも是非見て欲しい一本です。そしてそこを出発点に、ささやかでも前向きな、変化を求める波を発信していければ、世の中から、少しづつでも悲惨な事象は減っていくのではないかな、と思います。
※参考レビュー:前田有一の超映画批評より
▲コトノハDaily
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