インデックス>ホーム>コトノハDaily>Dailyログ2002年5月上旬
▲コトノハDaily
2002-5-1 (Wed) Version
上野発の夜行列車降りた時から〜♪青森駅は〜♪海の中〜
2002-5-2 (Thu) Version
「空想科学読本4」読了。
【重子が、オレの重子がぁ!(←誰の?)】
ワシの毎朝の癒しが、千葉銀の鈴木重子(ジャズシンガー)のポスターである事は幾度と無く述べてきましたが、この5月1日より、初夏バージョンに変わってました。
ノォォォォッ!違う、こんな写真違うっ!これじゃ癒されねぇよっ!
と朝の商店街で叫びかけるくらい、今回の写真はダメダメでした。この写真が数ヶ月続くのかと思うと、ものすごく鬱になってきます。鬱死。
↑こんな事書いているあたり、よっぽど疲れてるんだな、と生温い視線で蔑んでください。
2002-5-3 (Fri) Version
レンキュウ?なんすかそれ?←GWなのに下手したら一日しか会社休めない!?←それもこれもGW明けのアレがいかんのだ!←アレとはナニか!?乞うご期待!←いや、期待しないでください。ワシ(の仕事)に関わること(世間的には大話題)だけど、ワシのことでは無いので。
【朝の帰路】
散歩中のオッサンに声をかけられる。
「お兄ちゃん、これから仕事かい?」
「はい」(帰る所だけどどうせ仕事にいくので)
「いいね。オレなんかずっと休みでさ。27日から7日まで。暇でしょうがないから毎日同じ時間に散歩してるんだよ。家で寝てたら体なまるしさぁ」
そう言って歩き去る。
休みが多いのを自慢されただけ?とGWとかレンキュウなんて単語から遠ざかっている身は穿ってしまうのでしたが、良く考えてみたら。
オッサンは、休みの、暇な状況に満足していない。ワシは、仕事であっても、その状況に満足している。
人間、シチュエーションがなんであれ、それに満足できてれば(足ることを知っていれば)、楽しく生きていけるのよね、という実例。
2002-5-5 (Sun) Version
昨日も帰れませんでした(既に常套句)。
【スマソ】
そして今日もロクな更新が出来ませんでした。はふぅ。
2002-5-6 (Mon) Version
今日でレンキュウも終わりだそうですね。さっ、今日も会社いこっと。
2002-5-7 (Tue) Version
なんかGW中の更新弱かったなぁ。こんな更新でも「毎日更新」を名乗れるのだろうか?(←ダメです)
【タンタンたん】
友人に招待券をもらったので、昨日の仕事の合間をぬって、渋谷Bunkamuraザ・ミュージアムへ「タンタンの冒険」展を見に行ってきました。
ご存知ない方のために説明をしておくと、『くるっとはねた前髪とニッカポッカがトレードマーク』(オフィシャルサイトより)の「タンタン」と、その愛犬にして相棒のフォックステリア犬「スノーウィ」(原作では「ミルゥ」)とが、世界中はもとより宇宙までも飛び出し、行く先々で様々な冒険をする漫画です。日本でも、CMや企業キャラクタなんかでよく使われてますね。
ワシは、もともとイラストレートとしてのタンタンは知っていたし好きだったんだけど、大学にタンタンがすごく好きな友人がいて、その世界に惹きこまれていった経緯があります。といっても、漫画は日本語訳を数冊読んだくらいなんだけど。
1929年、ベルギーの編集者ジョルジュ・レミが、エルジェというペンネームで週刊子供新聞に連載を始めたのが、このタンタンの漫画。という背景があったことをこの展覧会で知って、その上でタンタンの各作品を年代毎に追っていくと、なるほど風刺の効いた漫画だったのだな、ということに気付きました。
この風刺漫画、それも子供向けの風刺漫画ってのは、実はかなり扱いに気を使わねばならないものだったりします。タンタンの可愛らしいキャラクタと、その冒険の爽快さの裏に、国威発揚や国粋主義的なメッセージが色濃く入っていたりする。ま、それ自体が教育として間違っているとは言わないんだけど、それに誘導される(引きずられる)危険性というものはしっかり見据えなくちゃ、それこそマスの力による洗脳というのが、笑えないレベルで進行することになります。
・・・・・・まさか、タンタン展見に行った感想がこんな話題になるとは思わなかったんだけど、気付いちゃったからしょうがねぇ。それを切り離して読めば、やっぱりこの物語、冒険のもつ魅力ってモノは、少しも遜色するものではないしね。
ちなみに会社からの更新です(涙
2002-5-8 (Wed) Version
道行く女性が全て魅力的に見えてきたら性欲が猛っている証拠♪>男性諸君←かなりの暴言
2002-5-9 (Thu) Version
今日になってやっと今年の春は花粉症だったことに気付きました。
【風刺】
一昨日の、タンタンが風刺漫画であったことを読み返して。
情報社会で一番恐いのは、知らないうちに思想をコントロールされている状態かな、となんとなく思った。
例えば漫画だとか映像だとか、とかく視覚に訴えかけるツールというのは、人間の思考を誘導し易い。見た目のイメージが、見ている側の思考に働きかけて、提供する側の思想的な意図を如実に反映してしまう、なんてことはままある話しだろう。
あるいは文字媒体でも同じことは起こっている。最近でこそ、新聞ってのは発行各社の思想が色濃く反映された媒体であることが、時々で指摘されているけど、だとしても実際に新聞の読み比べでもしない限り、そんな事実は実感できないし気付かない。
その意味で、通信費以外かかること無く各紙の社説や一つの物事に対する見解の違いを知ることが出来る、ネットというものはやはり偉大なツールかも知れない。実際ワシも、幾度となく『社説比較』をこのサイト上でしてきた。
一つの物事を多角的に見る視点なんてのは、実は別に無くても言い。ただ、一つの物事についての多角的な情報は得るべきだと思う。
2002-5-10 (Fri) Version
昨夜も非帰宅。
【実例】
和泉元彌、マスコミに逆ギレの怒り(YAHOO!NEWSより。ソース:夕刊フジ)
自分たちの取材姿勢を何ら省みることなく、相手を「逆ギレ」呼ばわりする、これがマスゴミの怖さ。
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