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ママチャリ疾走


 日曜の夕方。五時を回っているのにまだ高い太陽の日差し、湿り気を含んだ初夏の風が吹き抜ける中を、ちょっとお出かけ。高校に入ってからほとんど行くことの無くなった小中学校時代の自分の縄張り、つまり、家の近所を、久しぶりにあちこちと走ってきた。乗る自転車は、どこにでも売っている買物用自転車。通称ママチャリ。ちなみに母親の所有物。ワシは今、自分の自転車を持っていない。

 家からわずか数キロ圏内なのに、全然行くことのない地元は、ワシの知らない街に変わっていた。知らない道が出来て、知らない家が出来て、知っていた公園がなくなり、知っているはずの場所を忘れている。自分の原風景が、次々と失われていったことを知ってしまったのは、ワシにとって少なからぬショックだ。風景が無くなってしまうと、そこについての記憶も風化していく。

 それでも、変わらないところもある。

 公園の裏の抜け道は、今でもケモノ道として残っている。何年たっても舗装されない砂利道がある。好きだった女の子の家は、今でも同じ表札がかかっている。そして、今は誰も住まず、ツタが絡まっている、十五年前まで住んでいた家。こんなに小さな家だったなんて、小さな頃には気付かなかった。

 駆け抜ける、周りの空気に、呼び起こされる、様々な思い出、一つ一つに味わう、かけがえのない、幸福感。

 今日、ワシの感じた疾走感は、自転車で走りぬけたからだけじゃなく、思い出を走りぬけたからでもあると思う。消えて行く思い出と生き残った思い出。自分の原風景を駆け抜けることは、記憶をその二つに分けてしまった。

 自転車は良い。自分の力で、自分のペースで、自分の行きたいところに、自分を連れて行ってくれる。走りぬける、っていうことは、世界の取捨選択をするってことだ。全てを掴むことは出来ないから、せめてママチャリのカゴに乗るだけのモノを選んで、自分の未来に持って行きたい。


 以前、自分とこの掲示板に書いた文章を読んだ母校の助手の方から、母校で出している『江古田文学』なる文芸雑誌 (早稲田文学、三田文学のようなもんさね) 用にリライトして書かない?とお声をかけていただいて書いたものです。一応 (失礼) 、書店に並ぶ本に掲載されているってぇのは、なかなかに嬉しいものなんですよ、文章書きとしては。
 でまぁ、やっぱりエッセイってもんは、きちんと文字数を考えて、構成を考えて書くと難しいなぁ。。。と実感。いつもこのサイトで書いているものは、書き殴っている、と言ってもいいくらい乱暴な書き方だからね(笑)。

<2001年8月29日 ともさく>

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