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インデックス>ホーム>コトノハAnything>世界はゴミ箱の中に 世界はゴミ箱の中に 世界はゴミ箱の中に Macがかつてのワープロの値段で買えるようになって、商業誌と同じ工程のDTPを行える環境は、いまや私たち一人一人の手のうちにあります。アマチュアリズムの発露の場としてのフリーペーパーや同人雑誌の世界の世界でも、誌面のクオリティはガリ版刷りの時代からは比べ物にならない進歩をとげました。さらにインターネットの普及によって、出版システムという敷居をまたぐことなく世界に向けて配信することも可能になったのです。 「誰も彼も簡単にサイトをアップできるようになったせいで、ゴミみたいなページばかり意味なく増えていく。見る価値のあるページなんてない。インターネットなんて空っぽの箱だ」という意見もありますが、そんな簡単に作れることを知っているなら、なぜチャレンジしようとしないのかと逆に訊ねてみたくなります。自分の中に表現するに足りる、他者に伝えることや楽しませることが見つからないから「あのブドウは酸っぱい」と言ってすねているキツネのように、自分をごまかしているだけなのではないでしょうか? インターネットが空っぽなのは、伝達の器である以上当然の性質です。空っぽであることが問題とされるべきなのは、そう言ってしまう人たちの内面のほうなのです。 ところで、Macユーザならご存知かと思いますが、Macにフロッピーの排出ボタンというものはありません。すべては画面上のゴミ箱アイコンに入れると「外」に排出されます。ということは、私たちのいるこの世界は、Macのゴミ箱の中ということになりますね。なんてシニカルなデスクトップメタファー。でも、ちょっと愉快な気もします。「宇宙の果てがあるとしたら、その外側は何なんだろう」と悩んだものでしたが、アインシュタインにごまかされて解ったような気になるよりは「宇宙はMacのゴミ箱みたいなものだから、ぜんぶそこに入れちゃえば、バーチャルな想いがカタチをもった現実のモノになるよ」って言われたほうが楽しい気がしませんか?
(いいかげんな)用語解説 by ともさく 宇宙の果てを科学的に規定することは、ワシ自身とても興味があるし、今後の研究に期待もしている。でも人間は、それとは別に、言葉を以って哲学的、あるいは概念的に宇宙の果てを決めることが出来る。それはフィクションという世界においてかもしれないが、その作業はとても楽しいものだと思う。 しかし参ったのは、この世界はMacintoshのゴミ箱の中、という発見だった。それは、完全なるフィクションである。しかし、本当にフィクションなのだろうか? 我々の常識は、しょせん自分たちに都合のいい様にゆがめられたものでしかない。我々の知覚し得ないところで、本当の世界は存在しているかも知れない。そう、例えばMacintoshのゴミ箱の中に。 こういう考えを笑い飛ばすことは簡単だ。でも、笑い飛ばした時点で、その人は自分の世界に限界を作ってしまっている。この宇宙はエントロピーの増大によって、膨張しつづけているらしい。しかし、人間の想像力の中にある宇宙は、物理的な宇宙像以上に無限の広がりを見せることが出来るはずだ。それこそが、人間が手にいれた最大最強の力なのだから。 <2001年1月20日 ともさく> |
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